ある旅行会社の社員がある高校の遠足のバスの手配を忘れているのを遠足日の直前に気がつき、それを誤魔化すためにありもしない自殺予告話をでっち上げて、その高校に遠足を中止させようとしたという事件がありました。
昨日、来園された方からそれと似たような話をお聞きしました。
10年ほど前のことですが、旅行会社に勤めていたその方の知り合いも、ある高校の数百人規模の旅行に使用するバスの手配を忘れていたのを直前になって気がついた、ということがあったのだそうです。
しかし、その人の場合は今回の事件の社員とは違い、手配を忘れていたことに気がついたときに、すぐに学校に出向き、事情を説明し、「旅行中の移動については責任を持って対応させていただきます」と頭を下げて謝罪し、移動についての責任を持ちますと約束したのだそうです。
びっくりです。いったい、数百人の生徒の移動をどうやって行うというのでしょうか。旅行は明日に迫っているのです。私は話をお聞きしながら、俄然、その結末に関心を持ちました。
さて、私たちは他人と利害関係にある時、他人の行為・行動が私たちにとって不十分な、あるいは不利益となる結果をもたらしたと思われた場合に、よく「おい、責任をとれよ!」と言います。が、そこでいうべき言葉は、「責任をとれよ!」ではないと思います。
「責任をとれよ」というから、それなら「辞めて責任をとります」とか「弁償して責任をとります」などと応じて、ことが終わったように錯覚してしまうのではないでしょうか。
責任はとるものではなく、「果たすもの」だと思うのですが、いかがでしょうか。
人の責任の取り方は様々です。そして、その責任の取り方にはその人の人柄、性格、そして人間性が出ます。仕事への本気度も出ることでしょう。
しかし、そこに更に「責任を果たす」という考えが加わると、将来のその人の生きる姿勢に責任を果たしたことが貴重な人生の経験知として蓄積されていくのではないでしょうか。
責任をとることよりも、責任を果たすことの方が厳しいのです。
さて、みなさん、話の中のその人はどうしたと思われますか。
私は、それを聞いてびっくりしてしまいました。
その人はどう責任を果たしたでしょうか。皆様、ちょっとお考えください。
どうなったかは次回にご紹介します。