来たる年も変わらぬ思いで

2012年12月28日 | 日記・エッセイ・コラム

 

今年も押し詰まってから、わが国の政治の世界では与野党が逆転しました。果たして福祉はどうなるでしょうか。またぞろ制度や法律が変わるのでしょうか。<o:p></o:p>

 

荒れた時化の海で翻弄される小舟のように、乗っている者は振り落とされぬようにしがみつくのが精いっぱいです。国の方針には沿わねばなりませんが、なかなかしんどいものがあるのも福祉現場の現実です。<o:p></o:p>

 

私たちはさつき園に通って来る利用者からたくさんのことを学びますが、世間は彼らから何を学ぶのでしょうか。世間の心ない一言や行動に彼らは心深くいたんでいます。時折彼らが暗い表情になるのはそのせいです。ほんとうは弾んだ声や明るい笑顔がお似合いなのに……。<o:p></o:p>

 

「園長さん、お早う!」<o:p></o:p>

 

今日も彼らは元気です。<o:p></o:p>

 

その元気な明るい笑顔と素直さにこそ存在の意味があります。<o:p></o:p>

 

何かができるからとか、何かができないから、などいった成果や結果を問うようなことで彼らの存在の意味は見えません。<o:p></o:p>

 

私たちが言葉と行動を尽くして利用者の存在の意味をていねいに世間に伝えることが、温かい血の通った制度や法律をつくる種子になります。<o:p></o:p>

 

今年もお世話になりました。<o:p></o:p>

 

来たる年も変わらぬ思いで一歩一歩、歩を進めてまいりますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。<o:p></o:p>

 

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メリークリスマス!?

2012年12月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 

先日聞いた話です。<o:p></o:p>

 

クリスマスプレゼントを配る日まで、サンタクロースは死んでいるのだそうです。そして、クリスマスイブになると生き返って子どもたちにプレゼントを配って、終わったらまた死ぬのだそうです。<o:p></o:p>

 

トナカイはというと、どうも動物園から盗んでくるらしい……。<o:p></o:p>

 

これは、又聞きで聞いた、家の近所の小学校低学年かと思われる男の子たちの話です。<o:p></o:p>

 

サンタクロースとトナカイの話でその内容には少々驚かされますが、それでもとりあえずサンタクロースは今でもちゃんといるらしいので、何やらほっとします。<o:p></o:p>

 

しかし、今日はクリスマスですが、さすがにさつき園の利用者の間ではサンタクロースやクリスマスプレゼントなどの話はあまり話題にはなりません。<o:p></o:p>

 

私としてはいつまでも話題にしてほしいやら、もう卒業してほしいやら、その心境は複雑です。<o:p></o:p>

 

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蟹は甲羅に似せて穴を掘る

2012年12月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 

蟹は甲羅に似せて穴を掘る。<o:p></o:p>

 

甲羅の大きい蟹は大きいなりに、甲羅の小さい蟹は小さいなりに、各々の甲羅の大きさに合った穴を掘り、そこに身を置く、ということ。人も同様に、力量が大きい人は大きいなりに、小さい人は小さいなりに、その範囲内でそれぞれに応じた言動や仕事をし、それなりの望みを持つということの譬え。<o:p></o:p>

 

世の中にはこの言葉が気にいって、座右の銘にしている人もいると聞く。<o:p></o:p>

 

しかし、あまのじゃくの私は、これをこう裏読みする。<o:p></o:p>

 

所詮、人はその力量の範囲内でしかことを成し得ないし、それなりの望みしか持たない、と。<o:p></o:p>

 

そして、私たちは知らず知らずのうちにそんな蟹になってはいないか、と自問する。甲羅に似せて穴を掘って、それで良しとしてはいないか。<o:p></o:p>

 

そんなことはない、と勇んでみるけれど、残念ながら、自分の甲羅の大きさは自分では分からない。<o:p></o:p>

 

世間には、「やっぱり彼はまだそんなことにこだわっているのか」と思われる人もいれば、「よくあの困難を乗り切ったものだ、さすがだ」と感心させられる人もいる。<o:p></o:p>

 

