星降るベランダ

めざせ、アルプスの空気、体内ツェルマット
クロネコチャンは月に~夜空には人の運命の数だけ星がまたたいている

10代の自分から

2008-11-15 | NO SMOKING
筑紫さんが亡くなった。追悼番組をみた。
癌告知後の笑っていない彼の映像の、正面を向いていない時の目の表情が、
同じ病の身近な人と似ていて、涙が止まらなかった。

学生時代「朝日ジャーナル」で、世界を知った。
筑紫さんは、今はこんな時代だと、教えてくれる信用できる大人だった。
憲法を守ろうと、マスメディアで、ちゃんと正面切って語る人が、どんどん消えていく。
終わらせてはいけないものが、この社会にはある。

若い頃は、何かに出会うたびに新たな座標軸が自分の中で生まれた。
それは、あの人ならこんなことしないだろう、とか
あの人ならこちらを選ぶだろう、などという単純な模倣であったりもした。
だから、何かに出会うたびに、ころころ変わっていく自分が、
はっきりとした自らの考えを持たない、とても頼りない存在にも感じていた。

仕事をしていた時、「あなたははっきりとものを言うから」と、言われた時は、意外だった。
いつのまにか、自分でひいていたライン。
これだけは譲れないと、追い込まれた時だけ、それは見えるような気がした。
それ以外は、論理的思考より、頼りない感性で、判断する、という生き方をしてきたと思う。
それで乗り切ってこれたのは、よほど自分は幸運だったのだ。
生活を守るためのぎりぎりの闘いをしなくて済んできたし、
社会の圧力で身近な人達を失うことなくきたという幸運。
でも、それはいつまでも続くわけがないという、怖れのような不安がいつも自分にはある。

たまに、自分の中での浄化作用として働く座標軸がある。
こんなことしてる私を母が知ったら、悲しむだろうな、とか
こんなことしてる自分をあの子達が知ったら、失望するだろうな、とか。
最近では、10代の自分が今の私を見たら、という座標軸を意識し始めた。

小さい文字が見えにくくなって、新聞を丁寧に読まなくなっている。
醜いものを見たくない。触れたくないものには触れないでおこう。
とでもいう生活態度に落ち込んでいるのだ。

「ベトナム戦争に反対しないのは、賛成してるということなんだ。」
と、悟った10代の自分が、ここにいたら、今の政治をただ傍観しているだけの自分をみて、きっと怒るだろう。
彼女の声が聞こえてくる。

「間違えていることを、間違えていると、どうして言わないんですか」

「税金の使い方、間違えています。
 一人1万2千円、て中学生のお年玉ですか。
 その予算、どうか出産費用無料化に回して下さい。
 戦争もしていないのに、
 女性が安心して子供を産めない国になっているのは、
 長く生きている大人の責任です。」
コメント (2)
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