野風増(のふうぞ)

2011年05月23日 | 日記・エッセイ・コラム

 先日、テレビで久しぶりの歌を聞いた。「野風増」という歌だ。皆さんはご存じだろうか。その時は橋幸夫が歌っていたが、もともとこの歌は今は亡き河島英五がその野太い声で歌っていた歌だ。

 お前が二十歳になったら 酒場で二人で飲みたいものだ

 ぶっかき氷に焼酎入れて つまみはスルメかエイのひれ

 お前が二十歳になったら 想い出話で飲みたいものだ

 したたか飲んでダミ声上げて お前の二十歳を祝うのさ

 いいか男は 生意気ぐらいが丁度いい

 いいか男は 大きな夢を持て

 野風増 野風増 男は夢を持て

 私には、この歌を聴くと鮮烈に思い出すあるシーンがある。

かれこれ25年ほども前になるだろうか。私より一回りほど年長のその人は東京の一流企業のサラリーマンだった。九州の有名な大学では応援団にいたと聞いた。そのせいかその人の声は大きく太かった。

ある時、会合の後の飲み会の席でその人がこの「野風増」を歌ったのだ。私は、その時初めて聞いたこの歌の歌詞を聞いて泣きそうになった。

その人には3人の子どもがいたが、長男は障害児だった。それも知的な障害が重く、しかも重度の肢体不自由もあり、意思表示もままならない寝たきりの重症心身障害児だったのだ。

そのときその長男は何歳だったのか。

マイクを手に、太い声で歌うその人の目には涙が光っていた。私は彼の顔をまともには見ることができなかった。テレビを見ていた私の中で、その人が最後は声が裏返らんばかりに歌っていたその時の情景が鮮やかに蘇っていた。

何故、あの日あの時、その人がこの歌を歌ったのかは分からない。でも、当時、私はその人が歌うその歌声を聞きながら、障害児を持つ親の気持ちが少しわかったような気がしていたことを思い出す。

お前が二十歳になったら 酒場で二人で飲みたいものだ……

その人はどう心の整理をつけたのだろうか。それとも、いまだに心の整理がつかないでいるのだろうか。

人は、自分の人生といえど自分で選ぶことなどできないのだ。

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「で、あなたはどうするの?」

2011年05月20日 | 日記・エッセイ・コラム

 時代は今や一億総評論家の時代です。

テレビでは、様々な分野の専門家と呼ばれる人たちから街行く老若男女まで、時によっては小学生の子どもたちまでもが求められれば、それなりの気のきいたコメントをしているのを毎日のように見かけます。もちろんそれは、テレビ局による巧な映像や音声の編集結果でもありましょうが……。

このたびの大震災後の復興の道筋や支援体制について、あるいは原発や風評被害への対応について、またエネルギー問題について、そして政治や経済・雇用対策について等々、その気になれば、今、私たちは、まことに残念ながら、コメントしたり論評したりする材料に事欠きません。

しかし、一億総評論家の時代だからこそ、それらについてコメントしたり意見を述べたりする人がいれば、私は最後にその人自身に向かって「で、あなたはどうするの?」と問いたいと思います。自らにそう問うことで、私たちは事件や問題に直面している当事者とやっと対等になることができ、彼らと対峙することを許されるのではないかと思うからです。

そしてそれは専門家ならなおさらです。論評したからには「で、私はこうします」と自らがとる行動について言及すべきではないでしょうか。その自覚もなく言葉を発するというのは、いかがなものでしょう。それは、顔も知らない遠い他人に向かって、ああしなさいこうしなさい、それはおかしいよ……、と無責任に言っているのと同じではないでしょうか。

最後に、「で、私はこうします」と表明することで、自分の発言内容に責任を取ることになるのだと思います。言いっ放しでは専門家の肩書が泣くというものです。それは聞いていて空しいばかりです。

たとえどんなに高尚で知識豊かなことを口にしたとしても、テレビでそんな発言しかしない専門家を見ると、「お前さんは専門家として、いったいどこでどんな修練を積んできたんだ!?」と質問を投げつけたくなります。ひとかどの専門家なら、自らがとる行動に見合った発言をしてほしいものです。

