山古志と御嶽山

2014年10月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 

深夜、NHKテレビの『山古志 人が自然をいわたり 自然が人を癒す里山』と題したドキュメンタリー番組を見ました。

 

10年前の中越地震で甚大な被害を受けた新潟県山古志地区。

 

その山古志の農家の男性が言いますー。

 

「自然には勝てない……」

 

レンズを向けていたカメラマンが思わず呟きます。

 

「自然には勝てない?」

 

男性が答えます。

 

「自然には勝てない! 田の畔を水でやられたら、『やられた!』でおしまい。また、一からやり直すしかない。昔から百姓はそうしたもんだー」

 

この男性は、10年前のあの地震で息子さんを亡くしているのです。自然には勝てない……。

 

今、日本が迎えている急激な少子高齢の時代は、自然の一部である人類としての自然現象なのでしょうか。それは日本に限らず、遅かれ早かれ全世界に広がっていく自然現象なのでしょうか。もしもそれが自然のことだとすれば、私たちには勝ち目はないのでしょうか。自然には勝てない……。

 

Uターン、Iターン、町おこし、村おこし、地域の活性化、……、それは私たちには勝ち目のない戦いなのでしょうか。そして、人口急減、東京一極集中、過疎化、限界集落、地方消滅、……。果たして、私たちは遥かな昔に戻って、また一から、やり直すしかないのでしょうか。

 

御嶽山の噴火によって亡くなった方々。ほんの数分前までは自然を全身で満喫していたのに、わずか数分ののちにはその自然に命を持っていかれた方々。その無念さを思います。

 

自然には勝てない……。しかし、そうだとしても、私たちは自然からしてみれば卑小な存在ですが、自然をいたわり、そして自然に癒されて、営々と、これからも生きていくのです。

 

それはあたかも知的障害者とともに生きていくのと同じです。私たちは知的障害者に寄り添い、いたわり、そして知的障害者に癒されて、ともに営々と、これからも生きていくのです。それが私たちの命題なのです。

 

 

 

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親亡き後の障害者の生活について

2014年10月14日 | 日記・エッセイ・コラム

 

 皆さま、お久しぶりです。

 

 私、10月4日(土)の第24回さつき園ふれあい祭りが無事終わった後も、相変わらずドタバタ、あちこち、忙しい日々を送っておりました。(弁解!?)

 

 そして、今度の日曜日(10月19日)には山口県手をつなぐ育成会の県大会が新南陽市で開催され、私はシンポジストとして出席の予定です。

 

 そのシンポジウムのテーマは「親亡き後のわが子の幸せについて」です。

 

 たいへん難しいテーマです。障害者福祉に携わる者として、また、主に知的障害者の福祉支援の現場の施設長として、いったい何をどうお話すればよいのか……。シンポジストとしてお呼びいただいてはおりますが、難題です。

 

 今、わが国の成年後見制度(ものごとの判断能力や理解力がないと判断された本人に後見人を選任し、本人である被後見人の財産管理・身上監護をさせる制度。裁判所が選任、監督する)が親の死後、子である障害者の生活への心配を払拭してくれそうにない現在。親亡き後、特に知的障害者の生活は、いったい誰が、親の安心や納得が得られるように維持、保障するのでしょうか。

 

こうした不安は、現在増え続けているという身寄りのない独居老人が潜在的に抱える孤独な生活への不安、死に至るまでの不安、そして死後の不安と似ています。

 

 そうした現実をとらえ、その不安を解消して差し上げましょうと、いくつかの民間事業者が旗を振っています。それはその団体に加入し、設定されているいくつかのコースから自分の境遇と依頼内容と資金力に合ったコースを選び、金銭的な対応をすれば、本人の死後に至る世話までしっかり請け負います、ということのようです。中身は高齢者だけではなく、障害者も対象としているようにもあります。

 

 こうした動きが今後どうなっていくのかは、今はまだ分かりません。

 

 しかし、これまで私たちが確かに存在すると思って、お互い同士が頼りにしていた地縁血縁の支え合う網は、長い経済の低迷と未曾有の少子高齢、そして地方の人口減少という時代の到来とともに破れ、壊れつつあります。ならば、国も地域も親類縁者も家族ももはや当てにはならぬと諦めて、目の前に突然現れた旗振る人を信頼して、彼らに金を積んで、己の死後の世話までをも託しますか。

 

 けれども自分の死後の葬儀やお骨やお墓や財産のことならいざ知らず、いかにお金を積んで契約を取り交わしたからといっても、親亡き後の障害者本人の人生を、突然目の前に現れた人に託すことが果たして出来るでしょうか。

 

 何とも難しい問題です。悩ましいテーマのシンポジウムです。

 

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木曽の御岳(おんたけ)さん

2014年10月02日 | 日記・エッセイ・コラム

 

 木曽の御嶽山が爆発した。昔でいう休火山だったそうだ。

 

 3千メートル級の山としては登山人気が高かったという御嶽山。秋は紅葉がきれいで、子どもから大人まで、男も女も、大勢の人が登山を楽しんでいた山だったとか。

 

 上空から見るとまるで雪のように降り積もっている火山灰。その深く積った火山灰と飛んで来る夥しい数の大小の噴石が多くの人の命を奪った。

 

 

 

 木曽のナー 中乗りさん  木曽の御岳(おんたけ)さんは ナンジャラホーイ

 

 夏でも寒い ヨイヨイヨイ ヨイヨイヨイノー ヨイヨイヨイ

 

 

 

 あの、山々にこだまするほどに朗々と唄い上げられていた木曽節は、今、心の中で静かに胸震わせて唄う葬送の唄、鎮魂の唄になってしまいました。

 

 

 

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