Sengoku1985

何故、私は鉄道を撮り続けるのか?

Kyusyu Railway Company#1

2014-05-11 | 鉄道写真


 先回の連載に続き、いきなりヘタレ画像から始まってしまった本連載。実は着想自体は先の連載より早かったのですが、今日時点でも最後が決まっておらず、とにかく始まってしまいました。


 写真は平成12年GW、大分駅から大分運転所を眺めた図(写真)。寝台特急「富士」のヘッドマークを装備した、EF81 411が停まっています。高架化工事で、跡形もありません。しかし、当時に今の機材と技術があったなら、と思います。



 大分からは、特急「あそ」(写真、キハ185 1001他)。JR四国が2000系導入で余剰となった同系を、JR九州が譲受したものです。現在は「九州横断特急」と名を変え、急行「くまがわ」の運用も取り込み、しかも「A列車で行こう」に2両供出し、車両運用はギリギリの感がありますが、特に事故も無く運用に就いています。



 国鉄末期の一般形の新車、キハ31 1です(写真)。豊後竹田で、列車本数がが少なくなる区間を走ります。



 豊後竹田から県境を越え、熊本県へ。丁度宮地では、8620形58654が、当時の「SLあそBOY」折り返し運用の準備をしていました(写真)。



 そして宮地機関区当時からある転車台に載せます(写真)。転向後、熊本行きの準備を始めます。


 当然席は予約してありましたが、帰りは下り坂で、やはり見せ場は上り坂、この様子を見て、当時マルスの無かった同駅で、翌日の席を即予約しました。手書きの指定券でしたが、今はどうなっているか。



 山を下りると、熊本駅地平ホーム5番線には、寝台特急「はやぶさ」が停まります(写真、ED76 65)。ヘッドマークは半球形の「さくら・はやぶさ」、博多以遠は車庫の都合のみで、既に運転の目的を失っていたことに気付きませんでした。「はやぶさ」という名も、「薩摩隼人」から命名されたものであって、鹿児島と無縁になった時点で運命も決まっていました。



 その奥は熊本運転所、留置線に高速軌道試験車、マヤ34 2009が停まる、長閑な場所でした(写真)。現在この位置は新幹線高架ホームと、西口駅前広場となり、様相が一変しています。これは僅か14年前です。


 20世紀最後の年、確かにデジタル一眼D1は前年デビューしていましたが、価格は約60万、後は玩具同然のデジカメのみで、まだ信用できませんでした。そのため、この程度の画像となっています。


 熊本駅周辺には、まだ九州新幹線の面影もありません。歴史的写真である、という気がします。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
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