春分の日にお墓参りへ行った帰り、高幡山金剛寺(高幡不動尊)へ寄りました。不動堂は工事中でしたが、結構人で賑わっていましたよ。大抵の方は五重塔から奥殿あたりまでで帰ってしまわれるようですが、さらに奥の大日堂には鳴り龍の天井があって、その下で手を打つと願い事が叶うと言われています。勿論その名の通り手を打つと軽妙な音がしますし、裏へ回ると土方歳三の位牌や過去帳が安置されていますので、ファンの方は是非…。
大日堂の山門 五重塔入り口に咲く梅の花 重文仁王門
不動堂の近くにある土方歳三像は平成7年に新しく建立されたものですが、その隣にある殉節両雄の碑(新撰組両雄の碑、顕彰碑とも)は意外と古いんですよ。これは近藤勇と土方歳三の忠節を讃えた最初の碑(いしぶみ)なんです(残念!写真を撮り忘れました)。
維新後、賊軍の戦死者に対する扱いは苛烈を極めていましたので、供養もままならない状態でした。明治7年になって新政府軍に刃向かった人たちの祭祀・慰霊が許されることになり、近藤家、土方家の遺族が中心になって二人の顕彰碑を建立することになったのですが、碑文が二人の忠節を讃える内容だったため、実際に建立されたのは明治21年になってからのことだそうです。篆額(てんがく)は会津の松平容保(まつだいらかたもり)、書は幕府の侍医を務めた松本良順(当時松本順と改名)の筆。
もともとは武士でもなく、ましてや直参でもなかった彼等が、最後まで幕府のために戦って死んでいったという事実は、生き残った人たちにとって、万感胸に迫るものがあったに違いありません。
土方歳三像 五重塔
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大日堂の山門 五重塔入り口に咲く梅の花 重文仁王門
不動堂の近くにある土方歳三像は平成7年に新しく建立されたものですが、その隣にある殉節両雄の碑(新撰組両雄の碑、顕彰碑とも)は意外と古いんですよ。これは近藤勇と土方歳三の忠節を讃えた最初の碑(いしぶみ)なんです(残念!写真を撮り忘れました)。
維新後、賊軍の戦死者に対する扱いは苛烈を極めていましたので、供養もままならない状態でした。明治7年になって新政府軍に刃向かった人たちの祭祀・慰霊が許されることになり、近藤家、土方家の遺族が中心になって二人の顕彰碑を建立することになったのですが、碑文が二人の忠節を讃える内容だったため、実際に建立されたのは明治21年になってからのことだそうです。篆額(てんがく)は会津の松平容保(まつだいらかたもり)、書は幕府の侍医を務めた松本良順(当時松本順と改名)の筆。
もともとは武士でもなく、ましてや直参でもなかった彼等が、最後まで幕府のために戦って死んでいったという事実は、生き残った人たちにとって、万感胸に迫るものがあったに違いありません。
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