Sengoku1985

何故、私は鉄道を撮り続けるのか?

Kyusyu Railway Company#9

2014-05-19 | 鉄道写真


 平成17年早春、遂に、東京発長崎行き寝台特急「さくら」が廃止になる、と発表され、お別れに、2月に乗車しました。


 最初は、名古屋発の図(写真、EF66 43(「関」))。「さくら・はやぶさ」のヘッドマークも最後です。



 翌朝同機は下関で、運用から解放されます(写真)。



 関門間の牽引機は、EF81 409(「分」)です(写真、下関にて)。間もなく、関門トンネルです。



 そして門司からはED76 92(写真、「分」)。一時のピンクを改め、より強い赤に戻されました。これが熊本まで「はやぶさ」を牽きます。



 鳥栖で「はやぶさ」から切り離され、長崎本線の牽引機はED76 90でした(写真、「分」)。この「さくら・はやぶさ」のヘッドマークも、見納めでした。



 客扱いを終えると、夕方の出発まで、横の車庫(長崎車輌センター)でお休みです。入換機、DE10 1756がスタンバイしています(写真)。



 駅西方の、長崎車輌センターの様子(写真)。中央に写っているのは、「あかつき」の客車、「レガートシート」車が手前です。この場所も、長崎駅高架化、及び九州新幹線長崎ルート関連工事で早岐に移転し、懐かしの写真となっています。


 「さくら」廃止で、14系と24系25形混結の「さくら・はやぶさ」、及び「富士」は無くなり、14系「富士・はやぶさ」とするべく、シングルデラックス(A個室)オロネ25をオロネ15 3000番代に改造することとなりました。改造を終えた同車の、最初の使用列車が「さくら」であったのも皮肉です。


 かつて「九州特急」と呼ばれ隆盛を誇り、多客期にはプラチナチケットであった列車たちが、遂に1往復のみとなった時点で、衰退を感じずにはいられませんでした。「来るべき時が来た。」と思いました。「せめて、最後のヒトスジ位、」と思いたかったですが、それは少し現実が見えていなかった、のでしょうか。使用車輌も経年30年を越え、正直古さを感じずにはいられませんでした。だからこそ、「いつでもお別れできるよう、出来るだけ、利用しよう。」と思いました。


 そして帰りは、九州発の気動車特急でしたが、その話は長くなるので、また次回とします。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
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