入院した利用者

2010年07月27日 | 日記・エッセイ・コラム

○○さんが入院して20日近くになります。50歳を過ぎた利用者の入院は心配です。しかもわずかな歩行距離でも息を切らすほどの肥満体だったらなおのこと心配です。入院中、歩くことが極端に減ってしまうからです。そして退院後、これまでの生活が維持できるかどうかも……。

50年の間、寄り添うように生きてきた○○さん母子は、もう一心同体も同然です。しかもその途中で父親を亡くしているのでなおさらです。そうして50年かけて、母と子で○○さんを超肥満体にしてしまったのです!?

先日、お見舞いに行きました。

「園長さん、早くさつき園に行きたいです」

「来たいじゃろうが、お医者さんが『もう退院してもいいよ』というまでは、入院しとらんにゃーのー」

「でも、さつき園に行きたいのー」

「悪いところを治して、そしてもう少し痩せんにゃーだめじゃろうのー」

「うむー」

と言って、悲しい顔をする○○さん。

私たちは入院した○○さんのことも心配ですが、その母親のことも気がかりなのです。80半ばのその母は、不自由な足腰ながら子どもの入院に付き添っているのです。

果たして、どんな形で退院するのか。退院後の生活はどうなるのか、職員みんなで心配しています。

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紙飛行機と「アロハ!!」

2010年07月17日 | 日記・エッセイ・コラム

 一斉に梅雨が明けて、周防大島の空は一気に夏になりました。久しぶりに青く高く広がる空に一筋の飛行機雲を見つけて、思わず利用者と歓声を上げていました。

 土曜通所日の今日は、52人中31人が通所してくれました。今日の午前中はクラブです。

 なかなか片付かない事務仕事を途中にして、クラブをしている作業室を覗きます。

 折り紙をする利用者あり、ペットボトルを立ててのボウリングをする利用者あり、卓球をする利用者あり。以前はやむを得ず物が置かれていた作業室でしたが、それが見事にきれいに片付けられて広くなったので、3つグループがあってもそれぞれが楽しめるスペースがあります。

 卓球をしてみたかったのですが、3台とも熱心に利用者と職員で楽しんでいたので、遠慮して折り紙のグループに参加しました。

 そこで利用者に誘われて、何十年振りかで、私、紙飛行機を折ってみました。ところが、折り始めると、なんと途中からの折り方が思い出せないのです。

 ○○さんが、「園長さん、次はここをこう折るんですよ」と優しく教えてくれました。

 「おー、そうじゃったのー」何と情けない園長です。ウン十年前、あんなに遊んだ紙飛行機の折り方を忘れてしもうちょるとは……。

 しかし、思い出したらこっちのもの。折り終えて、翼にしっかり折り目をつけて飛ばしてみると、なんと緩やかないい曲線を描いて飛んだことでしょう!!作業室の空間を、いったん上に上がり、次に緩やかに下りながら滑空したのです。(単なる自己満足!?)

 さつき園のクラブでは凧も作り、紙飛行機も折らせてもらいました。いい時間です。職員に感謝ですね。利用者と職員が一緒になって楽しんでいるのを見るのが、園長としては楽しみなのです。また、クラブで折り紙もボウリングも卓球もやりましょう。

 午後は、周防大島町観光協会主催の『アロハ レインボー』というイベントにみんなで参加しました。

 全長1020mの大島大橋の歩道の端から端を、参加する500人ほどの町民がアロハシャツを着て、レイを首にかけて、うちわを持って並んで、およそ1時間、大島大橋を渡る車に向かって「アロハ!!」と手を振り、周防大島に来た人たちをみんなで歓迎しようというイベントです。

 梅雨も明けて日差しのきつさを心配したのですが、風もあり、日差しも心配したほど強くもない中、利用者はうれしそうに楽しくうちわを振りながら「アロハ!!」と口々に声を上げていました。

 何よりうれしかったのは、私たちの「アロハ!!」に大半のドライバーが笑顔で車内から手を振り返してくれたことです。人から笑顔を返されることの何と嬉しいことよ、と改めて感じました。

 アロハシャツは観光協会からお借りしたのですが、「記念にどうぞ」と、レイとうちわは下さいました。

 イベントへの参加を決める時、ガードレールはあるものの、歩道に立って車に手を振ることがどうだろうかと心配しましたが、全員無事に参加できました。

参加した利用者、職員ともども、思わぬ貴重な体験をさせてもらいました。これからも無理のない範囲で、できるだけ地域の行事には参加しようと思います。そのときもまた、うれしい笑顔が返ってきますように……。

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声にならない声を

2010年07月16日 | 日記・エッセイ・コラム

朝、○○さんがさつき園に来たことは園長室にいても、その甲高い声や廊下をバタバタと力んで走る音やドアを力いっぱい開け閉めするその音で分かります。

 あるいは、朝、▽▽さんがさつき園に来たことは、バタバタと音を立てて歩くその大きな足音と、事務室の窓を開けて担当職員の名を何度も繰り返し呼んで、無理なことをせがむその大きな声で分かります。

 このとき、私たち職員は彼らを落ち着かせようとして言葉をかけて、その行動を受け入れたり否定したり、あれこれあれこれ試みます。そしてどうしてそういう行動をとってしまうのかと、最近の園での様子や今朝の連絡帳の内容などを考え合わせて、その動機を探ります。

 そして、その結論は必ずと言っていいほど、親子関係、あるいは母子関係、そして自分の存在は家族や社会からきちんと認められているという実感があるかどうか、の問題に行き着くのです。

