ひとひらの雲

つれづれなるままに書き留めた気まぐれ日記です

東海道の川越え

2017-12-03 19:05:28 | 日記
 今まさに紅葉真っ盛り。夕日を受けて金色に輝くイチョウ並木の通りをビュンビュン車が通り抜けていきますけれど、ここも昔は街道として旅人が行き来していたところだと思うと感慨深いものがあります。

 先日「江戸時代の旅」にも書きましたけれど、江戸時代は街道が整備されて女性の一人旅ができるほどになりました。それでも難所はあります。山や川ですね。「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と詠われたように、河川渡河は大変な時代でした。今ならどんな川にも橋が架かっていて車でも渡れますけれど、場所によっては川を渡るために大回りをしなければならなかったり、橋が大渋滞したりしますので、やはり交通を阻むものではあります。

 江戸の町にはいくつか橋がありましたけれど、街道は架橋禁止によって橋が架けられないことが多かったんですね。軍事的、技術的要因によるものだといわれますが、とにかく旅人は難儀を強いられました。橋のない川や海を渡る手段としては、まず船。東海道では多摩川(六郷川の渡し)、馬入川、天竜川、浜名湖(今切れの渡し)、伊勢湾(桑名七里の渡し)がそれです。

 この渡船に対して、酒匂(さかわ)川、興津(おきつ)川、安倍川、大井川などは徒渉(としょう)という方法で川を渡りました。徒渉というのは「かちわたり」ともいわれ、川越え人足の手を借りて渡るあれですね。よく時代劇にも登場し、川留(かわどめ)の数日を描いた寺尾聡さん主演映画「雨あがる」などの名作があります。

 酒匂川   安倍川

 雨で増水し、川留になると旅人は長期逗留を余儀なくされます。
 五月雨や 酒匂でくさる 初なすび
 これは現在の神奈川県酒匂(さかわ)川で足留された俳人宝井其角(たからいきかく)の句ですが、川留が長引くと食品類がまず駄目になります。大抵は梅雨の頃ですから、蒸し暑いこともありますし、大勢の人が旅籠に詰め込まれてストレスも溜まったのではないかと思います。足留が解けるまで最低でも三日、場合によっては一ヶ月あまりに及ぶこともありました。

 わずかな路銀で物見遊山に出掛けた人など、「雨などに逢ふて逗留すれば、一ト所に五日も十日もとめられて、凡そ川々の為に路銀を皆遣切(つかいきり)て難儀する事のみ多し」(『民間省要』)ということになります。それは庶民だけでなく、大名であっても同じこと。大人数になればなるほど費用がかさみ、時には数百両にも及ぶことになるのですから、庶民ならずとも大変だったわけです。

 ではどのくらいの水嵩で川留になるのでしょう。酒匂川の場合は四尺五寸(約1m65cm)くらいになると川留となり、私的旅行者は隣の大磯宿か小田原宿まで引き返して川明けを待ったそうです。公用の旅行者は酒匂川周辺の村に逗留したそうなので、村人たちも大変だったんですね。今でも大雨が降って川が氾濫することがありますけれど、自然ほど恐ろしいものはありません。人智の及ばぬところでは、人は祈るしかないのでしょうね。

 参考・宇佐美ミサ子著『宿場の日本史』(吉川弘文館)

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