ひとひらの雲

つれづれなるままに書き留めた気まぐれ日記です

春の風物詩

2020-03-15 19:32:35 | 日記

 今年は多少寒い日もありましたが、我が家近辺では10度以上の日が多く、例年に比べ暖かい冬で助かりました。ただ新型コロナの影響で落ち着かない春です。外へ出るのも怖いのですが、買い物はしなければなりませんし、トイレットペーパーやティッシュなどの物不足が深刻で、一時はお米の棚が空になっていたことがありました。このところ品薄は解消されたようですけれど、マスクやアルコール類は手に入りませんねぇ。さらにプロ野球のオープン戦、大相撲春場所が無観客で行われ、他のスポーツやイベントも中止になったり延期になったり、オリンピックも無事に開催できるかどうか。一刻も早く収束して欲しいものです。先の見えない不安で春を謳歌するどころではありませんけれど、せめて和歌や俳句の世界で春を満喫することにいたしましょう。

 まず春の訪れは春霞から、と考えるのが昔の貴族。「ほのぼのと 春こそ空に 来にけらし 天の香具山(かぐやま) かすみたなびく(後鳥羽院)」。香具山にたなびく霞を見て春の訪れを感じ、じっとかみしめているような歌ですけれど、同じように「ひさかたの 天の香具山 この夕(ゆふべ) 霞たなびく 春立つらしも(柿本人麻呂)」というのがあります。霞がたなびいているのを見て春が来たのだと思うのが王朝人だったようですが、暦の上では春なのにまだ霞が立っていないと嘆く歌もあります。「春がすみ たてるやいづこ みよしのの 吉野の山に 雪は降りつつ(読人知らず)」。春霞はどこに立っているの、吉野の山には雪が降っているというのに、というわけですけれど、最近では春が来ても霞など注目されませんよね。

 今ではあまり注目されなくなった春の風物詩に若菜摘みというのがあります。春の野に出て若菜を摘むんですね。『万葉集』の冒頭にある雄略天皇の歌に「籠(こ)もよ み籠(こ)持ち 掘串(ふくし)もよ…」とあって、籠と小さな棒を持って野に出た若菜摘みの様子が歌われています。『枕草子』にも「七日は、雪間の若菜青やかに摘み出でつつ…」とあります。若菜は概ね今の七草と考えてよいでしょう。普段は見向きもしないものですが、その日ばかりは若菜を摘んで贈答し、それに添える歌を詠むために大騒ぎをするんですね。光孝天皇の皇太子時代に詠まれた歌にこんなのがあります。「君がため 春の野に出でて 若菜摘む わが衣手(ころもで)に 雪は降りつつ」。誰かに若菜を賜ったのでしょう。あなたのために苦労して摘んできましたよ。私の袖はすっかり雪で濡れてしまいました、というわけですが、ちょっと恩着せがましい気もします。

 春といえばやはり花。特に梅と桜のお花見風景は春を代表するものですけれど、「花」といえば「桜」となったのは『古今集』以後のこと。それまでは「花」といえば「梅」だったようです。「令和」になった時話題になりました『万葉集』にある序文ですが、これも太宰府管内にあった国の朝集使(ちょうしゅうし)たちが集まり、大伴旅人(おおとものたびと)を中心にして行われた梅花の宴の時のものなんですね(マイブログ「令月にして風和ぐ」)。梅の花は王朝人に愛され、特に紅梅が好まれたようです。『枕草子』にも「濃くも薄くも紅梅」とあります。

 その紅梅にまつわる一つのエピソードをご紹介しましょう。ある人の家に立派な紅梅の木があったのですが、天子の御命令でそれを宮廷に植え替えることになりました。その時、家の女主人が「勅なれば いとも畏(かしこ)し うぐいすの 宿はと問はば いかが答へむ」という歌を天子に奉りました。天子の御命令とあれば恐れ多いことなので従いますが、鶯が自分のねぐらはどこへいったと尋ねたら、何と答えたらよいでしょう、というわけです。するとその歌に感動された天子が、紅梅を移すことを中止になさったんですね。粋ないいお話です。鶯が巣をつくっていたことが幸いしたともいえましょう。

 春の風物詩、まだまだありますし、今回俳句が紹介できませんでしたけれど、長くなるのでこれくらいにいたしましょう。

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