障害者が働く、ということについて

2013年10月30日 | 日記・エッセイ・コラム

 

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訓練を受け、努力して、挨拶の仕方から始まって、一般企業や事業所で働くために必要と思われる力をつけた障害者なら、すぐにそういった企業などで働けるかといえば、ことはそう単純ではない。職場の理解(上司も同僚も)が何より大事であり、必要だ。<o:p></o:p>

 

しかし、そのような職場環境が出来上がるまで待ってはいられない。とすれば、今、そういったところで働けるだけの力をつけてきた障害者が一般企業や事業所で働くときには、他の多くの障害者のために彼らが働ける職場環境作りのための先駆けとなってほしい。そして、広く他の職場でもそうした受け入れがなされるような職場環境を作るために力を貸してほしい。その時、例えば彼らの出身母体である私たち障害福祉施設には、付かず離れずの支援が求められよう。そうして、それが点となり、線となり、面となって、社会に広がっていけばと思う。<o:p></o:p>

 

どんなに障害が重くとも、社会の一員として、社会の人たちに交じって、生き、育ち、学び、そして生活することのできる社会が理想の社会だ。今、障害福祉施設の中で過ごす人生があるのは、その日が来るまでの過渡期だからと考えたい。<o:p></o:p>

 

障害者が働くということについて考えるとき、どんな障害者にとっても私たち同様に、働くことの理想、生きることの理想は、世間の中、つまり社会の人々に交じって働くこと、そしてそこで生きることだ、としみじみ感じている。そういう社会がおとずれたとき、障害者がそういう社会を手に入れたとき、初めて、世間あるいは社会が障害者を本心から認めたということが言えるのではないだろうか。<o:p></o:p>

 

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