先日、忙しい日々の合間を縫って、山に行ってきた。登山ではない。観光だ。
天候を心配しつつ出かけて来た。高い山に行って、自然の景色を見渡してきた。同じように観光の人がたくさんいた。
巨大な渓谷をせき止めてダムがあった。放水のしぶきが舞っていた。人はある時、こんなところに道をつけ、線路を敷き、トンネルを掘り、鉄塔を立てて、自然を相手に暮らしてきたのか、と驚くばかりだった。
山を下って、きれいに整備された広い庭園にも行ってきた。
その地に流れる川が懐かしかった。私たちが40年振りに見る川の流れだ。
ふるさとは
遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
忙しい日々の合間を縫って行ってきた。
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昨晩、テレビニュースで、高齢の女性が向けられたマイクに向かって、悲痛な面持ちで呟くのを見た。
「早く家に帰りたい……」
北海道での最大震度7の大地震。被害は甚大だ。
早く家に帰りたい……。
家?
その女性にとって「家」とは何のことをいうのだろうか
地震が襲って来るその時まで、家族と、あるいは独りで住み、慣れ親しんでいた空間のことか。その建物のことか。それともそこで自分や家族の中に、日々、当たり前に流れていた時間のことか。
あるいはふるさとのことか。毎日、見たり、聞いたり、触れたり、感じたりしていた風景のことか。
あるいは同じ土地で助け合って住み暮らしていた、お互いによく見知ったご近所、友だち、知り合いのことか。
早く家に帰りたい……。
もう、自分自身の力だけでは帰りたくても帰れない「家」。それは慣れ親しんだ空間であり、時間だった。あって当たり前のものだった。
被災者の中には、帰りたくてももう「家」には帰ることが出来ない人もいる。残りの人生をかけて、また新たに、帰る「家」を、空間を、時間を、求めていくのだろうか。ここに来て、今また、人生の試練が始まるのか。
私たちにとって「家」とは何なのだろう。
分かっていたはずなのに、愚かにもあって当たり前と思ってしまっていた自分の慣れ親しんだ時空間を不意に奪われて、初めて気がつく私たちの存在の脆さ。危うさ。はかなさ。弱さ。
「早く家に帰りたい……」 そう呟いたあの女性は果たして「家」に帰れるのか。
理不尽な自然に、不意に思い知らされる私たちの存在の危うさ、はかなさ。
ひとごとではない。
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