「障害は個性」「障害も個性」という不快

2020年11月13日 | 日記・エッセイ・コラム

 たとえば、「障害をその人の一つの個性ととらえよう」などと言う人がいるが、どうして障害をその人(個)に押し付けるのか?

 そうではない。障害者は障害のあるその人(個)に属するのではなく、障害は私たち(類)に属するものなのだ。だからこそ、障害が私たちの命題となるのだ。

 

 これは2015年3月に私が自費出版した本の帯に記した、その本の本文から引用した文章です。それ以前から、私は「障害は個性だ」という言い回しに何とも言えない不快感を感じていました。

 その言葉を聞いて感じる不快感はいったいどこから来るのだろうか。この不快感は何なのだろうか、と私は長く自分に問いかけていたのです。しかし、今では中学生でもそういう言い方をするようになってしまいました。

 ところが、先日、私の内にある不快感と似た感情なのかも知れない、と思わせる感情を詠う短歌に巡り合いました。

 

 「障害も個性」とふ記事に何となく頷(うなず)くことのできぬわれがゐて 

                               刈谷君代(かりや きみよ)(注:「とふ」は「という」の意ー古川)

 

 「障害も個性」なんて、いかにも洒落たキャッチフレーズ。しかし視覚障害者の作者には空虚に聞こえるのだろう。なぜならこの言葉には人としての痛みが感じられないから。痛みのない言葉は寒々と響く。歌集『白杖と花びら』から。長谷川 櫂

                                2020年(令和2年)11月10日付 読売新聞 「四季」から

 

 この短歌を評する言葉として、ここでは「『障害も個性』という言葉は作者には空虚に聞こえている。なぜならこの言葉には人としての痛みが感じられないから。痛みのない言葉は寒々と響く」と書かれている。

 「個」の痛みを私の痛みとして自らが感じるには、何が求められるだろうか。

 私は、「個」に押しつける問題として障害と対峙するのではなく、障害はどこまでも類としての私たちが引き受ける、私たちの内なる問題として考えねばならないと思う。それは障害者の内なる痛みを思い、そしてそれを己のこととして感じる感性。その感性を私たちの内側に宿すことから始まる。

 だから、「障害は個性」「障害も個性」などと言って、自分自身と切り離した物言いはやめるのです。障害はどこまでも(類)としての私たちの問題です。だから、障害は連綿と続く私たち人類の克服すべき命題なのです。  

 

 

 ようこそブログ『園長室』にお越しくださいました。どうぞ、社会福祉法人さつき会のホームページへもお立ち寄りください。皆様に親しまれるホームページ作りに努力いたしますので、是非、ご意見ご感想をお寄せください。ホームページへのアクセスは下記へお願いいたします。

  アクセス ⇒ http://satsukikai-oshima.com/

 なお、ホームページ内のさつき園のページから、このブログ『園長室』を覗くこともできます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若い世代の諸君へ

2020年11月09日 | 日記・エッセイ・コラム

 今日、地元の高校1年生11人が授業の一環として、さつき園の見学に来てくれました。

 ちょうど1週間前に、今日の見学のための予備知識を得てもらうために、私は要請されて彼らの高校に出向き、さつき園のことや障害者福祉のことを話させていただきました。例年なら、この見学前の事前講話とさつき園見学とさつき園での障害者(さつき園利用者)との作業体験がセットになっているのですが、今年は未だ新型コロナウイルス感染が収まらないために、高校生諸君が利用者と一緒にする作業体験は取り止めざるを得ませんでした。この状況では仕方のないことではありますが、私はそれがまことに残念で仕方がありません。 

 園内を案内しながら、彼らにあれこれ説明する中で事前講話での話しのおさらいもして、利用者の作業の様子を見学してもらいました。、

 先週末には、1週間前の事前講話についての感想文が担任の先生から届けられていました。

 以下に、いくつかをご紹介します。

・今日の講話は私の将来の夢に近づくためにとてもよい機会だった。今日の講話を次の見学で生かしたい。

・障害者を1人の人間として、大人として尊重する。人権を認めるというのはとても大事なことだと思います。

・障害のある方が幸せに暮らす姿を見ると嬉しい気持ちになるという話がすごく印象に残りました。

・人はみんな見え方も感じ方もそれぞれ違うからこそ、豊かで素晴らしい社会になるのかなと思いました。

 

 社会の障害者に対する偏見や差別の連鎖を断つには、心がまだ柔らかいこうした若い世代の諸君が、実際に障害者と一緒に作業するなどして障害者と同じ空間、同じ時間を過ごすことこそが大事と思います。そして、若い諸君には自分の感性で、自分の体で障害者を感じ、障害者について、障害者の人生について、自分の頭で、自分の言葉で考えてほしいと思います。

 私は、大人たちの言葉や世間の噂や社会の価値観を鵜呑みにして、障害者に対する偏見や差別の連鎖に無自覚に己を委ねることを彼らにはしてほしくはないし、そうさせたくはないのです。

 

 

 ようこそブログ『園長室』にお越しくださいました。どうぞ、社会福祉法人さつき会のホームページへもお立ち寄りください。皆様に親しまれるホームページ作りに努力いたしますので、是非、ご意見ご感想をお寄せください。ホームページへのアクセスは下記へお願いいたします。

  アクセス ⇒ http://satsukikai-oshima.com/

 なお、ホームページ内のさつき園のページから、このブログ『園長室』を覗くこともできます。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする