伊賀上野が元気になればいいなあ!

上野の城下町、どうなっていくんだろう、、、見守る元気はないけれど、静かに生きていこうと思う(笑)。

「免疫」の不思議

2010-06-27 01:57:08 | ちょっと闘病日記風かな?
自分自身で納得するのが一番!

稀な病気ではあるけれど、ネットなどで調べれば調べるほど、同じような症状で「辛いなぁ」と思っている人は多いなと思います。(統計的には500人に一人とか、伊賀市内だけでも200人はいる勘定になります。)

実際、身近なところで自分自身で納得するために「通販」とか「サプリメント」に頼る人がいるかもしれませんね。
でも、ハッキリ言って「免疫異常による代謝異常」という原因を突き止めてくださった先生がいる!とわかれば、やっぱり「何がなんでも行きたいし、行かねばならぬ!」と思いました。

そんな一途な思いを「宗教みたいやな」とか「なにもそんな遠いところまで行かんでも」と思われる方がいるかもしれませんが、「治るんだと、信じること」に勝る「薬」はないと感じております。(病は気から、と言いますが自分の体の中で起こっている異常は、一人では治せません!!)


とあるお店の新規オープン(まちづくり会社関連の事業でした)を控えた今年の年末年始、思うように休みの取れない日々が続いていました。

そんななか、オープニングイベント等もちょっと一段落したと思ったら、ポツポツと小さな水ぶくれのような「膿疱」が出来始め、腰痛も重なり、耳も変!?ということで「皮膚科」「整形外科」「耳鼻科」「内科」と、駆け巡る日が続きました。

仕事もろくにできない状況で、まちづくり会社の仲間たちには本当に申し訳なかった。
1月から3月まで出勤できる日もあれば、まったく仕事にならない日もありました。(キュウリョウハ 返上!シマシタ。)
このままでは、同僚たちに余計な迷惑をかけるだけだし、思い切って「治療に専念することも必要」(多分、神様の思し召しと思います)かと思い、3月末に退職願を出しました。

あっちこっちの病院を探しては、通院する生活と、NINJAフェスタイベントも重なりました。
思うようにならない身体ではありましたが、私にとって「NINJAフェスタ」があったおかげで、辛い日々を乗り切れたんではないのかな、と今更ながら思います。

当時(フェスタ期間中)、「あんたは、道場の前に座って、気配り・目配り・心配りをしていればよろしい!」と言われ、ひたすら「写真を撮って、ブログアップ」に勤しんでおりました(笑)。多くの方々に助けていただいたし、私が中心人物というわけでもないのですが、いろんな人々が集まってきてくれたのが、嬉しかったのです。

そんな日々を送っておりましたが、症状は悪くなるばかり・・・このままではいつまでたっても治る見込みがない!と思いたったが吉日、やっぱりワタシは「秋田の病院に行きたい!」と思い切って家族に伝え、秋田・本荘第一病院に「予約の電話」を入れたのが、4月28日のこと。

何故、この病院だったのか!?

電話と同時に「2ヶ月先なら予約は取れます」という受付の女性のやさしい案内に、「よろしくお願いします」と申し込む。とりあえず「症状がわかる写真を送ってくださいね、それによって予約受付の案内葉書をお送りしますからね」とのこと。

秋田から「予約受付」の葉書が届いたのが、1ヵ月後の5月も末。(やきもきしてたんです、実は。)
『6月14日』に来てください、診察いたしますからと書かれておりました
いよいよ「秋田行きだ!!」と、嬉しいやら不安やら、東京から東には行ったことないし・・・と、悩みました(苦笑)。そこに助っ人があらわれた、娘ですけど・・・嬉しかったなぁ。

そんなこんなの顛末をここ2週間ほど、当ブログに綴っていました。
まったく個人的な「通院記録」ではありますが、きっと、私だけではない。
他にも同じように苦しんでおられる方もいるかもしれないし、身近なところで『難治性の病気』と言われたり、『これは、ゼッタイ治りませんよ』と言われ続けている方がいるかもしれないと思い、下手な「紀行もどき」を綴り、勇気を出してくださいという「エール」を送ったつもり・・・


前置きが長くなりましたが、
秋田へ行って『治りますよ』と言っていただいた。
ただし、ゆっくりじっくりですよ、あわてない慌てない!と。

免疫機能を中心に行われた血液検査、ふだん「健康診断等」で行う検査よりちょっと複雑で細かいところを検査してくれたようです。

この病気(掌蹠膿疱症・ワタシの場合)

・免疫の異常によって発病しているとのこと。

・合併症の有無の検査⇒腎臓病・糖尿病の合併はしていないとのこと。(尿検査で「糖」はは検出されず。血糖値も正常の範囲内。)

・血清蛋白検査⇒α2-グロブリン、βグロブリンの割合の上昇⇒病気が進行中である。
※アルブミン:58.7%
 α1-グロブリン:2.6%
 α2-グロブリン:9.4%(健常者8%以下)
 βグロブリン:10.7%(健常者9%以下)
 γグロブリン:18.6%

・血清免疫グロブリン濃度⇒正常の範囲内、ただし病気が進行中の場合しばしば観察され、抗体が作られるそばから次々に皮膚や骨膜に沈着してしまうため、血清中濃度は「見かけ上」正常の範囲になっている。

・リンパ球の割合
※【Tリンパ球とBリンパ球は相互に連携して、免疫ネットワークを形成する】

リンパ球は、白血球の25%ほどを占めていて、抗体作りを調節する「Tリンパ球(T細胞)」と抗体作りをしている「Bリンパ球(B細胞)」とに分けられる。

リンパ球は、ウイルスなどの小さな異物に対して攻撃するほか、抗体を使ってあらゆる異物に対して攻撃を行います。

この病気の場合「Bリンパ球」も「Tリンパ球」も増加傾向にあるらしい。
ワタシの場合
※Tリンパ球:14%(健常者4~13%)
 Bリンパ球:80%(健常者55~75%)

そのTリンパ球(侵入してくる外敵を攻撃する作用)の内訳は、
・「ヘルパーT細胞」(抗体を作るように指示)⇒この割合が多い。
※ヘルパー細胞:55%(健常者35~45%)

・「サプレッサーT細胞」(抗体作りを抑制する)⇒この割合が少ない。
※サプレッサー細胞:22%(健常者25~35%)

すなわち、『リンパ球の抗体作りが亢進し、作られた抗体が皮膚や骨膜にどんどん沈着し、病気を発生させ、なおかつ進行中である』ということのようです。


【そこで、『ビオチン』】

ビオチンには、体の中でおこっている代謝異常を改善するだけでなく、免疫機能も改善して、抗体作りを正常化する作用があるとのこと。
その結果、病気が治るのですが、この作用は「即効的」ではありません。
治療効果が出るまでに時間がかかります。
治療を中断しないように、ご快癒を祈念しております。


・・・との報告書をいただきました。

どうして、こんな細かいことまで報告させていただくかといいますと、フツウの「血液検査」では測ることのない「検査項目」があるようで、この血液検査の結果次第では「骨又は皮膚に異常がなくても、この病気(掌蹠膿疱症)にかかっている可能性もある」ということがハッキリしているわけです。
「血液」の状態を診る!!ってことは、すごい発見があるんだな…と素人ながら驚いたわけです。

余談になりますが、我が愛すべきお義母さんも、このより細かい血液検査のおかげで「○性○○性○血病」と診断されました。「天理よろず相談所病院・血液内科」に通い、「いいお薬」を飲んでいるお陰で血液検査結果は「正常値」近くに戻っております。最新の「お薬」だそうです。もう、びっくり!!です。

血液検査もそうなら、もちろん「レントゲン撮影」にもいえるわけですが、フツウのお医者さまから「何も骨に異常はありませんよ」と言われ続けた人。
いろいろご自身で調べて、やっとの思いで「秋田」まで来られた方々の中には、実際「痛い」と苦しんでおられる方がいるわけです。
そんな光景を目の当たりにしてきたワタシとしては、少しでも不安があれば「大学病院」なり、大きな「総合病院」なりでしっかり検査してもらってくださいね、ということだけは自信を持って書けます・・・
どんな病気にせよ、一人で悩んでないでいろんな方法でご自分の体のこと、調べていただくことをお薦めします。

ただ、伊賀地域の「医療体制」にはいささか不安を感じますが…どうしたもんでしょう


参考までに、アトピー性皮膚炎で悩んでおられる方にもよさそうですよ。
アトピー性皮膚炎を理解していただくために」(そして、ビオチンのこと


長々と失礼しました。


羽田空港 広すぎっ! 飛行機編 その2

2010-06-25 12:06:09 | ちょっと闘病日記風かな?
なんだかんだといいながら、羽田空港の発着陸混雑もいつまでも~~というわけではないので、秋田空港を定刻より数分遅れで出発。
機内で席に着いて見渡せば「定員120~130名」くらいですね。でも、ほぼ満席。1週間前の火曜日、サラリーマンと思しき人が多かったような。

ANA(全日本空輸)の飛行機に乗りました。
たった45分ほどの「空の旅」、お天気は上々!景色もばっちり!!
写真に撮れないことが悔しいけれど「安全運行」のためなら、我儘は言ってられません。

機内にて、無料でいただける飲物が「緑茶とりんごジュース(期間限定)」とのこと。
(羽田までに「緑茶」をいただいて、次なる伊丹行きで「りんごジュース」をいただこうと、心に決めた!!)


さぁ、羽田に着きました。
ちょっと航空代金をケチったために「羽田空港乗換え」です。
直行便では味わえない「乗換えの旅!!」
1時間ちょっとの「羽田滞在」、ところが

しかし、待てよ、ここに見えるの全部「ANAばっかり!?」(着いたところは、第2ターミナルでした。)
じゃ、JALや他の航空会社の飛行機は「何処に!?」(第1ターミナルらしい…)
“BIG BIRD”とはよく言うたもんですね、でっかい鳥の翼!?

両ターミナルに「青」や「赤」の翼を持つ飛行機がいっぱい



ここで問題の「チケット」
『搭乗口60番』!!
秋田では「2階の3」なのに、ここは『GATE60』??

「乗換え」の人しか通れないゲートを通って、歩く歩く・・・ひたすら歩く・・・
さっさと前を行く娘に「お~い、ま~だだか~い??」

娘 「そうだね、だんだん数字は若くなっていくね、もう少し頑張って歩いてね~~」

ワタシ 「ぇえ~っ、ま~だだなん???」

とんだ「珍道中」であります(苦笑)。
(ちなみにこちら第2ターミナル、(ブログを書きつつ)調べましたら51番~70番までありました。『60番搭乗口』って、丁度中間地点みたいなもんだったんですね。降りたところが確か端っこだったうような気がします。)


なんとか辿り着いた「60番」ゲート近くで、「ともかくお昼ご飯にしよう!」と。
(ここは、第2旅客ターミナル内にあり、搭乗者のみ利用できる店舗でした。)

さて、『伊丹行き』の出発は、午後1時。

娘 「食べてから、(痛い足は)ゆっくり休めてね。」

ワタシ 「あい、わかった」(半分、べそをかいてるハハだった…)


まぁ、なんやかんや頑張って歩いたおかげで、ちょっと「まったりタイム」
待合室の一番前に座って、ゆ~っくり外を見てました。


今度はこれに乗るの? なんか秋田から乗ってきた飛行機より“でかく”ないかい??
一体、何人乗りの飛行機なんだろうねぇ・・・


ぼ~っと見てましたけど、東京湾を航行する船、速いですよ。
気がついたらカメラの液晶画面の端から端まで、あっという間!に通り過ぎていく。


秋田で見るより、どの飛行機も大きく見えるのは、気のせい??


あの飛行機、どこへ飛んでいくんでしょうねぇ・・・

出発時間も近づいてきました、ぼちぼち「搭乗口」へ行きましょう、写真撮影はここまで!

機内では、丁度『翼』の真横でした、ちょっと景色が見にくかったんですがおかげで『翼の働き』しっかりと見てきました。微妙な調整を繰り返しつつ飛んでいるんだなぁと感心してました、いい仕事してます・・・(笑)

ただ、飛行機後半の旅は『雨雲の中』、視界悪すぎ、ちゃんと降りられるのかしらん?と心配になる(ここらへんが初体験者の弁です)。

そうはいいながらも、もちろん、伊丹行き飛行機内ではちゃっかり「りんごジュース」(無料サービス)をいただきましたとも。

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心配せずとも、ちゃんと「伊丹空港」に着きました、ここはやっぱり でした・・・


帰路は我が家のマイカーで「新名神経由」で帰りました、とさ。

空港で2泊した駐車料金は、しめて4,500円ほど・・・お世話になりました!!

秋田への「通院母娘珍道中」これをもちまして、終了とさせていただきます。
長々とお付き合い、ありがとうございます。


こんな報告を書いている間にも、秋田の病院から「検査結果報告」届いております。
ちょっと真面目に改めて報告します・・・ね。


老いては子に従え!(飛行機編 その1)

2010-06-24 08:15:25 | ちょっと闘病日記風かな?
友人知人そして家人、いろんな人に「帰りはで帰るように!!」と。

「“節約!”というのは、“時間を買う”ものです!」
「長旅でしんどい思いをすることが賢い選択ではないよ」と、そこまで言われたら“挑戦”しようじゃありませんか。
いえね、べつに怖いとか、なんで鉄やアルミの塊が飛ぶねんとか、そういうつもりはないんですけど切符を買ったり、荷物の検査があったり、けっこう面倒くさそうではありませんか!?

でもま、すべての手続きは娘がしてくれるわけだし、ワタシは彼女の後ろをひたすら追いかけていればいいわけで・・・(「老いては子に従え」というではありませんか、ねぇ。)


6/15午前10時40分、秋田空港発羽田行き に乗るために

カーナビを「秋田空港」に設定しまして、ホテルを出発。
途中「自動車専用道路」を通ります、(伊賀人は、「名阪国道」だけかと思ってました、自専道路なんて(笑))
この青空に注目!!


「何を写真ばっかり撮ってんの!?」ってバカにされながらも(笑)、日本海側の秋田でしかもこの梅雨時期に、この青空
日本の西半分は大雨らしいと…昨夜のニュース(6/14のことですよ)で言ってたし、『青空に向かって突っ走れ!!』ですよ

さて、レンタカーを返しにいけば、レンタカー屋さんが空港まで送ってくれて、歩いても近い距離ではありましたが荷物が重い者にとっては、とても嬉しいこと。

空港に行ってはじめに何をするのかと思ったら、ネット予約だったので「先ず、搭乗案内書を買うこと!!」だって。(別の名を『航空券』というらしい。)

ふむふむ、ああしてこうして・・・???(この搭乗案内書なるものが、あとで『搭乗券』に化ける…らしい。)

娘 「こっちは、秋田から羽田の分。そっちは羽田から伊丹の分。わかった?なくさないでよ!」
ワタシ 「はい、わかった、間違って出したらあかんのね!?」
娘 「当たり前でしょ。切符はどこに仕舞うか決めておいたほうがいいよ、あとで『あっ、切符がない』ってことのないようにねっ!」
ワタシ 「はいはいっ」(ひたすら従う従う


「秋田空港」と「羽田空港」、規模の違いをこのときはまだ知らなかった。
『搭乗口』は2階の『3』なのね・・・


さぁ、「手荷物お預け」です。

ワタシ 「どんなもんを預けたらいいの?」

娘 「大事なもの、乱暴に扱われて困るもの、カメラ・携帯電話は使えないけど(機内に)持って入った方がいいと思うよ。私はパソコンは持って入るわ。お土産は宅急便で送ってもらえばいいしね。」

ワタシ 「あっ、そう。じゃ、ワタシは財布とカメラと携帯と命!さえあればいいわ。」(新・新三種の神器!?)


秋田空港搭乗口付近にある「みやげ物店」。(ネット販売はこちらでございます。)


さすが、米どころ秋田、お酒ありすぎ・・・う~~ん「限定酒」に弱いのよね、ワタシ。

日頃何かと面倒ばかりかけてるkanちゃんに(彼女、日本酒、死ぬほど愛してる(笑))、
訳もわからず「限定酒・澄月」とやらをGet。
(ちゃんと、ブログで紹介してくれてますよ~⇒『伊賀の日本酒大好き』(秋田編?))


どうも、この飛行機に乗るらしい。
搭乗口で航空券のバーコードをピピッとすると『搭乗券』が出てきました。
ANA874便に乗るらしい。切符に名前まで印字されてる、ということは・・・
万が一、飛行機が事故に会った時は、これで搭乗者の名前が確認できるわけね、すご~~(でも、びびってきたわ、ワタシ)

娘 「携帯の電源切ってねっ!デジカメ撮影もダメよっ!!」

ワタシ 「はい、わかりましたっ!」(超、緊張してる?ハハでした。)

機長さん「羽田空港滑走路、大変混雑しております。飛行許可が出るまでしばらく待機いたします・・・・・」

「へぇ~、飛行機って渋滞するんだ・・・」


次回は「羽田空港編」で、オ・シ・マ・イ



あきたでばんごはん 

2010-06-22 00:44:05 | ちょっと闘病日記風かな?
秋田への初通院に付き添ってくれた娘へのせめてものお礼・・・なんてそんなセンチメンタルなものではなく、ただ二人とも長旅で疲れ果て、「食い気」だけが元気だったという、それだけ。
宿泊先のビジネスホテルにて「近くでお薦めの美味しいお店は??」なんて厚かましいことを聞き、教えていただいた処。
徒歩3分のところにあるという「伝承の味処・無限堂」!!


(やっとのことで、)“ホッと一息”できそうな空間

先ずは「お疲れさん、そして長旅のお付き合いありがとう」

多分、このご褒美があるのを一番待ってたのは、彼女!
先ずは田沢湖の地ビールでカ・ン・パ・イ

ぶなの森からの贈り物


美味しい“地のもの”をいただくには「今日のお薦めはなんでしょう?」と素直に聞くのが一番かな。
日本海の海の幸、たっぷり、どれも新鮮。
魚(名前を思い出せない)の肝まで刺身にあったりして・・・
これがまた、「秋田の地酒・天の戸」にぴったし。(kanちゃんに教えてもらった地酒の名前、秋田だったらこれがいいかなって。でも迷う迷う(笑))


杜仲豚の酒粕漬け燻製がトッピングされてるシーザーサラダ、この豚(杜仲茶食べて育ったようです)メチャウマ!!

