冬来たりなば……というけれど

2020年12月24日 | 日記・エッセイ・コラム

「冬来たりなば 春遠からじ」といいますが、私たちの1年に及ぼうとするこの緊張状態はいつまで続くのでしょうか。見えないものとの闘いの日々。私たちは緊張と不安の中にいます。これは終わりの見えない、私たち一人ひとりの試練と言えばと言い過ぎでしょうか。

 片や命。片や経済。その天秤のバランスをいったい誰が取れるというのか。

 天秤が命に傾けば、今の生活がたちまち危うくなる人があり、経済に傾けばあっという間に命を落とす人があり……。そういったことに当面関わりのない人たちが高みから、あれこれもっともらしい見解を垂れています。しかし、私たちは彼らのどんな言葉にも与することはなりません。

 天秤の左右の傾きの結果、図らずも当事者となってしまった人たちが負うほかない現実があります。

 果たして、有効なワクチンが手に入れば、天秤の振れに一喜一憂することはなくなるのでしょうか。世界の政治は悩みに悩んで、自国の国民の自覚と行動に訴え、そこに期待をかけています。

 そうした緊張状態の中、さつき園でも今日までおよそ1年の間、利用者・保護者・職員みんなで何とか厳しい状況を凌いできました。さつき園は通所事業所ですので、利用者は毎日自宅やグループホームに帰ります。そして、土日や祝日は家族や友だちなどと出かけることがあるかもしれません。そこで誰かと会うかもしれません。どんな場面に遭遇するかは分かりません。

 果たして、マスクをして出かけているだろうか。三密は避けているだろうか。帰宅したら石鹸で手洗いしているだろうか。消毒はどうか。換気はどうか。毎日検温はしているだろうか……。休み明けの月曜日に元気な顔を見るまでは気が気ではありません。休み中も緊急連絡があるかと落ち着かないのです。

 あと数日で今年は終わりますが、さつき園に通う利用者がどうか笑顔で、やがて訪れるだろう春を迎えられるように、ひたすら願う日々を過ごしたこの1年でした。

 気休めに、「冬来たりなば 春遠からじ」と口ずさんではみますが、春の訪れはまだまだ遠い先のことだと、覚悟を決めねばならないようです。

 

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シクラメンとの出会い

2020年12月10日 | 日記・エッセイ・コラム

 ある人から一鉢のシクラメンが贈られてきました。

 驚いて、お礼を伝えると、「園長室に飾ってほしいです。園長室に顔を出す利用者さんたちにも楽しんでもらいたいと思って」とのことでした。

 たくさんの淡いピンク色の、あの独特の形をした花が鉢の真ん中で隙間も見せずに、すっくと寄り添いながら咲いています、その花たちを下から支えるように、深い緑色の葉がみっしりと周りを取り囲むように広がっています。淡いピンク色の花びらの中には赤い線が入っているのもいくつかあるようです。

 今、園長室には贈っていただいた、たくさんの淡いピンク色の重なりとたくさんの深い緑色の重なりを見せるシクラメンが堂々と、しかしどこか恥ずかしそうに咲いています。

 振り返れば、あの時、私にあの人との出会いがなかったとしたら、おそらく、今、私がここに、こうしていることはない……。

 それが私の人生。それが私たちの人生。それが時の流れの中で生きる私たちの命の営みなのです。

 およそ50年前のあの時、あの人に私がめぐり会わなかったとしたら、このシクラメンはこの園長室に届くことはなかったのです。

 あの人の奥さんの弟さんが丹精込めて育てているシクラメンの一鉢が、今、園長室で静かに咲いてくれています。

 目の前の一鉢のシクラメンとの出会いの不思議さに、柄にもなくしみじみしている園長なのです。

 

 

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生放送の凄さ

2020年12月02日 | 日記・エッセイ・コラム

 先週のことです。

 歌謡界を代表するほどの歌手の一人となった彼がテレビの生放送の歌番組で、頬を伝う涙を手でぬぐいながら、デビュー曲を歌っています。その声は震えています。

 彼はデビューに至るまでの奥さんとの思い出を司会者に問われるままに話しているうちに、感極まってその歌を歌う前から目に涙を滲ませていたのです。

 歌手になる夢を見る彼の背中を押して、東京へ送り出してくれた奥さん。それからの辛い下積み時代を支えてくれた奥さん。その奥さんがいてくれたおかげ、そしてもちろん彼の努力の甲斐もあって、彼のデビュー曲はその年のレコード大賞新人賞に輝きました。

 昨日が奥さんの命日で、三回忌とのこと。彼の中に奥さんとの思い出が一気に溢れたのでしょうか。涙は止まらず、彼は最初からまともに歌が歌えません。時折、しっかりと歌おうとしますが、顔はゆがみ、胸が苦しそうで歌声はなおも震えて、途切れ途切れになるばかりでした。

 曲が終わると、コロナ対策のための少人数の客席に向かって「申し訳ありませんでした」と、彼は涙のまま頭を下げました。

 人前で、しかも生放送中に、彼があれほどに涙を流したことに私は驚いていました。彼の涙は見ているこちらも胸が苦しくなるほどでした。それは全くの予想外の出来事でした。

 その歌番組を見終わった私は、果たしてあの時、彼が泣いて歌が歌えなくなるという状況は制作者側は想定内のことだったのだろうか。あるいはそれは初めから狙っていたことだったのだろうか。そして、もしもあの歌番組が事前に録画したものを編集し直して、再構成した形で放送されていたとしたら……と、思ったのです。そこに何かの意図、あるいは何らかの計算、あるいは例えばテレビ局の制作サイドの番組構成上の常識などといった、いわばテレビ業界の中にある暗黙の規制のようなものによって、事前収録の内容が取捨選択され、再構成されていたとしたら、果たして彼の登場場面はあの時の生放送と同じように、真っすぐに私に驚きと感動をもたらしただろうかと。

 放送中、どんなに予想外、計算外のことが起こってもそれらを全部引き受けるのが生放送、生中継、LIVE放送の凄さと思います。

 そういう放送スタイルに積極的に意欲をもって取り組み、そこにこだわる精神は今の放送界にはないと思われます。残念ながら、そうした緊張感など、最早テレビ業界にはないのではないか。もちろん、あるルールに則って行うスポーツの生中継などはありますが、ドラマや歌番組でそうした生放送はとんと見なくなりました。年末恒例のNHK紅白歌合戦が唯一生き残っているといったところでしょうか。

 わずかなりとも人によって再編集、再構成された録画は、所詮、加工されたもので、もはや事実ではありません。そこには私たちが素直に受け取るには危なっかしいものが潜んでいます。予定調和の内容でいったい何を伝えようとしているのか。

 製作者の付和雷同や同調圧力やバイアスなどという心の動きに、私たちはどう抗うか。どう拮抗するか。そして、どう自立するか。

 私たちはまるでシャワーのように休みなく降りそそぎ、しかも誰かに加工されたかもしれない情報を無邪気に受け容れるわけにはいかないのです。

 私たちの前には、ものごとの真実に迫るための事実を集めることの困難さが、昔も今も、そしておそらく未来にも立ちはだかっています。

 AIやバーチャルが時代の中心になってきてはいますが、テレビ業界には命の生の手触り、命の生の迫力を伝える生放送に、どうか果敢に挑戦してもらいたいと思うのです。

 たまたま見入ってしまった生放送。あの歌番組で、私はその歌手の真実に触れた思いがしたのです。

 

 

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