またしてもヘタレ画像で始まった今回の投稿。もう暫くご辛抱下さい。
平成13年早春、二つの目標を持って九州に向かいました。一つは、筑肥線・福岡市営地下鉄の新車を撮ることでした。それがこの写真、303系です(写真)。
国鉄末期、筑肥線が電化され、福岡市営地下鉄と直通運転が開始されるにあたり、投入車両を検討したところ、省エネ効果が無いとして、201系や203系のようなチョッパ車では無く、抵抗制御の103系が製造されました。1500番代を名乗るその車輌は、103系総勢3,446両の最終ロットに入る車両でした。その後JRになってから追加製造されたのが同系で、3編成18両の小所帯です。近車製のVVVF車、JR九州の数少ない直流電車です。
そして、熊本へ。DE10 1638が、熊本運転所内で客車の入換をしています(写真)。
そして熊本駅5番線に据え付けられたのは、24系25形寝台特急「はやぶさ」です(写真)。
続いて、牽引機ED76 70が入線(写真)。客車に連結されます。
そして、出発を待ちます(写真)。もう一つの目標は、寝台特急「はやぶさ」への乗車でした。
鳥栖での「さくら」との儀式まで頭が回らず、そのまま門司を過ぎ、下関へ。関門トンネルの牽引機ED81 411が切り離され、待避します(写真)。
そして東京方先頭は14系「さくら」です(写真)。14系客車と24系客車は、構造はほぼ同じで連結は可能、電源はそれぞれで独立していたようです。当時は個室A寝台オロネ25も、未改造でした。
そして下関からの牽引機、EF66 53が、ポップアートのヘッドマーク「さくら・はやぶさ」を装備し、長駆1,000キロの出発を待ちます(写真)。東京に着くのは翌日昼近く、翌朝の「のぞみ」でも同じ位に到着し、本当に鉄道の旅が好きな、一部の人のみが利用する列車になっていました。
日本最大の暴力団は、昔は神戸が本拠地だったはずなのに、いつの間にか中心組織は名古屋になってしまいました。その組織は「ブルー」という言葉に拘りがあります。それで「ブルートレイン」に因縁をつけられたのか、JR東海は寝台特急には消極的で、車内の再整備のためでしょうか、4時間遅れになった、なんてこともありました。だけど、一体名古屋の何処に、それだけの旨味のある資金源が発生したのでしょうか。
「あけぼの」も廃止となり、事実上「北斗星」のみとなったブルトレは、もう思い出の中の列車になってしまったのでしょうか。普段から利用を心がけなかった私たちも悪いのですが、夜間寝ながら移動する、ということは、もうメリットが無いのでしょうか。バスでも飛行機でも1万円、となると、経済性だけで選択されるものなのでしょうか。残念です。
ここ十数年の九州行きの歴史は、寝台特急衰退の歴史です。島内の列車と併せ、気長に追っていきたいと思います。
それでは、次回をお楽しみに。