Sengoku1985

何故、私は鉄道を撮り続けるのか?

Kyusyu Railway Company#3

2014-05-13 | 鉄道写真


 平成15年のゴールデンウィークに、私は念願のカメラ、D100を手に入れ、運用を始めました。カメラ屋で、FinePixとどちらが良いかと聞くと、こちらが良いと勧められ、買ったカメラでした。当時は何処でも羨望の目差しで見られたものです。


 テスト撮影を除くと、その最初の撮影画像が、この写真、EF66 53(「関」)、寝台特急「彗星・あかつき」でした(写真)。当時はレンズまで考えておらず、広角側が全く足りず、中途半端な画像となっています。やはりAPS-Cサイズ素子には、18ミリ以上の広角が必要です。



 そして乗車した、「彗星」南宮崎到着の図(写真)。ED76 90牽引ですが、こちらは更にどうしようもない画像になっています。



 宮崎から青井岳を越え、鹿児島、指宿へ。フェリー港のある山川では、キハ200形「なのはな」と、筑豊・篠栗線(現在の「福北ゆたか線」)電化で余剰となった「赤い快速」が並びます(写真)。これは、見るに堪えます。



 そして日本最南端の終着駅、枕崎へ(写真)。当時はまだ、鹿児島交通と接続していた名残の駅舎が残っていました。今は、駅舎さえ無い寂しい終着駅ですが、駅舎が復活するという話も聞きました。



 そしてお帰りは、「さくら・はやぶさ」です(写真、ED76 66、門司での撮影)。



 同列車は、門司で牽引機がEF81、410に交代します(写真)。



 そして下関からはEF66 43が牽引しますが、大光量フラッシュのためか、正面からの撮影が不可能なように柵が設置されてしまいました。そのため、こんな中途半端な画像となってしまいました(写真)。


 当時は九州方面寝台特急が計5往復(東京発3往復、京都発大阪発各1往復)あり、まだ安心していました。ただ、実車の乗車率を見ると正直心配であったことから、九州に行く時はなるべく寝台特急に乗るよう、心がけました。それが、今回の連載の中枢をなしています。


 その後、どう推移したのでしょうか。今後にご期待下さい。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
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