札幌のクリスチャン鍼灸師

札幌市中央区山鼻地域、石山通沿い側で、脈診流による経絡治療専門の鍼灸院をしています。

初めて天理教の葬儀に参列

2012-02-20 18:08:00 | その他諸宗教
先週知り合いが逝去され、葬儀に参列しました。
天理教式の葬儀でした。
私にとっては初めてで、儀礼など一緒に参列した人に教えてもらいながらでした。
雅楽の流れから始まり、天理教の聖職者とでもいうのでしょうか、その方が唱える「祝詞」ののような感じで、なんとなく全体的に神道の雰囲気を感じさせました。
「神道の雰囲気」といっては、信者の方にお叱りを受けるでしょうか?
失礼がありましたら、お赦し下さい。
もちろん仏教式ではないので、焼香はありません。
裁断の前に出て行き、一人一人玉串を捧げるという感じでした。
後で調べてみると、「玉串奉献」というそうです。
その時に礼をして拍手を音をたてないように4回します。
一緒に参列した人も、先の人達がやっているものを見て、私に教えてくれた漢字なのですが、今一私としても要領がつかめませんでした。
さて、原理主義キリスト教徒にありがちですが、他の宗教式の葬儀に参列した時、仏教式なら、「クリスチャンは焼香をしてはならない」みたいなことを言う人が珍しくありません。
それがクリスチャンとしての証だとまで言う人も、少なからずいます。
私は一々その場で自分がクリスチャンであることを説明するのが面倒なこともあり、そのまま流れで焼香をします。
今回の天理教式の玉串奉献の時も、そのような感覚です。
そもそも葬儀の場は、自分がクリスチャンであることを証する場ではないはず・・・・。
極端な排他的原理主義者の中には、「悪霊が付く」などと平気で言ったりもします。
その人の信仰はその程度で、悪霊が付くほどのものなのでしょうか?
もちろん、他宗教を悪霊呼ばわりするつもりは私にはありませんが・・・・。
意外とそのような人には、親しくしているのはクリスチャンだけだったりかもしれませんね。
というか、今回つくづく感じましたが、他宗教の儀式をどうしてもやりたくないならば、それはそれで理解出来ますが、親しくさせていただいた人の葬儀の場で、あえて無理してまでそのような選択をする感覚が、私には考えられませんでした。
マザー・テレサも、身寄りのない人達の遺体をその人達の宗教儀式にのっとって葬ったということは、よく知られています。
なお、天理教式の葬儀については、↓
http://www.geocities.jp/osamu_fk/tenrikyo/sougi.html
↑こちらが参考になります。
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コメント (11)
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