『これまで、能面師である親父のお供をして何度か訪ねた兵庫県篠山市。
今回も、親父の運転手で行きました。ただ、いつもと違い、以前から気になっていた、城下町や町家を見て歩こうと思い立ち、無事実現した次第。
丹波篠山と言えば、黒大豆や丹波大納言小豆など、又マツタケをはじめとする山の幸、そして丹波杜氏を排出した酒造りの町として有名です。
その実、篠山は古くから京都と山陰、山陽を結ぶ交通の要衝(ようしょう)であり、江戸時代には、大阪城(豊臣氏)と西日本の大名を分断する格好の地として、軍事上重要な位置づけがされ、慶長14年(1609)徳川家康の命による天下普請によって、篠山城が築城されました。
翌15年(1610)から城下町が整備され、丹波国篠山藩6万石の中心地として栄えました。
(篠山市観光パンフレットより引用させて頂きました)
・・・交通や文化の要衝であった事、大阪城を睨む目的でお城が建設された所、成り立ちがとてもよく似た町を自分達は知っています。そう、忍者で有名な、「あの城下町」です。
篠山のお城の「縄張り」は、築城の名手だった藤堂高虎が行っています。
「あの城下町」だってお城造りと城下町整備を「藤堂の殿さま」がされております。
篠山は現在「築城400年祭」の真最中。そういえば「あの城下町」では、昨年「藤堂高虎入封400年祭」があって、再来年の2011年には築城400年を迎えます。
ここまで歴史や地域特性が似通ったそれぞれの町、遠く離れてはいるけれど文化や人の気質はどうだろうか?
こうして書いていても、文字が勝手に躍りだす様な、不思議な興奮を覚えた紀行文を記録しようと思います。
いやいや、さてさて、はじめましょうか』【赤梟 記】
ミステリアス! わくわくしますねぇ~
黒豆・マツタケ・酒・・・ とっても魅力的!
違うちがう 「城下町」の成り立ちに「縁」を感じますねぇ、篠山と伊賀って。
今回も、親父の運転手で行きました。ただ、いつもと違い、以前から気になっていた、城下町や町家を見て歩こうと思い立ち、無事実現した次第。
丹波篠山と言えば、黒大豆や丹波大納言小豆など、又マツタケをはじめとする山の幸、そして丹波杜氏を排出した酒造りの町として有名です。
その実、篠山は古くから京都と山陰、山陽を結ぶ交通の要衝(ようしょう)であり、江戸時代には、大阪城(豊臣氏)と西日本の大名を分断する格好の地として、軍事上重要な位置づけがされ、慶長14年(1609)徳川家康の命による天下普請によって、篠山城が築城されました。
翌15年(1610)から城下町が整備され、丹波国篠山藩6万石の中心地として栄えました。
(篠山市観光パンフレットより引用させて頂きました)
・・・交通や文化の要衝であった事、大阪城を睨む目的でお城が建設された所、成り立ちがとてもよく似た町を自分達は知っています。そう、忍者で有名な、「あの城下町」です。
篠山のお城の「縄張り」は、築城の名手だった藤堂高虎が行っています。
「あの城下町」だってお城造りと城下町整備を「藤堂の殿さま」がされております。
篠山は現在「築城400年祭」の真最中。そういえば「あの城下町」では、昨年「藤堂高虎入封400年祭」があって、再来年の2011年には築城400年を迎えます。
ここまで歴史や地域特性が似通ったそれぞれの町、遠く離れてはいるけれど文化や人の気質はどうだろうか?
こうして書いていても、文字が勝手に躍りだす様な、不思議な興奮を覚えた紀行文を記録しようと思います。
いやいや、さてさて、はじめましょうか』【赤梟 記】
ミステリアス! わくわくしますねぇ~
黒豆・マツタケ・酒・・・ とっても魅力的!
違うちがう 「城下町」の成り立ちに「縁」を感じますねぇ、篠山と伊賀って。