ひとひらの雲

つれづれなるままに書き留めた気まぐれ日記です

王朝人(おうちょうびと)の雪

2016-01-22 18:38:26 | 日記
 1月18日、関東でも積雪がありました。ちょっとした雪でも都心では交通マヒ状態になったりして大変ですけれど、若い頃は朝雪が積もっていると大喜びしたものです。主人もスキーの板を持ち出して滑ろうとしたことがありましたね(笑)。

 1月18日の積雪

 初積雪ということで写真を撮ってみたのですが、コンクリート上の雪には何となく風情がありませんね。

 『枕草子』の二百四十八段に雪が降り積もった時の有名な話があります。中宮定子が「香鑪峯(こうろほう)の雪はどうであろう」と清少納言に問いかけると、少納言は御簾(みす)をするすると巻き上げました。すると中宮はたいそうお喜びになったという、それだけの話なのですが…。

 香鑪峯ならぬ丹沢山系

 白楽天の詩の中に「遺愛寺(いあいじ)の鐘は枕をそばだてて聴き、香鑪峯の雪は簾(すだれ)をかかげてみる」という一節があります。これを知っていないと御簾を巻き上げるという動作が出てこないわけですね。機転のきく少納言は、中宮の問いかけに見事に応えたということになります。まあちょっとした自慢話ですね。

 一方、清少納言のライバル紫式部の詠んだ歌にはこんなのがあります。
 ふればかく 憂さのみまさる 世を知らで 荒れたる庭に 積もる初雪

 式部にとって現世は憂き世、つらいことばかりの世の中だったのでしょう(ここではそう捉えています)。そんな世の中とは知らずに降ってくるなんて、という思いで雪を見つめているんですね。

 また雪は花に見立てられることがありました。枯れ木に雪が積もると、花が咲いたように見えますものね。
 雪ふれば 冬ごもりせる 草も木も 春に知られぬ 花ぞ咲きける(紀貫之)
 雪ふれば 木ごとに花ぞ 咲きにける いづれを梅と わきて折らまし(紀友則)

 雪はまたいろいろな思いを人に抱かせます。
 沫雪(あわゆき)の ほどろほどろに 降り敷けば 平城(なら)の京(みやこ)し 思ほゆるかも(大伴旅人)

 大伴旅人(おおとものたびと)は家持(やかもち)のお父さんですが、山上憶良(やまのうえのおくら)とともに大宰府で筑紫歌壇を形成しました。『万葉集』に収められた旅人の歌は大宰府時代のものが多く、特に酒好きで知られます。その旅人も淡雪を見て都を懐かしんだのがこの歌。王朝時代の人は花が咲いたといっては都を恋しがり、月を見ては都を偲び、雪が降ったといっては都へ思いを馳せました。私にとっての都は東京になりますが、それでも王朝人の気持ちはよくわかります。

 しんしんと降る雪は物音さえも消してしまいます。
 小夜ふけて 岩間のたぎつ 音せぬは 高根の深雪 降りつもるらし(良寛)
 夜が更けてしんと静まり返った頃、いつもなら石清水の音がするのに今日は聞こえない。雪が降り積もったからだろう。

 昔の人はそれぞれに雪の風情を味わいながら、憂き世を過ごす糧としていたんですね。

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