園長さん いつも ニコニコ していますか

2012年09月19日 | 日記・エッセイ・コラム

利用者の○○さんは、長年、毎日のように私に手紙を書いてくれています。

担当する職員が仕事を終えて帰る際に、○○さんから受け取った手紙を定期便のように届けてくれるのです。受け取って園長室で独り目を通すと、ホッと疲れも癒えていきます。今日も3通が届きました。

最近届いた○○さんの手紙を原文のままご紹介します。

「園長さん いつも ニコニコ してい ますよう」

「園長さん わたしは まいにち いろんなふくを きっています」

「園長さん からだを たいせつに して下さいね 元気になってね」

「園長さん 元気ですか すこしいは かぜはひって いますか きよつけて 下さいね」

「園長さん わたしは まいにち あついてす」

「園長さん わたしは まいにち いそかしい」

「園長さん いつものように さわかに生ようね しあわせになようね とうしてもね」

「園長さん 元気ですか いつも ニコニコ していますか」

毎日、こんな手紙を書いていくれる○○さんです。○○さんはすでに50歳を超える年齢ですので、私たちは○○さんの体調を心配する毎日ですが、本人は自分のことより私のことをやさしく気遣ってくれています。

だから私は、いつも元気に、ニコニコ顔でいないわけにはいかないのです。

だからまさしく、私こそ利用者に支えられていると思うのです。

『○○さん、園長は元気ですよ。いつもニコニコしていますよ。心配してくれてありがとうね!またお手紙下さいな』

季節も秋になって、○○さんも少しずつ元気を取り戻しています。

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順天堂大心臓血管外科教授

2012年09月05日 | 日記・エッセイ・コラム

その人の名は、知る人ぞ知る『天野篤/あまのあつし』。今年2月、天皇陛下の心臓手術を執刀した、あのドクターです。

その天野医師が、読売新聞くらし家庭面の連載『医療ルネサンス』が開始から20年を迎えたのを機会に開かれた3氏座談会で、「連載に対する要望、注文はありますか」の質問にこう答えています。(2012年9月2日付読売新聞)

曰く、「両陛下に食事にお招きいただいた時、皇后陛下から「難病」の現状について尋ねられました。自分に何の責任もないのに闘病を強いられ、治療法が確立していない病気のことです。取り上げられることが少ない難病について特集してほしいと思いました」

また続けて、

曰く、「今の保険制度の中では、臨床医は公僕に近い存在だと思っています。私利私欲を捨て、どんな患者さんに対しても同じ誠実な姿勢で治療にあたるということです。天皇陛下の手術を担当させていただいたことで、あらためて、その大切さを痛感しました。そんな医師たちの活躍を、これからも連載で追い続けてほしいと思います」

 こんな言葉を目にすると、つくづく『修行がたらんなぁ』とわが身を振り返るのです。

 そして、生命と直に向き合う医療と人生や生活と向き合う福祉を一緒に語ることはできないかもしれませんが、そんなことを語るドクターが同時代にいることが、おこがましいことですが、私の内なる励みになるのです。

福祉の世界は、医療の世界ほどの関心を人々にもたれているわけでありません。ですから、福祉に関する連載が20年も続くことは到底考えられませんが、せめて、たまさかの美談をこれ見よがしに記事にして読ませるようなことはなしにしてほしい、と願うものです。

『自分に何の責任もないのに闘病を強いられ……』

『臨床医は公僕に近い存在だと思っています。私利私欲を捨て、どんな患者さんに対しても同じ誠実な姿勢で治療にあたるということです。……』

深い認識と、よほどの覚悟がないと吐けない言葉です。

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