伊賀上野が元気になればいいなあ!

上野の城下町、どうなっていくんだろう、、、見守る元気はないけれど、静かに生きていこうと思う(笑)。

丹波篠山紀行 其の四 春日神社編

2009-05-31 01:13:03 | 赤梟の部屋
さて、今回の最終となった、春日神社編です。
春日神社は、お城の北側にございます。


(春日神社)

この神社は奈良の春日神社の分霊を勧請したもので、篠山城築城時に現在の場所に移られた様でございます。

文久元年(1861)に藩主によって寄進された能楽殿では、毎年元旦の午前零時に元朝能「翁」が奉納される、日本中で一年の中で一番初めに演能がある能楽堂となっております。又、春には春日能が奉納されます。


(春日神社能楽殿)

そうして、実はここへ来る迄に、既に妻入商家群の入り口で見つけていた、この建物。どう見てもだんじり蔵にしか見えず、蔵の横にあった立て看板で、やはりだんじり蔵であった事が判ったのでございます。



天保四年に創建と読めます。

中にはどんなだんじり・・山鉾が入っているのだろうか?と思っていましたが、神社のご神殿の軒下に、、ありましたよ写真が、ってなんで軒下に?




思わずシャッターを押してしまいました。

写真にある町の幟からすると、これが先程の蔵に収まっている山鉾ですね。2層の囃子屋台、鉦は2連ですね。軒下の写真からすると、全部で8基。どれもほぼ同じ形。お囃子はどんなだろう?

この山鉾が出揃うお祭は、春日神社例祭。10月です。
はい、上野天神祭と同じ月ですね。
観るチャンスは無いでしょうか、、残念であります。

だんじり蔵を発見してからというもの、蔵の中身がずっと気になってしようがなかったのですが、写真とは言え、形や雰囲気を確認出来たので、まずは願いは叶ったと、さあ戻ろうかと歩いていたら、

例の商家群のお家に、これまたどこかで見慣れた「あるもの」が、、、



いやいや、どこまでもよく似た雰囲気の町でした。

伊賀上野と兄弟の様なイメージを持った丹波篠山の城下町、何度か訪れるに連れ、佇まいや空気感をご紹介したくなって、我ながらおこがましい紀行文となりましたが、今回はこの辺でお開きでございます。

まだまだ観る事の出来なかった場所、「肝心の城跡に行けてねーぞ」とか、「武家屋敷群も観たかったぞー」とか、「そう言えば、伝統的町家を観光客向けに休憩所(カフェ)にしてたなー」とか・・・。
いっぱいありまして、勿論この後も篠山を訪れる機会はありましょうが、今回と同じ様に、も一度散策してみたい、と思いました訳でございます。【赤梟】


「伊賀乃風」の使命

2009-05-31 00:35:19 | 町づくりって楽しいかも!
そんな大げさなこと!って笑わないでね。
週末に夜な夜な集まる「ばか者」(当事者のメンバーたち、ごめんなさいね)、それをそっと見守る者、陰で応援する術はないものかと模索する者・・・いろいろ集まってるんです。

ほんでもって、何をするの?
「目標」はひとつ『元気!!』

伊賀市の中心市街地活性化の基本計画には48もの事業が掲げられていて、どの事業を誰が進めて、その資金はどうするの、と考えると気が遠くなる。でも時間は4年と数ヶ月。
この期間中に目標を達成することができる事業計画のものには「国が補助金」を出しましょうって、でも補助金があろうがなかろうが、このまま放っておけない状況なのが中心市街地(伊賀の場合は旧上野地区とよばれるところ)。

そこで、

ここ本町通りとよばれる界隈で「空き町家」となってしまっているお家を、外観はあまり変えないけれど、「うなぎの寝床状」のままでは住みにくい、その家の中身をリニューアルして、新しいお店を作ったり、伊賀内外から訪れる人たちの交流空間を創ったり、周辺農村部との連携を考えたり・・・

そんなことを口先だけでなく、実際に行動に移していこうというメンバーが10人ほど集まってます。
やる気と智恵と軍資金を持って・・・

「伊賀のいいもの(風景であったり・食べ物であったり・お酒であったり・出会いであったり)」そして「元気」を提供するのが「伊賀乃風」。

伊賀に帰る
伊賀を変える
芭蕉の俳句の「古池や 『蛙』飛び込む 水の音」にあやかる『かえる』

【伊賀かえるカンパニー】にエールを送ろう!と思う。

なんや、そのなんとかカンパニーって?
伊賀の里づくりを考えるのが「伊賀乃風」
なんとか「カンパニー」は、そのなかの「ひとつ」、とりあえず「秋」開業が目標!