障害者虐待の遠因

2013年11月23日 | 日記・エッセイ・コラム

 

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例えば、自分の育ちや学歴にコンプレックス(劣等感、ひけめ)を持っていると、他人の育ちや学歴が気になります。<o:p></o:p>

 

同じように、自分の身体にコンプレックスがあると、やたらに他人のそれが気になります。<o:p></o:p>

 

そして、それらを気にしすぎると、自分を見失います。<o:p></o:p>

 

そんなことで自分を見失ってはいけません。<o:p></o:p>

 

例えば身体にコンプレックスを感じていたとしても、また、例えば育ちや学歴にコンプレックスを感じていたとしても、<o:p></o:p>

 

「だから、なに?」<o:p></o:p>

 

と、さらりと受け流すのがよろしい。他人と自分を比較してどうしようというのですか。おのれを磨いて、他者に貢献すること。そのためには、唯一、おのれの心を、精神を、社会あるいは他者に向かって解放するすべを獲得することが必要です。<o:p></o:p>

 

 他者はあなたが気にしているほど、あなたのことなど気にしてはいません。うぬぼれてはいけません。いや。だからこそ、私たちは自分に集中できるのです。<o:p></o:p>

 

知的障害者は、例えコンプレックスの原因になりそうなものがあろうが、なかろうが、いつも穏やかです。『自分は自分』なのです。それは本来、あるいは生来、他人と自分を比べることをしないからです。知的障害者はコンプレックスなどに躓くことはありません。<o:p></o:p>

 

「だから、なに?」と、コンプレックスはさらりと受け流して、自分に集中しましょう。それが、巡り巡って他者のためにもなるのです。<o:p></o:p>

 

 さつき園に通って来る利用者はそんなことも教えてくれます。<o:p></o:p>

 

 そして、敢えて誤解を恐れずに言えば、おそらく障害者虐待は虐待するその人が意識しているか無意識かに関わらず、その人のコンプレックスへの躓きにその遠因があるのではないかと思うのです。<o:p></o:p>

 

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猿が出た!

2013年11月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 

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今日の昼前、お隣の大島中学校から連絡がありました。<o:p></o:p>

 

「中学校に猿が出ました。子猿でしたので親猿がいるかもしれません。さつき園でも注意して下さい」とのことでした、と職員から報告を受けました。<o:p></o:p>

 

最近はすっかり見かけなくなりましたが、以前はタヌキはよく見かけました。しかし猿は記憶がありません。<o:p></o:p>

 

さっそく、昼食の際に利用者に注意を促します。<o:p></o:p>

 

「大島中学校からの連絡で、中学校に猿が出たそうです。お昼休みに散歩に行く人は特に注意をして下さい」<o:p></o:p>

 

ところが、それからがにぎやかなこと。昼の給食を食べながら、あちらこちら猿の話でもちきりです。そして、食堂に入ってきた職員にだれ構わずに、片っぱしから、<o:p></o:p>

 

「中学校に猿が出たんと、猿が。どうしたんかねぇー」と○○さんが持ち前の大きな声で言えば、<o:p></o:p>

 

「あのねー、猿が出たんよ。子猿といねー」とニコニコしながら△△さんが言います。<o:p></o:p>

 

「ねー、知っとる? 猿がおったんと。猿、噛むかねー」と、こちらは心配そうな□□さん。<o:p></o:p>

 

などなどで、食堂は一気ににぎやかになりました。<o:p></o:p>

 

「さつき園には蟹も出るけぇー、サルカニ合戦やるとええねぇ」と余裕の発言の◎◎さん。<o:p></o:p>

 

「おー、なるほど」と、私も思わず乗ってしまいました。<o:p></o:p>

 

しかし、さつき園の近くに猿が出るとはどういうことでしょうか。エサか? 迷ったか……?<o:p></o:p>

 

利用者に怪我がないように注意せねばなりません。<o:p></o:p>

 

それにしても、猿一匹で大いに盛り上がったさつき園。大したものです!?<o:p></o:p>

 

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目でも食べる

2013年11月11日 | 日記・エッセイ・コラム

 

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皆さんは煙草を吸われますか。<o:p></o:p>

 

私はもう10年以上も前に止めましたが、煙草をくゆらせる時、その人の精神にとって大事なのは何だろうか、と考えたことがあります。<o:p></o:p>

 

それは、自分の肺から吐きだした紫煙が目の前の空間を緩やかに漂う様を目にすることだと思い至りました。その漂う紫煙が見えないような暗がりでは、どんなに上等なたばこを吸っても少しもおいしくはなかったのです。それはそれは虚しく、味気ないものでした。<o:p></o:p>

 

煙草吸いは口でたばこを吸いながら、目でも煙草を吸っているのです。<o:p></o:p>

 

食べ物も同じでしょう。<o:p></o:p>

 

口にする食べ物の色や形を目で確認することで、私たちの精神は食べる前から満たされたり、物足りなかったりするのです。<o:p></o:p>

 

先日、ある人に暗がりで飴玉をあげました。その人にはその飴玉の形は分かっても、その色は全く分かりません。すると、その人にとって飴玉の味は不安定極まりないものとなったのです。いったいこれは何の味だろうか……。<o:p></o:p>

 

食べる物の形や色はその味覚において大事な刺激となります。<o:p></o:p>

 

煙草は健康によくありませんので、吐き出した煙が見えようが見えまいが即刻止めるがいいのですが、食べ物はどんな形や色の食物でもとにかく食べればいい、食べてしまえば同じ、というものではありません。<o:p></o:p>

 

私たちは日頃から「目でも食べる」ということにもっと関心を寄せたいと思います。<o:p></o:p>

 

さつき園の利用者にとって、食事は大事な楽しみの一つです。早食いで、あっという間に食べてしまう人もいますが、「目でも食べる」という経験をたくさん積んでもえるように努力、工夫したいと思います。<o:p></o:p>

 

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