ひとひらの雲

つれづれなるままに書き留めた気まぐれ日記です

木曽路はすべて…(妻籠・馬籠)

2018-01-14 18:54:52 | 日記
 30年くらい前になりますでしょうか。松本から妻籠(つまご)・馬籠(まごめ)宿を抜けて恵那峡(えなきょう)へ行ったことがあります。恵那峡はかの有名な桃介さん(福沢諭吉の娘婿)が作った大井ダムのあるところですが、これは大河ドラマ「春の波涛」でも紹介された日本初の発電用ダムです。大正13年に完成しました。当時は恵那峡ランドがあって結構賑わっていましたけれど、景気低迷によって一時閉鎖。2002年にリニューアルオープンし、恵那峡ワンダーランドとして続いているようです。

 恵那峡はさておき、妻籠から馬籠へ抜ける中山道にはいろいろな見どころがあります。何せ昔から多くの旅人が通ったろころですから。
 また現在は妻籠から馬籠までがハイキングコースになっており、歩き通せば「完歩証明書」なるものを発行してくれるそうです。当時はバスで馬籠へ向かったのですが、子供が乗物酔いしてしまい、途中で降りて歩いたのを覚えています。お蔭で中山道の路傍に、十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の狂歌碑を発見しました。

 十返舎一九は『東海道中膝栗毛』で有名な滑稽本の作者ですけれど、執筆の材料を探して中山道も旅していたんですね。で、『木曽街道膝栗毛』を書きました。狂歌碑には「渋皮の 剥(む)けし女は 見えねども 栗のこはめし ここの名物」(いい女いないけれど、栗のこわめしは美味しいよ)とあります。

 馬籠宿は今でも宿場の面影を残していて、昔ながらの建物が軒を連ねています。私たちもそこに宿をとったのですが、何と隣の部屋との仕切りが襖一枚なのには驚きました。確かに昔はそうであったにせよ、今では施錠できるようになっているかと思ったのですが。隣のどんちゃん騒ぎは聞こえてきますし、いつ襖ごと倒れてくるかもしれないという不安を抱きながら、前日が夜汽車だったので疲れ果てて寝てしまいましたけれど…。翌日は恵那に予定外のホテルをとりました。

 馬籠宿

 でもいい経験ができました。江戸時代の人たちは、そういう宿に泊まりながら旅をしたのだということが実感できましたし、それだけ人間が今より信頼できたのかなとも思いました。どんなセキュリティーより、人間が信頼できるものであることが一番です(特に女の一人旅には)。

 馬籠峠には「道しるべの碑」があって、正岡子規の「白雲や 青葉若葉の 三十里」の句が記されています。来た道を振り返って詠んだんですね。
 芭蕉も木曽路を旅して「更級紀行」を書きました。「送られつ 送りつ果ては 木曽の秋」の句碑が建っています。また長野県と岐阜県の境だったところに島崎藤村の筆で「是より北木曽路」と書かれた碑がありますので、碑を見て歩くだけでも面白いですね。他にもたくさんの文学碑がありますけれど、長くなるので省略します。

 さて、馬籠といえばやはり島崎藤村ですね。宿場の一角に生家跡があり、藤村記念館になっています。もともとは本陣・問屋・庄屋を兼ねた旧家で、かなり由緒あるおうちだったようです。そして藤村の代表作、「木曽路はすべて山の中である」で始まる『夜明け前』は、この馬籠を舞台にして書かれた長編小説です。主人公のモデルは藤村の父親であったといわれています。

 『夜明け前』とは少し趣が違いますけれど、時流に乗れなかった人間の悲劇を描いた拙著『栄光のかけら』、今の時代に合わせたものですので冬ごもりの季節に是非読んでみてください。

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