ついこの間のこと。わが国の政治の世界では大半はわが名を連呼するだけの、あるいは他を貶めるだけの虚しい衆院選が終わった。あそこまで極端に!と思うほどの大差がついて与野党が逆転した。果たしていま新たに国会議員となった人たちはこれからどんな穴を掘っていくのか。それは大きいか、小さいか。しかし所詮、国民の甲羅に合った政治しかできないとすれば、私たちのイライラは私たちに由来するとあきらめるほかないか。<o:p></o:p>

 

私たちの試練は自分(たち)は自分(たち)の身の丈にあった穴しか掘れないものと知ることから始まる。<o:p></o:p>

 

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当たり前の光景

2012年12月14日 | 日記・エッセイ・コラム

 

あさっては衆議院議員選挙の投票日。<o:p></o:p>

  昼休みのことです。<o:p></o:p> 

「園長さん、行ってきました」と、○○さんがニコニコしながら報告します。<o:p></o:p>

 

「えっ!? どこへ行ってきたんかね」<o:p></o:p>

 

「選挙!選挙!」<o:p></o:p>

 

 「あー、選挙かね。期日前投票じゃね。役場に行って来たんじゃね」<o:p></o:p>

 

 「うん」<o:p></o:p>

 

 「『うん』じゃない、返事は『はい』じゃ!」<o:p></o:p>

 

 「はい!」<o:p></o:p>

 

 「だれに入れるか、よう考えて投票してきたかね」<o:p></o:p>

 

 「はい」と言いながら、○○さんは私にハガキを差し出します。<o:p></o:p>

 

 「この人の名前を書いてもろーたんよー」<o:p></o:p>

 

 「あっ、いや、それは言わんでもええの。言わんでも。ハガキはしまいんさい」<o:p></o:p>

 

 「はーい」<o:p></o:p>

 

 「そんなこと、人に言わんでもええんよ」<o:p></o:p>

 

 「はい、分かりました」<o:p></o:p>

 

 少し得意気で、うれしそうな○○さんでした。<o:p></o:p>

 

 さつき園の利用者にももちろん選挙権があります。何人かは投票の意思を示します。グループホームの入居者で希望する人は支援員か世話人が投票所に連れて行きます。<o:p></o:p>

 

 また、先日は、ある立候補者の選挙カーがさつき園前の道路に止まり、集まっていた地域の方々に車から降りてきた関係者が頭を下げながら、握手を求めていました。すると視線の先に、作業時間中にもかかわらず窓から顔を出して手を振っていた10人近いさつき園の利用者をみとめて、その人はすぐに近寄って行き、彼らにも握手を求めていました。その時の利用者のうれしそうな顔。選挙権があるからこその光景です。<o:p></o:p>

 

ご存知でしょうか。利用者に成年後見人をつけると被成年後見人である利用者本人の選挙権がなくなるのです。いったいどういう国なんでしょうか、この国は!!(と、突然思い出して、私少し興奮)<o:p></o:p>

 

 社会のあちらこちらの様々な光景の中に、知的障害者がいるのはごく当たり前のことです。いまさらですが、私たちもそうであるように知的障害者も社会の一員なのです。<o:p></o:p>

 

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40年前のメモ書き

2012年12月07日 | 日記・エッセイ・コラム

 

「古川だけじゃったよ、レポート見せてくれたのは。あんときゃ助かったよ。わしゃー4年の時、12科目で48単位を取らんと卒業できんかったんじゃけー」<o:p></o:p>

 

先月下旬の三連休に法事で出かけた四国からの帰り、私は広島県江田島市に住む大学時代の同級生の誘いに応じて、40年振りに彼に会いに行ってきました。<o:p></o:p>

 

学生時代、私が実家の住所と電話番号を何故かメモ書きして彼に渡していたその紙片が、この春、彼の父親が亡くなった時に、遺品の整理と併せて彼自身の書類を整理していた中からたまたま出てきたのだとか。それを見た彼は無性に私に会いたくなって、あちこち問い合わせたのだそうです。そして、今の私の自宅の電話番号を探し当てた、ということでした。<o:p></o:p>

 

彼は学生時代を東京で過ごして、卒業後、ふるさとに戻り、およそ30年。転勤や転職を経験したのち、今は10年ほど前から、江田島で農業などをしながら生活しています。言えば、この40年の間に、私にもいろいろあったが彼にもいろいろあった、ということです。<o:p></o:p>