 周りが困り果てるほどの奇声や騒音を立ててまでも、「私を愛して!! 私を認めて!!」と声にはならない声で叫んでいるのです。

 いったい、だれがそうさせるのでしょうか。

 だから、私たち職員はどこまでも利用者の側にいなければ、それこそ私たちの存在意義や存在価値はないのです。

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東京の雑踏の中で

2010年07月14日 | 日記・エッセイ・コラム

先週初め、東京で開催された「全国知的障害関係施設長等会議」に参加した。

どしゃ降りの夕方、雨宿りしたJR品川駅の雑踏の中でこんなことに思いを巡らしていた。

どうしてわが国の障害児・者福祉は国民的な広がりをもって理解と共感を得られないのか。

高校を出立ての人に向かって、「障害児・者福祉に理解を」といってもそれはなかなか無理があると思う。何故かといえば、わが国においては昔も今も、例えば小・中・高の12年間で子どもたちが障害児・者に直に触れ合う場面がどれほどあるだろうか、という疑問をもつからだ。そういう問題意識は教育界にはない。もちろん(?)今の福祉界にもない。

たった一人の障害児あるいは障害者に直に会うこともなく12年間を経て社会人となった人に、いきなり「障害児・者福祉に理解を」と言ってみたところで「いったい何のことやら」とキョトンとするばかりではないだろうか。私たちには知らないことや体験しないことは理解し難いものなのだ。

ならば、小・中・高生に、『君たちが暮らしているこの社会には障害児・者と呼ばれる人たちがいて、君らと同じように一生懸命に生きているのだ』ということを伝えるためだけにでも、私たちは意識して彼らと彼らを引き合わせるべきと思うが、どうだろう。

障害のある子どものためのインクルーシブ教育が盛んに唱えられている。しかし、1年に1度でもいいから障害のない子どもに障害のある子どもとの触れ合いを用意することも教育の、そして福祉の大事な役目の一つと思う。例え1年にたった1度だとしても、12年の間には12回も彼らはお互いが触れ合うことになる。そして、その12回の体験は彼らお互いの中で重要な価値をもつ。

大人が「差別はダメよ」「偏見はダメよ」とどんなに言ってみても、子どもたちには通用しない。何故なら、親の世代も、そのまた親の世代もみんな、小・中・高の12年の間、たった一人の障害児や障害者にさえ、直に触れ合うこともなく大きくなったのだから、そもそも障害児・障害者と呼ばれる人たちが自分たちと同じ社会に生きている、という実感がもてないのだ。

そして、家庭では親を見て、社会では大人をまねて子は育つものだから、根拠のない差別の意識や偏見の意識が子どもの中で無意識無自覚に芽生え、延々と引き継がれていく……。

まことに残念なことに、私たちの社会はそういう過去と現在しか持ち合わせていないのだ。

止まぬ雨を見ながらそんなことを考えていた。

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施設で暮らすということ

2010年07月01日 | 日記・エッセイ・コラム

6月20日(日)山口県重症心身障害児(者)を守る会総会(山口市)

6月26日(土)・27日(日)重症心身障害児(者)を守る全国大会(岡山市)

 先日開催されたこれらの総会、大会に出席しました。

およそ50年前、私たちの社会は、今は重症心身障害児(者)と呼ばれるその人たちの人権はもとより、その人たちの生きる権利さえ認めていませんでした。それ故、親たちは必死に『この子たちも生きているのです。この子たちの生きる権利を認めて下さい』と社会に訴え続けてきました。

あれから50年、なんと、施設で生活する重症心身障害児(者)やその親に向かって「施設で暮らすことは人権侵害だ」と強弁する人たちが出てきました。

内閣府の障がい者制度改革推進会議でそのような意見が出されていることは承知していましたが、上述の総会と大会に出席して、この発言に対する親の会の危機感は相当なものだと改めて知らされました。

いったい私たちの社会のだれが、重症心身障害児(者)の生きる現実を知っているというのでしょうか。

いったい私たちの社会のだれが、彼らの死と対峙するきつい日常を知っているというのでしょうか。

いったい私たちの社会のどこに、重症心身障害児(者)が在宅で豊かに生きることのできる生活環境があるというのでしょうか。

50年間の親たちの血の苦労の果てに、私たちの社会が辛うじて彼らのために用意したのが施設での人生でした。裏を返せば、私たちの社会は彼らに対して施設での人生しか認めなかったのです。在宅で生きることは、親子に死への覚悟を要求したのです。

あたかもその責任は親にあるのだと言わんばかりの「施設で暮らすことは人権侵害だ」という言い草の中に、問題の本質はありません。問題の本質は、私たちの社会が重症心身障害児(者)が家族とともに在宅で豊かに生きるには、あまりにお粗末な社会環境しか持ち合わせていないところにあるのです。

私たちの未熟な社会が「まあそんなに言うのなら」と迷惑そうに、あるいはまるでその場を取り繕うように彼らのために用意した施設での人生。いや、私たちの社会がそこで生きることしか認めなかった彼らの施設での暮らし。それを自らが否定することの自己矛盾に気がつかない厚顔無恥の推進会議での発言。

しかし、この「施設人権侵害論」は重症心身障害児(者)に留まらず、早晩、知的障害児(者)にも押し寄せてきます。そのとき私たちは問題の本質を見誤ることなく、確と射抜くほどの福祉の思想をブレずに堅持し続けることができるでしょうか。

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