日常が変わる気配

2020年06月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 悪さをする目に見えないものの感染から、身を守りながら生活することのたいへんさ。しかも、無症状感染の可能性もありますなどといわれると、自粛どころではなく萎縮してしまう心身。
 ヒトが足りない。モノが足りない。カネが足りない。
 命と経済のバランスをどうとるか。私たちの社会の運命の分かれ道。
 今回のような地球規模のウイルス感染があっという間に、一気に地球を席巻するなど、物語の世界のことかと高をくくっていた。しかし、「事実は小説より奇なり」は、真実だったのだ。

「マスクから鼻を出してはいけません。ちゃんと鼻を隠して着けてくださいよ」
 さつき園でもいろいろな柄の手作りマスクが見られます。自慢気に、わざわざ見せに来てくれる利用者もいます。
「おー、ええ柄じゃなー。よお似合うとるでー」ニヤッと笑っています。
 こんな会話をしながら、ストレスのかかる日々を緊張しながらも何とか利用者、職員みんなで今日まで過ごしてきました。
 マスクの着用、日々の検温、石鹸での手洗い、手指の消毒、3密の徹底。 毎日、利用者の終礼の時に、これらのことを大きな声でお願いするのです。
「はーい」と、元気に帰っていく利用者。明日も元気に通って来いよ。ご家庭でも利用者本人のストレスの解消に、あれこれ苦労されていると聞きます。
 しかし、この上に更に「第2波が来る」と専門家と言われている人たちが言います。
 会議や委員会や研修会が延期や中止になる中、テレビ会議も何度か体験しました。そこでは、会話や意見交換は出来ても、同じ現実空間を共有することが出来ないことのもどかしさを感じさせられました。
 新しい生活様式という言葉を耳にします。それがもうすぐ私たちの日常になるといいます。私も体のどこかで、私たちの日常が変わる気配を感じつつ、しかし、同時に「温もり」という言葉が揺らいでいるのを感じています。
 私たちの生活の在りようは、大きな転換点に差しかかっているようです。
 

 ようこそブログ『園長室』にお越しくださいました。どうぞ、社会福祉法人さつき会のホームページへもお立ち寄りください。皆様に親しまれるホームページ作りに努力いたしますので、是非、ご意見ご感想をお寄せください。ホームページへのアクセスは下記へお願いいたします。
  アクセス ⇒ http://satsukikai-oshima.com/
 なお、ホームページ内のさつき園のページから、このブログ『園長室』を覗くこともできます。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

親切の結果

2020年06月12日 | 日記・エッセイ・コラム

 先日の通勤時のこと。
 釣り具屋さんの駐車場から一台の軽自動車が道路に出ようとして、左斜めに停車しています。運転している人も車の流れを気にしているようです。ちょうど先の信号が赤になったので、車の流れは緩やかになって止まろうとしています。私はその軽自動車の前あたりで止まることになりそうだったので、出やすいように前の車との車間を取って止まりました。
 信号が青になり、その軽自動車はゆっくり流れに合流します。私もその流れに乗って軽のあとを進みます。
 と、その軽はおそらく2、30メートルも行くか行かない所で左折しようとします。そこには郵便局があり、その駐車場に入ろうとしています。
「こんな時間には郵便局はまだやっていないから、ポストに何か投函するのか?」と思って見ていると、何と、その軽はウインカーを点けずに左折を開始しているのでした。
 すると、私が「えっ!」と思ったと同時に、私の車の左側をスッと通過して行った自転車が、左折する軽の左ボディに衝突しそうになったのです。自転車は衝突を避けようとブレーキをかけて、左に車体を傾けますが、軽はそれには気付くことなく左折していくので、自転車は車道と歩道との間に設置してある縁石と軽に挟まれそうになってしまうようでした。
 けれど、何とか衝突することなく、衝突寸前で自転車は止まったのです。
 それでも軽の運転手はそのことに気が付きません。なので、自転車の青年は自転車に跨ったまま、停車した軽の運転席に近づき、ひと言ふた言、険しい顔つきで何かを言っています。そして、ややあって彼は自転車を漕いで立ち去って行きました。軽の運転手がどんな顔をしていたのかは見えませんでした。
 その時、私が思ったこと……。
 軽自動車に先を譲った私の行為がなければ、自転車の彼はあんな危険な目に合わずに済んだかもしれない。幸いにもぶつからずに済んだけれども、あんな不愉快な思いをせずに済んだかもしれない。彼はあの日一日嫌な気分で過ごしたかもしれない……。いや、衝突して大けがを負ったかもしれない。いや、転倒して打ちどころが悪かったら死んでいたかもしれない……。
 自分の行為が見ず知らずの人に対してどんな結果を及ぼしているか。私たちは、日々そんなことをいつも考え、気にして生活してはいません。しかし、単なる行為ではない自分の親切心や優しい思いやりの結果は、きっと相手の人にとっていい結果をもたらしているだろうと、勝手に思っている。
 ボランティア行為、然り。教育行為、然り。親の子への行為、然り。
 そのとき、その結果をもたらした原因、あるいは遠因は、誰にもわからない。近視眼的に見れば、あれが、これが、とその原因らしきものを言うことは出来るかもしれない。けれど、本当の原因は何なのかは、誰も知ることは出来ない。
 障害者支援が難しいのは、本人の生い立ちからこれまでの歩みや、本人に接してきたすべての人との関わりを審らかにすることが出来ないからだ。
 さつき園の利用者の○○さんや□□さん、そして△△さんも……。彼らは何も喋らないけれど、そして自分の過去を振り返ることもしないけれど、そうした社会構造の中で、彼らは自分の人生を、己の力を振り絞って、力の限り懸命に生きてきているのだ。


