先日、テレビで久しぶりの歌を聞いた。「野風増」という歌だ。皆さんはご存じだろうか。その時は橋幸夫が歌っていたが、もともとこの歌は今は亡き河島英五がその野太い声で歌っていた歌だ。
お前が二十歳になったら 酒場で二人で飲みたいものだ
ぶっかき氷に焼酎入れて つまみはスルメかエイのひれ
お前が二十歳になったら 想い出話で飲みたいものだ
したたか飲んでダミ声上げて お前の二十歳を祝うのさ
いいか男は 生意気ぐらいが丁度いい
いいか男は 大きな夢を持て
野風増 野風増 男は夢を持て
私には、この歌を聴くと鮮烈に思い出すあるシーンがある。
かれこれ25年ほども前になるだろうか。私より一回りほど年長のその人は東京の一流企業のサラリーマンだった。九州の有名な大学では応援団にいたと聞いた。そのせいかその人の声は大きく太かった。
ある時、会合の後の飲み会の席でその人がこの「野風増」を歌ったのだ。私は、その時初めて聞いたこの歌の歌詞を聞いて泣きそうになった。
その人には3人の子どもがいたが、長男は障害児だった。それも知的な障害が重く、しかも重度の肢体不自由もあり、意思表示もままならない寝たきりの重症心身障害児だったのだ。
そのときその長男は何歳だったのか。
マイクを手に、太い声で歌うその人の目には涙が光っていた。私は彼の顔をまともには見ることができなかった。テレビを見ていた私の中で、その人が最後は声が裏返らんばかりに歌っていたその時の情景が鮮やかに蘇っていた。
何故、あの日あの時、その人がこの歌を歌ったのかは分からない。でも、当時、私はその人が歌うその歌声を聞きながら、障害児を持つ親の気持ちが少しわかったような気がしていたことを思い出す。
お前が二十歳になったら 酒場で二人で飲みたいものだ……
その人はどう心の整理をつけたのだろうか。それとも、いまだに心の整理がつかないでいるのだろうか。
人は、自分の人生といえど自分で選ぶことなどできないのだ。