 

高校の時のある授業で、「将来、大人になった君たちに会うことがあったら、私は君たちが『なにになったか』ではなく、君たちが『なにをして来たのか』を問いたいと思う」と言い放った青年教師がいました。<o:p></o:p>

 

社会に出てからの約40年間、私はなにをして来たのか……。江田島に住む同級生の彼はなにをして来たのか。島内を案内してもらいながら、そして彼と懐かしい話を重ねながら、そんなことに思いを馳せていました。<o:p></o:p>

 

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あゝ おまへはなにをして来たのだと…… <o:p></o:p>

 

吹き来る風が私に云ふ         (中原中也 『帰郷』最終聯)<o:p></o:p>

 

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それはだれしもが胸痛む風の囁きかもしれません。<o:p></o:p>

 

しかし、今さつき園に通って来る利用者、知的障害者にもそう問うことができるでしょうか。<o:p></o:p>

 

「君たちはなにをして来たのか」果たして私たちは彼らにそう問えるのでしょうか。<o:p></o:p>

 

いや、もしも彼らに問うとすれば「君たちはなんであるのか」と、その存在そのものを問うべきではないのか、と思います。<o:p></o:p>

 

しかも、それを問うべき相手は知的障害者と呼ばれている彼ら本人ではなく、平然と自らを健常者と呼んでいる私たち自身なのではないでしょうか。<o:p></o:p>

 

私たちは、彼らをなんだと思ってきたのか。なんだと思っているのか。私たちこそがそう問われるべきではないのか……。『この子らを世の光に』と言った先達もいました。<o:p></o:p>

 

問いは、常に私たちに向けられているのです。<o:p></o:p>

 

「じゃあ、またな!」「おー」<o:p></o:p>

 

そう言って、宇品まで戻る定期船を見送ってくれた彼と、夕暮が近づいてきた島の港で別れました。<o:p></o:p>

 

 一枚の紙片のメモ書きが実現させてくれた、思わぬ再会でした。<o:p></o:p>

 

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パソコンが壊れました

2012年12月07日 | 日記・エッセイ・コラム

 

先月の下旬、勤労感謝の日からの三連休が明けて、いざ仕事という時、何とわがさつき園園長室のパソコンが起動させても正常に機能せず、用をなさなくなってしまいました。一週間ほど前ぐらいから何となく動きがおかしいかな?とは感じてはいたのですが、いやはや、ぶっ飛んでしまうとは……。<o:p></o:p>

 

その日の朝、いつものようにパソコンを立ち上げると、いきなり黒い画面に『再試行します』の表示。出張に出かける時刻が迫っていた私はその表示にあわててしまい、闇雲に操作してしまったのです。<o:p></o:p>

 

出張先から電話して、忙しい業務の合間を縫って職員に見てもらうやら、専門業者を手配して見てもらうやら……。その結果、専門業者の見立てでは案の定、パソコン内にあったデータの救出は困難との判断が下りました。ショック!! あーショック!!<o:p></o:p>

 

やむなく、急いでハードを買い換えることとしました。<o:p></o:p>

 

直接業務に関するデータは毎日USBに保存していますので、被害はなく、ほどなくメールもネットもつながったのですが、さつき園のホームページの復旧に時間がかかってしまいました。<o:p></o:p>

 

そんなこんなで、このホームページの『園長室』も3週間あまり更新なしの状態が続いてしまうことになった次第です。誠に申し訳ありません。<o:p></o:p>

 

皆さんは、せっかく手間暇かけて、そして無い知恵(?)を絞って作り上げ蓄積した大量のデータが瞬時にして消失してしまう瞬間の、あの虚しさを知っておられるでしょうか。茫然自失。思わず、「そこに費やした私の時間を返してくれ!!」と叫びたくなるものです。そう、私は今回ほどの規模は初めてですが、時間をかけて作成した資料データを一瞬の操作ミスでなくしてしまった経験が何回かあるのです。<o:p></o:p>

 

皆様、パソコンでのデータの保存や消去などの操作はくれぐれも慎重にいたしましょう。残念ながら、パソコンに人情は通用しないようですから。<o:p></o:p>

 

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