 ようこそブログ『園長室』にお越しくださいました。どうぞ、社会福祉法人さつき会のホームページへもお立ち寄りください。皆様に親しまれるホームページ作りに努力いたしますので、是非、ご意見ご感想をお寄せください。ホームページへのアクセスは下記へお願いいたします。
  アクセス ⇒ http://satsukikai-oshima.com/
 なお、ホームページ内のさつき園のページから、このブログ『園長室』を覗くこともできます。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ツバメの巣

2020年06月02日 | 日記・エッセイ・コラム

 蒸し暑かった今日。お昼休みに気がついたのです。何とのんきなことか、と自分でも思います。
 そういえば、先週の後半、園の玄関先辺りで、小鳥のさえずりのような鳴き声がいくつも近づいたり、遠のいたりしていたことでした。いつになくうるさいほどだったことを思い出しました。
 でもまさか、その賑やかさは巣作りに励むツバメの鳴き声だったとは……。
 さつき園の玄関先には玄関に向かって左側に、園舎に沿って来客用に5台分の駐車スペースがあります。田んぼのほうから園舎に向かってしきりにツバメが飛んでくるので、思わず視線を上げて軒先を見上げると、そこに何とツバメの巣があったのです。見ると、2羽のツバメが交互に巣を飛び立って雛のえさを探しに行くようです。しばらくして、1羽が巣に戻ってくると、入れ替わりにもう1羽がえさを探しに素早く巣を飛び立つのです。まるで、言葉を交わしているようなふうです。
「もどったよ」「おーそうか。じゃあ行ってくるよ」
 なんてなことを言っているはずはないのですが、2羽の動きの間(ま)はそんなように思えます。
 さつき園の前には広々と田んぼが広がっています。ツバメは田植えが済んだその田んぼの上空へ飛んでいき、えさを見つけるとすーっと降りてきて上手に(?)くちばしで摘まんで戻ってくるのです。時には少し離れた屋代川の土手辺りまで飛んでいき、えさをくわえて戻ってきます。
 雛が何羽いるのかはよく分かりません。巣はよく見かけるツバメの巣よりも少し小さいようです。
 動物の本能なのでしょうね。言葉などなくても、代わる代わる交代で雛のためにえさを探しに飛び立つ姿には、ついつい見入ってしまいます。
 ツバメが巣を作ると縁起がいい、とか。
 いいことがあるといいけどねー。


 ようこそブログ『園長室』にお越しくださいました。どうぞ、社会福祉法人さつき会のホームページへもお立ち寄りください。皆様に親しまれるホームページ作りに努力いたしますので、是非、ご意見ご感想をお寄せください。ホームページへのアクセスは下記へお願いいたします。
  アクセス ⇒ http://satsukikai-oshima.com/
 なお、ホームページ内のさつき園のページから、このブログ『園長室』を覗くこともできます。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする