3月は災厄記念日が2日もあるんですね。3月10日と3.11。3.11を忘れた方はおられないでしょうが、3月10日未明の東京大空襲は忘れてしまった方も多いかもしれません。私もまだ生まれていませんでしたから、親の話を聞いたり、書物やドラマを見ただけの知識しかありませんが、本当に悲惨な状況だったようです。
命からがら生き延びた人たちも家や財産、そして家族まで失い、日々の暮らしもままならぬ状態でした。
大空襲から5ヵ月後、日本は終戦を迎えます。焼け野原に闇市が立ち、戦争孤児は物を盗んで腹を満たすしかなく、身寄りのない女たちは身売りして命を繋ぐしかありませんでした。それができない人間は「火垂る(ホタル)の墓」のあの子供たちのように、ただ死んでいくしかなかったんです。
私が子供の頃、新宿のガード下に物乞いの兵隊さんたちがアコーディオンを弾きながら立っていました。電車の中で幼子に乳を含ませる母親の姿も珍しくはなかったんですよ(今だったら、警察に連れていかれるかも…)。「三丁目の夕日」のあの時代ですね。あれは戦争の傷跡から日本が立直り、復興し始めた時代。東京タワーはある意味、希望の象徴だったんです。今、美しい曲線を描いて伸びる高速道路や背比べをしている高層ビル群を見ると、日本は本当に発展したんだなあと思います。
でも、その日本が今いろいろな意味で危機に直面しています。どうかこのまま崩壊してしまいませんように。戦争や3.11の教訓を風化させないためにも、雪の中で咲いた福寿草のように、一日も早く再生できますように。今年オープンするスカイツリーも、新しい時代の希望になるといいですね。
福寿草 (3月1日撮影)
マイホームページ
命からがら生き延びた人たちも家や財産、そして家族まで失い、日々の暮らしもままならぬ状態でした。
大空襲から5ヵ月後、日本は終戦を迎えます。焼け野原に闇市が立ち、戦争孤児は物を盗んで腹を満たすしかなく、身寄りのない女たちは身売りして命を繋ぐしかありませんでした。それができない人間は「火垂る(ホタル)の墓」のあの子供たちのように、ただ死んでいくしかなかったんです。
私が子供の頃、新宿のガード下に物乞いの兵隊さんたちがアコーディオンを弾きながら立っていました。電車の中で幼子に乳を含ませる母親の姿も珍しくはなかったんですよ(今だったら、警察に連れていかれるかも…)。「三丁目の夕日」のあの時代ですね。あれは戦争の傷跡から日本が立直り、復興し始めた時代。東京タワーはある意味、希望の象徴だったんです。今、美しい曲線を描いて伸びる高速道路や背比べをしている高層ビル群を見ると、日本は本当に発展したんだなあと思います。
でも、その日本が今いろいろな意味で危機に直面しています。どうかこのまま崩壊してしまいませんように。戦争や3.11の教訓を風化させないためにも、雪の中で咲いた福寿草のように、一日も早く再生できますように。今年オープンするスカイツリーも、新しい時代の希望になるといいですね。
福寿草 (3月1日撮影)
マイホームページ
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます