伊賀上野が元気になればいいなあ!

上野の城下町、どうなっていくんだろう、、、見守る元気はないけれど、静かに生きていこうと思う(笑)。

ミュージックサイレンに思う…

2011-12-23 00:36:45 | みなさんにおしらせと独り言
上野市街地に住む身には、体に馴染んでるというか耳に馴染んでるというか、
さすがに「いつからミュージックサイレンが鳴っていたのか」記憶にはなかった。

このYouさんの記事を読んで、“1959年”からかぁ~~、人生のほとんどの日々に時計代わりに聞いていたのだなぁ、、、
(ワタシ、1954年生なのですが、昔は「産業会館」から聞こえていたような記憶があるのです、みなさんの記憶はいかがでしょう??)

 情報You (570号)

(2009.9.22)以下のような思い出を綴りました。

【我らの芭蕉さん

物心付いた頃から「芭蕉さん」と呼び、夏休みの宿題には「俳句」がつきもの。「芭蕉祭」が近づくと小学校や中学校では「芭蕉さんをしのぶ学校行事」が行われ、

♪斉唱曲「芭蕉さん」(小学生向き)


♪合唱曲「芭蕉翁讃歌」(中学生向き)


♪混声合唱曲「芭蕉」(一般)

ちなみに、この曲の冒頭の「さまざまの こと思い出す 桜かな」のメロディーは、上野市街地に流れる正午のミュージックサイレンにも使われています。(伊賀市役所から流れるメロディー付きサイレンです。)

その楽譜


♪混声合唱組曲「奥の細道」(一般)


などを歌い継いできました。

親から子へ、子から孫へと歌い継がれる「芭蕉さんの歌」があるのは、きっとここ伊賀だけではないのかな・・・と思います。

伊賀の子供たちの間では、10月になるとどこからか「♪あ~ゝ、ばしょうさん♪」という歌声が聞こえるし、大人になってもすぐに歌うことができる。
これは素晴らしい伝統だと思う。


ミュージックサイレンのことを書いたので、参考までに
♪午前7時の曲は、ビゼー作曲「ペールギュント組曲」より【朝】のテーマ

♪正午は合唱曲「芭蕉」より【さまざまの】

♪午後6時は、ドボルザーク作曲「交響曲・新世界」から【第2楽章・家路より】のテーマ

♪午後10時は、ブラームス作曲【子守唄】 でした。】


2011年12月現在、午後6時の「家路より」は聴くことはできません
その昔、このサイレンをきいて子どもたちは三々五々家路につきました・・・

今は午後5時に、防災無線が「七つの子」を奏でますが、外で遊ぶ子どもたちはいるんだろうか


雑感、芭蕉さんのことを書いたついでにふと思った。

「新芭蕉記念館」って、ほんまに必要なんやろか? 我らの芭蕉さんはそんなこと願ってるんやろか?

後生大事に守り伝えたい歴史資料を、、、きちんと保管したい!そのための「蔵」がほしい!それだけの素朴な想いではないのでしょうか。

誰がこの記念館に「年間○○万人の観光客を望む」のでしょうか?
伊賀市全体の観光客は如何ほどか、年々下降していることをご存知ではないのか!?
それとも芭蕉さんを利用して“起死回生・観光客奪還計画”を狙っているのでしょうか?

まちなかのそこかしこにある「芭蕉さんの軌跡」を歩くだけではいけませんか?
静かなまちを、静かに散策して芭蕉さんを偲ぶ、そして「俳句」を創る。

時折「NINJA」が大活躍する季節もある!

それが「秘蔵の国」。

そんな城下町ではだめなんかなぁ と、(勝手に)思うわけです、、、




最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (青子)
2011-12-24 02:32:42
その通り、昔は産業会館で鳴らしてました。
偶然にも、つい最近、私もミュージックサイレンについて娘と話していて、昔は産業会館でなってたし、夕方のは時間もメロディも違ってたなと。産業会館のおじさんもおっしゃってました。
情報YOUでは資料が残ってないと書いてありましたが、詳しく覚えている方はみえると思います。それに、「さまざまな・・」と書いてありましたが、「さまざまの」だということを訂正していただきたいと思っておりました。
やはり名張の方が書いておられるからでしょうか?
返信する
回答は (くノ一)
2011-12-24 12:22:42
伊賀市役所・危機管理室の方ですので、、、なんとも(苦笑)

メロディーの違いは、83年に更新されたときに編曲が変わったモノと思われます。
編曲等担当されたのは、当時上野高校の音楽を担当されていたO先生です、覚えておられますか?
いろんな方々のお蔭で、今に至っているわけですね、、、
返信する
Unknown (ワタナベ)
2021-10-20 01:18:10
現在旧伊賀市役所庁舎で運用されているミュージックサイレンは、元々上野産業会館に設置されていたものになります。
上野産業会館では、1959年の3月からミュージックサイレンの運用を開始してます。設置されていた個体は4音分の物でした。1日に4回吹鳴しており、朝7時と正午に魔弾の射手、午後6時に家路、午後10時におやすみを吹鳴してました。また、1982年に上野産業会館から伊賀市役所へのミュージックサイレン移設が決まり、1959年から1982年の22年、産業会館屋上での運用を終えました。また、産業会館屋上の個体は、22年も使っていて老朽化もあり、機種変えを行うことになりました。伊賀市役所に設置されたミュージックサイレンは、従来の4音分では無く8音分に音階を増やし、吹鳴する曲目を増やしました。上野市教育長の主導の元、曲目の選考が行われ、午前7時に組曲 ペールギュント 「朝」 正午に混声合唱曲「芭蕉 さまざまなこと思い出す桜かな」午後6時にドヴォルザーク 「第二楽章 新世界より 家路」、午後10時に「ブラームスの子守唄」が選ばれました。1983年から本格的に運用がスタートし、2021年現在まで実に39年間運用されています。ちなみに、ミュージックサイレンは1998年に製造中止されており、2016年には製造元である日本楽器製造のミュージックサイレンを製造していた部門の後継会社の、ヤマハファインテックでのメンテナンス及びサポート業務を終了しているため、壊れるまで使うとのことです。2021年、日本に残っているミュージックサイレンは第1世代機が大分県トキワ百貨店、旧伊賀市役所の2箇所で、第2世代機が愛媛県八幡浜市愛宕山の物だけとなっているので、絶滅寸前です。
返信する
詳しく (kuro&hana)
2021-10-23 23:47:22
ご説明頂き感謝いたします。
こちらのブログは更新停止しておりますが、
コメントいただき嬉しく思っております。
続編も細々と続けております。

「ミュージックサイレン」の歴史、よくわかりました、「壊れるまでの命」というのも時代の流れかもしれませんが、あのサイレンで育ち、子育てもあのサイレン、今も時間のけじめはそのサイレン。
壊れないことを祈るばかりです、
ありがとうございました。
返信する

コメントを投稿