ここは「稲庭うどんの本場」とあらば

「梅風味稲庭うどん・ハーフ(サイズ)」

他に「きりたんぽ鍋」も食しましたが、写真撮り忘れ(苦笑)
もう、食べるのに一生懸命でした。


「うどん屋さんのピッツア」生地は稲庭うどん!!
麺がパリパリッ なるほど焼くとこんな食感になるのね。


彼女、ちゃっかりデザートも忘れません、春巻き生地をパリッと焼いてアイスクリームをのせて・・・
美味しく食べるにはパリパリっという「音」も大事です(笑)

ご馳走様でした、さてホテルに戻って・・・
やっと“揺れない”ベッドで寝られるわん。



残るは、「初体験の旅」

(続報)秋田への旅

2010-06-20 11:40:21 | ちょっと闘病日記風かな?
点々がないと「速報」、点々がつくと「続報」、何を言いたいのだ!
いえね、6/14に急ぎ写真だけ載せたのが「日本海という列車に乗るよ、という速報」でして、今度は「ほんまもんの日本海を見たよ!という続報」なわけで・・・

どうも伊賀の山猿としては、“海”に憧れをもっておりまして、海を見るとなんだか気持ち明るくなる気がするんですね。おまけに「治りますから、ゼッタイに」という先生のお話に勇気は湧いてくるし、嬉しかったし。

太平洋が「陽」なら日本海は「陰」というイメージを一方的に持っていたわけですが、たまたま運よくお天気に恵まれた“日本海”だったのです。

しょうもないことくだくだ書いてますが、遠くまで行った甲斐があったと思いたいですもん。


「防風林」を新しく育てているのかな。


こんな穏やかな海は、年間通してもそう多くはないと思いますが・・・どうなんでしょう?
遥か彼方に「男鹿半島」が見えるハズ(笑)。



国道一桁です。昔は「○○街道」とよばれていたんでしょうね。
冬になると「地吹雪発生予想」などが出されるようです、さすが「日本海」。


道の駅・岩城


↑↓ この場所で「夕日」に見入るカップルが多いとか、雲が出てきて「沈む太陽」激写とはいきませんでした。(残念)


さて、「道の駅」とも別れ、再び一路「秋田」へ向かう。


海の風を電力に


いよいよ秋田市内


やっぱり・・・


「雪国の信号」は、縦型だった

秋田紀行、まだつづく



おまけ、ちょっと身内話ですが、北へ行く者いれば、南へ行く者、なんてこった!!という話。

先生 看護師さんへ  

2010-06-19 00:20:37 | ちょっと闘病日記風かな?
「大変お世話になりました」

先日6/15日に書いた追加版みたいなもんです(笑)。

ワタシは羽後本荘駅下車、付添い人の長女はそのまま「秋田」まで。
秋田まで行って、空港近くのレンタカー屋さんで車を借りて、「ちょっと“ぷち観光”してくるわ」それから「病院まで迎えに行ってあげる」と言ってくれる長女と一旦別れる。

到着時刻午前4時54分、早いよ~~でもこんなに明るいのね~~(いつもだったらまだ寝てる時間ですから(笑))


早朝の羽後本荘駅前通り

何か大きな建物を建設中のようです。



「文化会館」だそうです・・・

建設費になんぼ、維持管理になんぼ…やぼな計算はやめましょ(笑)
“芸術文化”が花開けばそれでいいんだもの。


早朝の町を歩いて病院に入ってから11時間経ちました・・・

一日がかりの「診察及び勉強会」は終わりました。
すべての仲間が「長い治療期間になりますが、『治ります!!』」と太鼓判を押していただいたわけです。かなりの毒舌にへこみそうになりますが、それは先生の自信の表れでもあるわけです。
「俺を信じてついて来い」という。

無駄な治療に費やしてきた今までのことは一切忘れて、「治すためのお手伝は、これから先もずっとしますから。でも、治すのはあなた自身!」というあたたかく力強い励ましをいただき、3か月分のビオチンの処方箋を書いていただき、3ヶ月毎に更新できる手続き方法も教えていただいて、これで安心して長期間の投薬の確保もできます。

ちょっと余談になりますが、
「免疫内科」担当の看護師さんたち、ほんとに親切でした。
数人ずつグループになって「薬の塗り方」を教えてくださるのですが、「Åさん(ワタシのこと)、貴女の皮膚が一番ひどいから貴女の足で塗り方を実践しましょうね」と。
「こうやって、しっかり“擦り込む”んですよ。(ただ、塗るだけではなくて)しっかり擦り込んだあとの脂分(ワセリンですが)は、ティッシュペーパーで拭き取っていいんですよ。でないと、べたつくでしょう!?」って・・・ほんわか「秋田訛り」なんです。

話は戻って、本来なら「投薬」というのは、2週間もしくは1ヶ月ごとですね・・・
そこんところを、厚生省にかけあってくださって「遠方から来る人のために、無駄な旅費や時間を費やさなくてもいいように」という配慮を訴えてくださってたわけです。
これは本当に有難いことです。

「薬だけ」のために伊賀と秋田の往復(もっと遠くからの人も実際にはいるわけです)は、しんどいことです。でもそれを半ば覚悟して行ったわけですが、そんな方法が確立されているとは・・・やっぱりこれも「本荘第一病院・免疫内科」の前橋先生のおかげなのですね。

同じ病気、同じ治療法、病変の出ている箇所はバラバラですが、貴重な一日を「共有」できた仲間たちと病院に別れを告げます。


午後4時30分に勉強会は終わり、ロビーに出て行くと娘が待ってくれていました。

ワタシ 「よく来られたね、迷わんかった?」

娘 「この頃はね、レンタカーにはカーナビというものがあるのよ、大丈夫だったよ。」

ワタシ 「どこを観光してきたん?」

娘 「乳頭温泉郷日帰り、湯~~っくりお昼も食べたし、お昼寝もしたし、田沢湖も見てきたし…」

だそうです。若者の行動力に脱帽!!(笑)


では、いよいよ宿泊先の「秋田」へ向かいます。


しばらく、本物の「日本海」を見ながら走ります。
秋田まで国道7号線で北上すること、約40キロです。

つづく

秋田 いざ行かん その2 AとB

2010-06-18 06:12:01 | ちょっと闘病日記風かな?
さて、夜行寝台特急「日本海」ですが、この列車、大阪と青森を結びます。
琵琶湖沿い「湖西線」・「北陸線」・「信越線」・「羽越線」・「奥羽線」経由です。
関西圏と東北地方を結ぶ唯一の定期列車となっています。

古~~い記憶では(寝台急行・大和だったかな、大阪は湊町から東京まで(関西線~東海道線)走ってたような…幼い頃の記憶です、間違ってたらごめんなさい)、昔の寝台列車は3段ベッドがフツーだったような…

今はA寝台とB寝台を選べます。但しA寝台はこの列車では機関車の次の1両のみです。
早い者勝ちかと思いましたが、意外と簡単に取れます、きっと梅雨時期!!だったということが影響していると思われます。
ワタシの場合、この時期でよかったとは思います。とてもじゃないけど寒い時期に「夜行列車」で東北まではちょっと自信がない。(ただちょっと眠れないこと意外は“快適でした”よ…(笑))

定刻の午後5時47分、アマチュアカメラマンに見守られつつ大阪駅を出発。



どこかのビルの「大観覧車」、どこ??


阪神デパ地下にて購入せし弁当類。
さすが、都会の弁当は違う!なんて妙に感心してしまった、おしゃれだし、もちろん美味、
サラダ感覚の洋風寿しなどなど・・・雨模様とはいえまだ明るい外の景色を見ながら食す。
ちょっとした修学旅行気分になろうというもの。


ぼちぼち「琵琶湖」最南端あたり、大津?
車窓から動く風景を撮るのは・・・ムズカシイです(笑)。

さて、「A寝台」って

「レールに並行」なんですね、ベッドが。その幅、93cmとか。
揺れには比較的安心とか何かで読みましたが、それがなかなか「騒音は激しい」ものがあります


Å寝台・下段(の方が、料金はちょっと高め。)


Å寝台・上段(ちょっとお安い)。起きるとき頭が天井にあたりそうになったと、娘が申しております。

さて、「B寝台」です。

線路に対して直角というか、枕木と同じような並び方ですね。
ベッド幅70cmらしいです。ここも上下2段式!


食事も終わって、おしゃべりも終わって、外も暗くなってきたことだし、(普段寝たことのないような時間、多分午後10時頃ではなかったか…)ぼちぼち本でも読んで寝るとしますか。

つづく

秋田 いざ行かん その1

2010-06-16 17:01:09 | ちょっと闘病日記風かな?
長旅になることを覚悟して、運転手兼荷物持ちを雇い(交通費・宿代込み)、一路伊丹空港へ。

日曜日の午後、西名阪⇒阪神高速14号・松原線⇒同じく1号・環状線⇒11号・池田線と乗り継いで1時間半。非常に順調でした。

空港駐車場に2泊する自家用車と別れ、次なる乗り物は「伊丹空港発リムジンバス」。
関西の各主要地に向かって出ているのでバス乗り場だけでいくつあることか・・・
やっとのことで「大阪駅・梅田行き」見っけ、雨だったし、やっぱり「自分の荷物は自分で」が原則なので、ここですでにいじけそうになる・・・
「ちょっと待って~~」と(笑)


伊丹から梅田も普段ならきっと30分はかかることでしょう、ところが日曜日の午後って意外とスムーズ、15分ほどで到着。

さぁ、夜行列車の中で“食事”を取らねばなりません、ここはもう「阪神デパ地下・食料品売り場」へ直行。
あれやこれや買い込むつもりでしたが、夕方の食料品売り場はすごいです、さすがデパ地下です。田舎もんは、ほしいものだけ買って、早々に退散。大阪駅に向かう。


夜行寝台特急「日本海」は、大阪駅10番ホームから出発。


結構、“列車マニア”が多いんです。立派なカメラを持った老若男性たち・・・が。


この「勇姿」!?を撮るために。
いずれなくなってしまうかもしれない、今のうちに目に焼き付けて見ておこうという気持ちが働くのかどうか、ただの旅行人としては、へぇ~鉄道ファンっていろんなところにいるんだなぁと感心するばかり。


じゃ、ワタシも生まれて初めての列車での長旅、11時間半を共にする列車、撮っておきましょう。


ちょっと贅沢「A寝台」に乗り込みます。

つづく



ご心配かけてます

2010-06-15 23:02:09 | ちょっと闘病日記風かな?
闘病通院紀行はもう少し整理ができてから・・・(笑)

13日午後5時47分に夜行寝台列車「日本海」で大阪を出発。
本日15日、10時40分秋田発伊丹行き(羽田乗換え)の飛行機で午後2時に伊丹着、という“通院”でした。(長女に付き添ってもらって助かりました、一人だったらくじけてる・・・)

なんで、わざわざ秋田まで??と不思議に思われる方もいらっしゃるかと・・・


不意に自分の体に出現してきた得体のしれない皮膚の異常、腰部やら胸の辺りも痛くなってきた。あちこちの病院に行っても、これ!という解決策はなく、大阪のとある診療所まで通ってはみたものの、不安はいっぱい。
病名ははっきり告げられた。
けど、その治療方法は見よう見真似の「嘘っぽい」ものが多く、(それでもワタシは信じたかったんですけど)半信半疑で頼っていたのが現状。

インターネットや本を読んで、ぼやーっと見えていたものがやがて「確信」になり、「ここしかない!」と思い始め、やっとのことで「秋田・本荘第一病院」に辿りついたわけです。


羽後本荘駅

14日午前4時57分着


駅の改札を出て、早朝の本通りを歩く。
話には聞いていました、駅前のまちなみを見ておいで・・・と。
道路は拡幅され、電柱は地中化され、眺めはスッキリ。
どこかの町の真ん中にもこんな通りはあったような・・・
早朝だったとはいえ、さびたシャッター、壊れた店舗、うら寂しく見えてしまった。
違う違う、そんなんを見に行ったのではない(苦笑)


駅から車で3分、この距離なら歩ける!と思って頑張りましたが、さすがにちょっと(今のワタシには)きつかった。

病院に着いたのは5時半、目的の「免疫内科」受付は7時30分。
病院は開いているのかと半信半疑でしたが、待合に行けばすでに他科の予約券発行待ちの人10名ほど。総合病院ですのでいろんな人が待っています。5時半でこの人々??すご~~い。

肝心のワタシ、受付無事終えて2番目、そうそう一番目の人は同じ「寝台列車・日本海」から降りた人、姫路からだそうです。「主人が15年も『水虫だ!』って言われ続けて、無駄な治療に時間を費やしてました。お陰で『骨までボロボロ』で、あちこち痛い痛いと・・・かわいそうでねぇ」と、奥様。

あぁ、ワタシはまだ「皮膚が哀れなだけ、病名をはっきり告げられていただけよかったのかも」と思ってしまう。ただ、思うようには治らないんですよね、、、

そんなこんなの同病仲間=初診のひとばかり15人ほど、一緒でした。

1日で診て頂ける人数に限りがあるのですが、この病院までくればみな「同胞」です。

病気の出方は人それぞれ違いますが、
「免疫異常の成せる技、治療法はあります」
「掌蹠膿疱症及び掌蹠膿疱症性骨関節炎は治ります」
「研究に研究を重ねて探し出した日本で唯一の治療法、病気を治すのはみなさんです。」
「私は、治そうと思うみなさんの“お手伝い”をするだけです」
「だから、私を信じて、時間はかかっても必ず治りますから、続けましょう」と。

この言葉の裏には、毒舌もあり、白衣を着た○○たちのことを怒っておられましたが、「絶対治る」といわれれば嬉しいですし、少々の見苦しさは致し方ない、見かけより自分の体の中で起こっている「免疫異常」を治すことが今のワタシの使命!のように思います。

この日の午後、初診の患者がみな8階会議室に集います。



(この病院の8階からの「由利本荘市(ゆりほんじょうし)」の風景、JRの駅は「羽後本荘(うごほんじょう)」といいますが。)

その仲間がみな、先生から病気の説明を詳しく受け、みんなのレントゲン写真を見て勉強します。この病気が「皮膚」だけでなく「骨」まで病変があることがはっきりわかります。
恐いけど、「治る」という言葉を信じる、そして2年3年と途切れることなくビオチンを飲み続ける・・・それに尽きる!!と。

昔は1万人に一人とか言われていたそうですが、(先生の)調べたデータでは500人に一人の割合でいますよ、だから世の中の皮膚科・整形外科担当者たち、早くこの病気のことを勉強して世の中の苦しむ人を助ける医療従事者になってほしい!と望まれていました。

参考:「掌蹠膿疱症について」(前橋 賢先生特別寄稿)

アキタコマチさんHP「掌蹠膿疱症を完治して」


うまくはまとめられませんでしたし、秋田は遠かったけど
「行ってよかったな、これからも信じて治療に専念しよう」と、、、決意しています(笑)。

追記:昨日、本荘第一病院・免疫内科の診察では「尿検査・血液検査・レントゲン検査」が行われました。その詳細な結果は、患者一人ずつに先生が病状分析をして報告書を郵送してくれます。それが届きましたらまた、ご報告します。


寝台特急「日本海」で

2010-06-13 11:48:45 | ちょっと闘病日記風かな?
己の努力だけでは、どうしようもないことってあるもので、体全体は元気なんだけど部分部分をよ~くみてみれば・・・人様に見せられないほどの醜さであります。

どこがどうなってるの?とはなかなか説明できないので「手のひらや爪」や「足の裏」を見てもらうことたまにあるんですが、みなさん「そんな状態でどうやって『家事』してるの?」と聞いてくれます。
まぁ、工夫(2重手袋)と手抜き(掃除は毎日しなくてもまぁいいかっ、と思うとか(笑))とゆっくり動くということで、生活はできています。パソコンはしっかり打てます(笑)。

もう一つ難儀なのは、説明のし難い骨の痛み!(胸骨辺り)、鎮痛剤(ロキソニン)を飲み続けていつの間にか半年が経とうとしています。最近、右腕が思うように上げ難いのですが、例えば「目薬をさすときに腕が上がらない」という感覚ですね。
「ビオチン処方薬」も一日3回~4回、続けてますよ~~。

確かに即効性ではないけれど・・・軽んじた自己判断はできませんし、この病気(掌蹠膿疱症・ショウセキノウホウショウと読みますが)、聞くところによると「風邪薬の一日分」が「この病気の1年分」だと思ってください、というほど治癒するまでにゆ~~っくり時間がかかるらしい。(いろんな方からいろんなアドバイスをいただいております、とっても感謝しています。)

それはそれでじっくり付き合うしか仕方がないけど、やっぱりこの病気を研究された日本で唯一の先生の元で診てもらいたい!という思いは日々募ってました。

そこで、勇気を出して電話予約を申し出て、半月後届いた予約葉書。

秋田の病院から予約葉書が届いて数日間、秋田まで何に乗って“楽に”行こうか考えていました。(要するに、足裏(いわゆる土踏まず辺り=蹠)が痛いので歩く距離の少ない行程がベターなのです。)

「駅(大阪駅)から駅(羽後本荘=病院はココにある)に着く」列車があることを知り、夜行寝台特急「日本海」に決めた!(熱心な方っているんですね、鉄道マニアというのでしょうか)




往復とも「日本海」にしようと思ったら、周囲から「いくらなんでもそれは止めたほうが・・・」という忠告を受け、帰路は「秋田空港から飛行機で伊丹空港まで」、という空路に決めました。
(多分、この切符はネットで娘が買ってくれると思う。付き添い人として長女が付いてきてくれることも決定。料金的に格安のチケットということで、羽田空港でトランジット(乗り換え)して伊丹まで帰ってきます。どうか、歩く距離が少なくてすみますように

ということは、伊賀から「伊丹」まで車で行くのがベターなんですね・・・

そんなこんなの計画を練っていたら


週間朝日6/4号にて、こんな記事が・・・

いつ姿を消すことになるかもしれない列車ということで、今こそチャンスかもしれない!!

そのチャンスを病気が与えてくれたと思い直して、片道11時間半の夜行列車の旅、楽しまなソンソン。
(多分、寝てるだけだと思うけど(笑)、せっかくだから楽しみたいです。)

おまけに「土崎港祭りパンフレット」もらってきて・・・とか、○○買ってきて・・・とか、いろんな要望も承っております(笑)。秋田は「酒も美味いよ」とか、、、

その要望を実行するのは、ワタシではありませんが・・・

午後2時過ぎに出発しようかな~~
何はともあれ、行って参りま~す





やっと届いたハガキ

2010-05-23 23:22:05 | ちょっと闘病日記風かな?
NINJAフェスタ真っ最中、一本の電話を秋田県へ、、、、、
その電話から待つこと約1ヶ月。
やっと届きました。

診察の予約を申し込んだとき、病変の写真や過去の投薬履歴などを送ってください、その書類により判断させていただきます、と。
ただ、診察可能日は2ヶ月先になります・・・とのことでした。

それでもいい、ショウセキノウホウショウ研究の第一人者の先生に診てもらえるのなら、何が何でも秋田まで行こう!と決めた。

早速、撮り溜めた写真を精査して「レポート」状にまとめました。
その書類を郵送してから毎日我が家のポストをのぞいてた。
そして、5月22日土曜日午後、やっと届きました・・・(やれやれ)


【診察日は6月○日(○曜日)になります。
~中略~
診断の目安が膿疱です。病変が無いと「診察不可能」として、そのままお帰り頂くことがあります。
※お写真で判断されていても診察の結果、実際の症状から当科の対象にならないという診断になる場合もあります。
対象外になった場合は治療に結びつかないことがある事をご理解頂きたいと思います。
~後略~】

生半可な気持ちで予約申込をしたわけではありません。
醜い手指、苦痛の足裏、下肢の痒み、胸骨辺りの骨の疼き、おまけのような難聴…このままずるずる過ごすのは嫌なので、何が何でも「秋田まで行こう!」と、決めた。

乗り継ぐ回数を減らすために、「大阪発・寝台特急:日本海」を予約しようと思う・・・



(JR東日本が大阪駅 - 青森駅間を《東海道本線・湖西線・北陸本線・信越本線・羽越本線・奥羽本線(日本海縦貫線)》経由で運転する寝台特別急行列車)

だから、寝てる間に秋田県に着くんです。
ただ、1日1本、大阪発青森行き(途中秋田県・羽後本荘駅下車)、乗車時間11時間7分。
ず~っと昔、東京へ行くのに乗った関西線の寝台列車“大和”以来だ!!(古すぎ??)

切符、取れるかな?? 明日買いにいこう、JR伊賀上野まで。


ホチョウキ!?

2010-05-15 01:47:33 | ちょっと闘病日記風かな?
ちょっと、真剣に考えないと「ひきこもって」しまいそうなヨカン

どなたか「補聴器のこと」・・・いや、人に頼らず自分で考えよう!とは思うのですが、なにせ初めての経験、何を手がかりにすればいいのやら皆目見当がつきません。

知人は「美聴だんらん」はどうか!?とか・・・(笑)


今、「ぷちしょうがいしゃ」だから、気ぃつけやな!って、思ってます。
(道路に飛び出しそうになったとき、背後から車が来てました!車の音に気がつかなかった、車のせいではないんです。たまたまワタシには聞こえなかっただけなんです。)

「あの人、耳聞こえないんだって」

いやいやそうじゃなくって、ただ「(人の)話が聞きヅライ、聞きニクイ」そういう周波数があるんです。
それだけのことなんですけどね。
見た目にはちっともわからない「しょうがい」なもんで・・・

フツ~ゥに会話することができない、というか「会話するのが面倒くさい」
今、そういう感覚なんですね。

「えっ?今、なんて言ったの?」って聞き返すことをためらってしまうその感覚…
会話の流れを止めてしまうかもしれないという遠慮から、「だまっているほうがいいな」と思ってしまうその感覚…

「しょうがいしゃ」や「がいこくじん」と話す機会のある人は、「ゆっくり、大きく口を開けて」しゃべる習慣が身についているようですね。

中途半端な「聞こえ難さ」を持ってるものは、そんなことに甘えるのでなくて、出来ないことをどうやって自分でフォローしていくか!を考えた方がいいように思うのです。
なんというか、中途半端な「しょうがい」なんです。

「ゆっくり、大きく口を開けて」全ての人が話してくれるわけがないので、やっぱり世の中から離れたくなければ、
自分で自分の「しょうがい」を認めて、「聞きたい!」という努力をね、したほうがいいのかな、と。

ああ、ユニバーサルってこういうことなんだ!って。
だれにもやさしい!ことは大事なんですけど、自分も努力していかないと・・・ね。

ただ、100均ストアで売ってる「しょうがいしゃマーク」を【わざと】つけて、【堂々と障害者用駐車スペースに車を停める!!】
それだけは、してはいけません!時折見かけるんです、そういう人(話がそれた??)。

話はそれましたが、「聞きツライから、外に出ないでおこう」じゃなくて、今だからこそ、「ホチョウキ体験」必要かなって・・・思うわけ。
またいつか、聞こえるようになれば、外せばいいし・・・そんなお気楽な気持ちでいいじゃんって。


ただ、正直ずっと悩んでました。この性格ゆえ絶対「ひきこもり」にはならんし、なれん。
いろんな人の集まってる処、行きたいし!!

そこで昨日は思い切って「補聴器やさん」に行ってきました。

「先ず、“ホチョウキ”ってどんなものなのか!?慣れることが大事ですからね。
買うとか買わないとか、そんなことより“ホチョウキ”があるとベンリだねって感じてもらえればいいですし、今はともかく自分に合うかどうか『使ってみる』ことですね」って。



聞こえる「周波数」、聞こえ難い「周波数」ってものがあって、私の場合「骨振動」(聴こえの神経といえばいいのかな)は、大丈夫みたいです!・・・なので、とりあえずどんな「音が聴きたい」のか、考えましょう、と。

日常会話、電話の受け答え、近くの物音=生活音(環境音ともいう)=例えば、水の音、レンジのチン、タイマー音、電話のベル、玄関の開く音、テレビの音声、スリッパで歩くとペタペタ「音」がするんだ!という驚き・・・数え上げればキリのない日常の音。

「ホチョウキ」かけると、聴こえるんですね・・・長いこと、こんな「音」聴いたことなかったっていう「生活音」が聴こえる。妙に感動してしまった・・・

ほんでもって、都合の悪いときは(聞きたくない話の時は)はずす!!

この生活、いいかも(笑)




「スズカ」と「ツ」?

2010-04-28 16:36:10 | ちょっと闘病日記風かな?
の聞き取りができなかった・・・

「足湯」をされている方に、「今日はどちらからお越しですか?」と尋ねたときのお客様の返事に戸惑ってしまった、ワタシ。

2回も聞きなおして「そう、『ツ』から来てくださったんですか」とトンチンカンなことを言う私に、お客様が怪訝そうな顔をする。
隣で会話を聞いていたスタッフが、合いの手で「スズカだよ」って耳のそばで言ってくれたので「あぁ、鈴鹿から・・・じゃ、名阪国道で来てくださったんですね」と何とか続けられた会話ですが、これは、接客になってない!と痛感しましたね。

唇の動きで読み取るなんて高度な技術を持ち合わせていないので、ついいい加減な判断をしてしまった・・・これはヤバイなと感じた一瞬でした。

そういえば、携帯電話を上着のポケットに入れているにもかかわらず(当然バイブレーションも設定済み)、隣に居る人から「携帯、鳴ってるよ」と教えてもらうこと多々。
話しかけられても、多分こんな内容であろう??と、勝手に判断することしばしば。
その挙句が「トンチンカン」な受け答えになっているとしたら・・・あぁ、申し訳ないな、と。

自宅でも、玄関にお客様が来られても玄関の開く音がわからない、「ごめんください」の声が聞こえない。
「宅急便屋」さんがメモを置いていってくれました
ワタシ 家ニ イタノニ・・・

夕食時の会話が聞き取り難い。できるだけ「大きな声でしゃべって」とお願いするのも面倒くさいので、込み入った話でなければ「会話に入らなくても、まっ、いいかっ」と、モクモクと食べる(笑)。

最近、家人はワタシに用事があるとき、「机を叩く」。(隣に座っているにもかかわらず・・・です


しかし、どう考えてもこのままでは周りの人に気を使わせてしまう場面が多くなりそうなんで、「いよいよ、補聴器の出番か!?」と覚悟を決める。
「補聴器屋」さんに行って事の顛末を説明して「オージオグラム」なる聴力検査をしてもらった。



もちろん「耳鼻咽喉科」でも検査済みなので、だいたいのことは理解しているつもりですが、「右耳は、なかなか高いレベルの難聴。左耳も右耳の影響か病気からくるものかわかりませんが中程度の難聴状態ですね。時々よく聴こえるときがあるのなら、そのときにもう一度検査してみましょう。」とのこと。

それからでも遅くない!か?
じっくり「補聴器」のことは考えることにしよう!という自己判断に達しました。
最近、やけに音楽が聴きたくなる・・・それって、まさか今のうちに聴いておこう???

明日にはまた、ちゃんと聞こえるかもしれないし・・・(まさに、この感覚なんですよね、参考までに)

要するに、まったく「聴こえない」のではなくて、あるレベルの音域が「聴こえにくい」=「聞き取り難い」と・・・
だれかがしゃべってる、というのはわかる、けど「何をしゃべってる」のかという中味が曖昧!ということです。あしからず(トホホ)


未知との遭遇!?

2010-04-21 01:10:34 | ちょっと闘病日記風かな?
気の弱い人は、読まないで!! 素通りしてください

掌蹠膿疱症(ショウセキノウホウショウ)と診断されて、早や3ヶ月半、「ビオチン治療」ひたすら続けています。
でもこれは即効性のものではなく、じわじわと「体質改善への努力」(=免疫異常による代謝障害を克服するため)のようなもの。
もひとつ「腸」の中のバランスが崩れ、悪玉菌優勢状態であること。この悪玉菌が「本来、腸で作られるべきビタミン(H)を作れなくなっている」。
それらを克服しないことには「元通り」にはなりません。

○万人に一人、とか言われてますけど実際にはもっと多くの方たちが、私と同じように辛い思いをされているかもしれませんねぇ。一説、500人に一人とか言われてます・・・

何が辛いって、顔を見て、声を聞いてる限り、「元気じゃないの!!」と思われる(苦笑)こと。
手が異常に荒れているので、「手袋」なしでは生活できません、触るもの全てにひりひりとした痛みが生じるので。胸骨・鎖骨にも痛みがある、これは今のところ鎮痛剤で誤魔化してる・・・でも、この痛みも「ビオチン治療」で治るはず!

今は両足土踏まずに膿疱が出ては消え、消えては出る、皮が薄く張ってきたらまた膿疱が出る!の繰り返し。
だから、歩くのも苦痛、手のひら・指を使う動作すべてやりたくない!!事態になっております。(遠い昔、ピアノ弾いてた頃が懐かしい

唯一、両手の指先2・3本が使えるので、こうやってパソコンを打っていられる。
残る指先にも膿疱(のうほう)ができたら、もう何もできません、お手上げです。
おまけに『爪』にも忍び寄るこの恐怖。爪が指から剥離していく恐怖、これは未だ経験したことの無い体験=未知との遭遇。(苦笑・指先から「爪」がなくなるって、どんな感覚なんだろう??)


確かに膿疱ですけど「悪さをする『菌』は、ありません。『無菌』です。」
だから誰にも移りません、でも見るからに「気持ちは良くない」情けない状態。
(この様子、載せようかと思いましたが、見苦しい状況が苦手の人もおられるので止めました。でも、ずっと記録写真は撮ってます、治ったときに自分で自分をほめるために(苦笑)。)

一体、自分の体で何がおこってるんや!
きっと同じようなことで苦しんでいる人はいるんやろなぁ?
どうやってこの苦しみから抜け出したんやろう?
同じ病気を克服した人はきっといるはず・・・

難治性ではあるけれど、努力をすれば治ります!と「本」には書いてありますし、通院している大阪のとある皮膚科・整形外科併設の先生も「気長に治療しましょう!」と。

実は、4/19月曜日、吹田まで行ってきました。
我が家から数分の「伊賀鉄道・上野市駅」まで歩く自信がなかったので、娘に伊賀神戸駅まで送ってもらうことになってしまった・・・(あまりの痛さに甘えてしまっただけですけどね)

「診察」が終わったそのあと、電車の乗り継ぎやら地下道・地上を歩いて帰りの高速バスの停留所までの遠いこと遠いこと

大阪の町を「颯爽と」歩く人が、羨ましくもあった、けど人と比べてもしゃーない。
悔しかったら、一日3回、きっちり飲み続けること!何年かかっても・・・


気分転換を上手にしながら治療に勤しむしかないのですが、つい気持ちがめげてしまうので、こうやって毎日徒然に綴ることが、今の私の唯一の楽しみ!!

そして、NINJAフェスタがあるお陰・・・

いろんな人が「どうや?元気になってるか?」と声をかけてくださる、生憎「ま~だだよ」状態ですが、いつかきっと乗り越える・・・つもり。