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「能ある鷹は爪隠す」開陽丸は最後まで実力を見せれなかった『開陽丸、北へ』

2021-11-15 07:48:42 | 歴史から学ぶ
榎本徳川海軍が最初から幕府側を海から援護していれば新政府軍の奥州越列藩同盟(米沢・仙台・庄内・会津藩、約5万人)での住民を含む特に無惨な会津藩の終焉降伏はなかったかも知れない。江戸を戦火で消滅させたくなかったという理由があったというが・・・また、艦船を司るより当時は気候変化に疎かったのか、それも悔しい限りだ。現代、若くて才能がある人材でも第一線で活躍できる者は日本では少ない。それは未だに日本の組織・政治体制など「出る杭は打たれる」方式しか見えないからだ。
『開陽丸、北へ』安倍龍太郎
榎本武揚率いる徳川艦隊、徳川幕府の最新鋭にして最強の軍艦=開陽丸。艦長の沢太郎左衛門は、嵐を突いて北へ向かった。薩摩、長州の両藩が主流の新政府軍に抗戦する奥羽越列藩同盟を救援するためだ。徳川艦隊を率いる盟友の榎本武揚を支え、死闘を繰りひろげる。戊辰戦争を背景に明治維新の“闇と光”を問い直す海洋歴史長篇小説。
ー「開陽丸」248名乗員
    全長72.8m、26門の大砲、3本のマストで高さ40数m
    排水トン数2590トン、補助エンジン4百万馬力の蒸気機関
    最大速力12ノット(時速22km)
江戸城無血開城の要因
    3月9日の西郷吉之助と山岡哲太郎との下交渉
    3月9日沢太郎左衛門、榎本武揚とイギリスパークス行使との秘密交渉
    3月14日勝海舟と西郷吉之助との会談
ー徳川艦隊の新政府への引渡しは四隻のみ
    富士山丸、観光丸、朝陽丸、翔鶴丸で、全艦隊の引渡しはしなかった
榎本武揚副総裁、沢太郎左衛門艦長が江戸にて新政府軍を攻撃しなかった理由
    品川沖になりながら攻撃しなかったのは江戸の街が焼け野原になることを避けた
ー榎本艦隊が列藩同盟軍への支援が遅れた理由と災難
    江戸湾には138隻の艦船、内官軍側94隻、更にイギリス艦隊も開陽丸を狙っていた
    幕府が米国に発注した鉄製艦ストーンウオール号の引き渡しの要求し待機していた
    新政府側の艦船はどれも火入れしておらずタイミングを見計らって8隻で逃亡した
        総勢3千人、内2千人余りは新政府に叛心を持つ旧幕府侍
        旗は葵の御紋ではなく「日章旗」だった
 榎本の言葉「このまま薩長の跳梁を許せばこの国はやがて取り返しのつかない悲劇を迎えることは目に見えている。なぜなら今般の王政復古は薩長の輩が政権を盗む為の手段として唱えたもので、真に尊皇の赤心から出たものではないからだ。」
    災難は台風に遭遇、マスト、舵を失くし、他艦船も被害を受け、仙台は新政府に恭順する
榎本艦隊が目指した領土、蝦夷地
    「蝦夷地の緯度はオランダやドイツより低いんだよ。しかも四方の海は豊かな漁場だ。農業と漁業、次に畜産産業や加工分野へ手を広げていけば、10年もしないうちにオランダに負けないチーズやビールを作れるようになるさ」
ー開陽丸の最後
    江差に物資を運び、出向するときに強風に煽られ座礁、あっけなく沈没した
    榎本、沢は牢屋に繋がれ1872年放免、北海道開拓使御用係に任ぜられた