先日、テレビのオリンピック中継で、日本対フランスのサッカーの試合を見ました。
サッカーはラグビー同様、体と体がぶつかり合う団体競技なので、選手同士の接触が頻繁に起こります。時には接触というよりも衝突、激突と思えるほどの場面も珍しくありません。審判はそれをホイッスルやイエローカードやレッドカードで警告し命令し、試合をコントロールしていきます。
思わぬ点差(日本ーフランス 4-0)になったのでイラついたのか、その試合ではとてもサッカーのプレーとはいえないフランスの選手の危険な行為がありました。フランスのある選手が日本の選手の背後に迫り、他の選手とボールを取り合うために踏ん張っていたその日本選手の右足のふくらはぎを思い切り踏みつけたのです。驚きました。踏まれた日本選手は「うっ!」とうめき声を上げて、その場に崩れ落ちてしまいました。
審判が確認したビデオ映像には、その選手がボールを取り合っている日本選手の背後に近づいて、右足のふくらはぎを思い切り踏みつけているのがはっきりと映っています。それを確認した審判は即座にレッドカードを示しました。それまでは「俺が何をしたというのだ。俺は悪くない」と身振り手振りで叫んでいるように見えたその選手。何かを言いながら不貞腐れた様子で退場して行きます。
こうした接触の瞬間の悪質なプレー。あるいは大事な局面での際どいプレー。それらの判定に今はビデオ判定が採用されています。
けれども、数あるスポーツの中でもサッカーほど、こうしたラフプレーと思われるようなプレーに寛容な(?)スポーツはないと思います。例えば、ボールを追っている選手同士がぶつかってどちらかが倒れると倒れた選手は必ず、「すねを蹴られました。ここが痛いです」あるいは「顔を殴られました。ここが痛いです」とでも言うように、痛がって転げ回るか起き上がらないかしてアピールします。それは選手の疲労回復や試合の流れを変えるための時間稼ぎでもあります。それがうまくいって相手がファールを取られれば、自分たちに有利な流れにもっていけるのです。そんな時、審判は毎回毎回ビデオで確認することはしません。いちいち試合の流れを止めることはせずに、その場の自分の判断でジャッジしていきます。ですので、審判のジャッジが妥当かどうかは確かめられることはありません。しかし、テレビではその時のビデオ映像が出ます。それを見ると、さほどの接触や衝突でもないのに脚や顔に手を当てて痛がっているのが大半です。
こうしたオーバーな演技も「サッカー」というスポーツなのだ、ということでしょうか。それもこれも全部含めて、サッカーではこうした味方に有利に働く行為をテクニックとして磨く必要があるということなのでしょうか。
でも、それはちょっと危険な気がします。子どもたちへの影響が心配です。基本や技術をしっかり身につける前に、そうした小手先のラフプレーやオーバーな演技、誤解を恐れずに言えば噓事をアピールして、自分たちに有利に試合を展開することを覚えてしまって、内心「勝てばいいんだ、勝てば」とうそぶく人間にならないだろうか。「勝てば親も周りの大人もほめてくれるし……」果たして、それでいいのか……。
子どもたちが目先の勝ち負けにこだわり続け、そして彼らがまた大人になって、同じことをその時の子どもたちに教え込み、内面に刷り込む。果たして、それでいいのか……。
それは、障害者への差別と偏見の連鎖が止まないのと同じ構造をしています。
残念ながら、今、私にはサッカーというスポーツ競技に「正々堂々」という精神は見えません。
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