先日、ある高校の男性教師の教育実践の様子を紹介するテレビ番組を途中からですが、見ることがありました。<o:p></o:p>
画面には、女子高校生たちが1人一羽ずつのニワトリを胸に抱いている様子が映っていました。<o:p></o:p>
その日、彼女たちはこれまで自分たちが1人一羽ずつ、大事に大事に育ててきたニワトリを解体する(捌く)日を迎え、今、その順番を待っているのです。<o:p></o:p>
愛情いっぱいにここまで育ててきたニワトリを自らの手で殺さねばならない彼女らは、目に涙を浮かべ、必死に嗚咽をこらえてニワトリを抱いています。<o:p></o:p>
ある少女の順番が来ました。カメラが下からのアングルで教師と彼女の表情をとらえます。手元は見えません。 <o:p></o:p>
教師が彼女の手に刃物を握らせ、そこに自らの手を添えたようです。と、次の瞬間、彼女の表情は崩れ、嗚咽が漏れ、目に涙があふれます。彼女が育てた愛おしいニワトリの命が絶たれました。ニワトリの声は聞こえませんでした。<o:p></o:p>
番組のテーマは『生命の教育』。<o:p></o:p>
私たち人間にとって、命の連鎖は素晴らしい奇跡だけれど、それは私たちが数限りない多くの生き物をすることによってもたらされたものです。その自然の摂理の中で私たちは生きているのです。<o:p></o:p>
だから? だけど? 生きることは素晴らしい? 自然は素晴らしい? <o:p></o:p>
その命をいつまでも胸に抱いていることは許されないのです。命は命を奪うことで支えられねばならない。私たちはそうした命の連鎖を生きていることを思い知らされていました。<o:p></o:p>
彼女の嗚咽が耳から離れません。<o:p></o:p>