ひとひらの雲

つれづれなるままに書き留めた気まぐれ日記です

江戸のアイドル

2016-02-07 19:02:54 | 日記
 SMAP騒動、何とか収まってよかったですね。これからどうなるかわかりませんけれど、40歳を過ぎてのアイドルも大変なのかなあと思います。

 江戸時代のアイドルといえば、やはり歌舞伎役者。今の感覚とはちょっと違いますが、人気者であったことは間違いありません。江戸歌舞伎の宗家といわれる市川家、勿論現代にも受け継がれていますよね。海老蔵さんはやがて団十郎を襲名するでしょう。市川家は荒事(あらごと)をお家芸としていますが、中でも「助六」、「暫(しばらく)」、「勧進帳」などは当たり芸といわれ、歌舞伎十八番を創始したことでも知られています。

 助六の復元模型  暫(しばらく)の絵看板

 上の写真はいずれも江戸東京博物館で復元されたものですが、黒羽二重に紅絹裏(もみうら)という助六の粋な着付けこそ、江戸っ子の美意識の象徴といえます。
 他にも尾上菊五郎、沢村宗十郎(三代目)や瀬川菊之丞(三代目)なども人気を博しました。歌舞伎の家にスキャンダルはあってはならないことですが、有名なところで江島生島事件などもありましたね。結果、大奥御年寄の江島は信濃高遠へ流され、歌舞伎役者の生島新五郎は三宅島へ流刑になったとか。恋も命懸けです。

 男性アイドルといえば相撲取りや町火消しの頭も人気者だったようです。相撲取りは力持ちでしたし、火消しの頭は粋で鯔背(いなせ)で勇ましいといって女性にもてたようです。江戸の女は少々気の荒いところがありましたから、優柔不断なのは駄目だったんですね。

 一方女性アイドルはと申しますと、お大尽様の場合は吉原の花魁ということになるのでしょうね。しかしそれは高嶺の花。一般庶民のアイドルといえば水茶屋の茶汲女(ちゃくみおんな)だったようです。特に明和の三美人といわれた笠森(かさもり)お仙、柳屋お藤、蔦屋およし、寛政の三美人といわれた難波屋おきた、高島屋おひさ、菊本おはんなどが有名で、彼女たちは錦絵にも描かれ、益々評判になっていきました。お仙などは森田座で狂言にまでなったとか。

 右から難波屋おきたと高島屋おひさ(歌麿画)

 彼女たちを見るために、茶屋へ通い詰める男たち。こんな川柳が生まれました。
 大たわけ 茶見世で腹を 悪くする
 お腹を悪くするほどお茶を飲むなんてお馬鹿さんですよね。でもちょっと可愛らしい。いつの時代にも生きる糧としてのアイドルは必要だったのかもしれません。

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