 いやいや、それではあまりにテレビに期待し過ぎでしょうかね……。

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思わぬ展開

2011年05月11日 | 日記・エッセイ・コラム

 利用者は他人の世話を焼くのが大好きです。昨日のことです。昨日の利用者終礼のときの『さようなら』の号令は、女子の当番の○○さんがかける番でした。

 ところが○○さんは利用者40数人が担当職員別に並んでいる列の前に立ったまではよかったのですが、そのままじっと固まってしまったのです。

 私が何度か『気をつけ、礼』の号令をかけるように促しても、視線が動くだけで思いは言葉になりません。

 すると、見かねた□□さんがすっと出てきて、「○○さん、頑張って!!『気をつけ、礼!!』って言うて」と、耳元で盛んに○○さんを励まし始めました。

 しかし、○○さんはなかなか思いが声にならずにもどかしそうです。そこで私が、

 「じゃあ、男子の当番さんにやってもらおうか」と言うと、

 「いけん!! ○○さんがやるの!!」と、私の言葉を遮るように□□さんが主張します。

 「おー、そうかね。それはごめん、ごめん」と私。

 それからまたしばらく□□さんが励ましたり促したりますが、○○さんの口から号令が出る気配がありません。ならばと私が、

 「□□さん、すまんが代わりにあなたが言うてちょうだいよ」と、□□さんに声をかけてみました。

 するとどうでしょう。そう言われた□□さんはびっくりです。思わぬ展開にドギマギしています。それまでしきりに○○さんに優しく励ましやら催促やらの声をかけていたのが、今度は自分が緊張してしまい、突然、静かになってしまいました。待っている利用者の中から、「そうそう。□□さんが代わりに言いんさい」と声もかかったりして、□□さんはいっそう恥ずかしそうにモジモジ、モジモジ。今度は□□さんが固まりそうです。

 が、しばらくしてやっと意を決したのか、□□さん、まっすぐ前を向いて、ひとこと、

 「さようなら!!」と言って、頭をペコっと下げてお辞儀をしました。

 待ってましたとばかりにみんなもそれに合わせて「さようなら!!」と言いながら、ホッとした表情で送迎車に向かいます。「○○さん、代わりに□□さんが言うてくれたよ。よかったね。今度は頑張ってね」と、固まったままの○○さんに声をかけていく利用者もいます。

 利用者の中には、自分のことはさて置いても他人のお世話を焼くのが大好きな人がたくさんいます。他人を思いやる心にあふれているのです。しかも、それはこちらが感心するくらい素直に行動に出てきます。

でも、昨日の□□さんはびっくりしたことでしょう。本人にしてみれば思わぬ展開でしたが、よく頑張ってくれました。□□さんが満足した表情で、何が入っているのか、いつものたくさんの袋を提げて帰りの送迎車に乗り込んだのは言うまでもありません。

 

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現場に行け!!

2011年05月02日 | 日記・エッセイ・コラム

今、東日本大震災から2ヵ月近くが経とうとしています。しかし、相変わらず、大震災の現場をその目でしかと見もせずに、現場の声を聞きもせずに、小手先で復興を成そうとしている政治があります。かたや自己の、あるいは自分の属する集団の利益しか考えない貧相な党派性を恥ずかしげもなく振りかざす輩がいます。

今は昔(?)、かの東京・湾岸署の青島刑事は名言を吐きました。

『事件は会議室で起きているんじゃない。現場で起こっているんだ

!!』

 現場に行け!! 現場に行って、這いつくばって証拠を集めてこい!! その身はエアコンの効いた会議室に置きながら、事件について語るな!!

 事件の現場には目には見えないたくさんの血と汗と涙が流れているのです

 福祉も同じだと思います。

机の上だけで福祉を語ってはなりません。現場に行って、自分の五感でしっかり現場を感じ、そこに生きる人を感じることから始めなくてはなりません。

 だから、人の心に寄り添うことを知らない人間、それができない人間に、人としての誇りを育てる福祉や、まして国の政治などに携わってほしくはないものです。

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