AED(自動体外式除細動器)

2011年08月25日 | 日記・エッセイ・コラム

 私の知り合いの若者はAEDのおかげで、1度死んだ命をこの世に繋ぎとめることができた。

 それは今年の1月のこと。

夜、奥さんが、隣りで寝ていた彼の発した大きなうめき声に驚いて救急車を呼んだ。電話を受けた消防では、その情況がかなり緊急で深刻と判断したのか、救急車に救急救命士が同乗して来たという。その間、彼は心停止状態。

 AEDを2度使用したが、彼の心臓は動かなかったそうだ。通常なら、それで一巻の終わりとなるかもしれないところだが、患者があまりにも若い(27歳)ということで「もう1度やってみよう」と3回目を試みたら、何とそれで心臓が動き始めたというのだ。

 しかし、それで意識が戻ったわけではなかった。彼の意識が戻ったのは約半日後の、翌日の午後だった。

 この話を、彼の両親からこのお盆に聞かされて驚いた。びっくりしながら聞いていたので、事実関係の正確さには自信がない。が、AEDを2回でやめずに、よくも3回目を試みてくれたものだと感謝した。

 私たちも「念のために」とか、「ひょっとして」などと思って、やってみたり確かめたりすることがある。

知り合いの若者はそのおかげで、この世に命を繋ぎとめることができた。

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お母さんの死

2011年08月18日 | 日記・エッセイ・コラム

 「園長さん、お母さんが死んでしもうた」

 先月末、○○さんからさつき園に電話がありました。○○さんは半べそです。

 お母さん思いの○○さんは、それまでさつき園のグループホームで生活をしていたのですが、7年ほど前に、家庭の事情でお姉さんがお母さんを引き取って広島県で生活することになったのを機に、本人も長年住んでいたグループホームを出て、お母さんと一緒に住む道を選んでいたのです。

 その後は、判で押したように2ヵ月に一度、お姉さんの運転する車でさつき園の利用者や職員に会いに来てくれていました。

 その○○さんが受話器の向こうで涙声になっています。

 聞いてビックリです。お母さんが入院中だったことは以前の電話で聞いてはいたのですが……。88歳だったそうです。

 「園長さん、さびしい」

 私に、返す言葉はありませんでした。

 そして昨日、○○さんがいつものようにお姉さんの運転する車でさつき園にやってきました。しかし、残念ながら、私は会議で山口市へ出かけざるを得ず、会うことができませんでした。夕方、園に戻って職員に○○さんの様子を聞くと、「それが、来てしばらくしたら、すぐに帰ってしまいました」とのこと。どうしたことでしょうか。

 気になって、今朝、さつき園から○○さんに電話をかけました。

 「昨日は居らんでごめんね」

「うん」

 「えらい早ように帰ってしもうたらしいじゃないかね。どうしたんかね」

 「うん」

「なんで?」

 「さみしかったけぇー」

「そうか。さみしかったんか……。んー、そうじゃのう、さみしいじゃろうのう……」

 「園長さん……」

 「はい」

 「死にたい気持ちじゃー」

 「えっ! 何を言いよるんかねー」

 こんな時、何をどう言えばいいのでしょうか。

 お母さん思いの○○さんのこれからの人生を、さつき園は支えることができるでしょうか。そんなことはおこがましいことでしょうか。僭越でしょうか。越権でしょうか。

でも、考えるのです。さつき園に何ができるか、を。さつき園にできることはないか、を。

電話を切るときの私の言葉に、ちょこっと○○さんが笑ったのがわずかに救いでした。

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ゴミの分別

2011年08月16日 | 日記・エッセイ・コラム

 さつき園は8月12日の金曜日から昨日15日の月曜日までお盆の休園でした。

そのお休みの間に我が家の粗大ごみの処理をしました。

 古くなった布団と毛布と、そして木製の家具を処分するために、それらを車で処分場へ運び込んだのです。

 すると、何と「ここで全部の処分はできません」と言われてしまいました。

 というのも、「木製の家具はここで処分できますが、布団はここでは処分できません。第一工場へ持ち込んで下さい。それから毛布は資源ごみの処理場へ持って行って下さい」とのことなのです。

 暑い日中、乗用車1台分の粗大ゴミを3ヵ所にも分けて運び込むことになろうとは、予想外のことで、汗も噴き出す思いでした。

 ゴミの分別は大事なことです。

もちろん大事なことと分かってはいるのですが、連日の暑さへのイライラもあり、また思わぬ指摘を受けたこともあり、ちょっと参ってしまいました。分かっているつもりで、案外、分かっていなかったのです。日頃からもっと関心を寄せておくべきだったと、反省しきりです。

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誕生会

2011年08月09日 | 日記・エッセイ・コラム

 「今日は誕生会?」「そう、今日は8月の誕生会があるね」

 「8月の誕生会かー」「そうよ。今日は8月の誕生会じゃ」

 「僕は?」「○○さん? ○○さんの誕生日はいつかね?」

 「僕はねー、12月かなー?」「そうかね。12月なら、まだじゃね。今は暑い夏じゃろ。○○さんが生まれたのは12月なら、寒い冬じゃから。まだ先じゃ」

 「そうか、まだかー」

 さつき園の8月生まれの利用者は4人です。誕生者の好みで決めた、いつもより豪華な食事をしながら、みんなでお祝いします。

 会の司会やプレゼント渡し、誕生日のお祝いの歌のオルガン伴奏など、利用者がそれぞれを担当して会を進めます。

 4人のみなさん、誕生日おめでとう!

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テレビCM

2011年08月08日 | 日記・エッセイ・コラム

 狭い茶室で、真剣な表情で向き合う秀吉と千利休。

 と、それを一変させる意表を衝く会話。

「利休よ」「はっ」

 「この部屋、狭くねェ?」「超狭いっす!!!」

 その言葉を聞いた秀吉が無理に座り直そうとすると、背中がその狭い部屋の壁を押してしまい、壁が倒れます。そのはずみで秀吉は思いっきり後ろ向きにでんぐり返って、隣りの住人の部屋に転がり込んでしまいます。

転がり込んだところはタイムスリップして時間と空間を超えた、現代の若い男女の住まいです。

当然、いきなり壁が倒れて、人が転がり込んできたので、その部屋の住人である男性(佐藤隆太)はびっくりです。しかもその人が時代劇に出てくる殿様風だったので、二重のびっくりです。

だから男性は思わず大声で「誰っ!?」と叫びます。

 ところが一緒にいた女性(豊田エリー)は落ち着いたもので、慌てる風でもなくその人を見るなり、

 「殿さまだよ!」と言ってニコニコしているのです。

 男性は、自分の慌てぶりに比べて、女性があまりに落ち着いているので、動揺を押し隠して、無理無理納得するように、うなずきながら、

 「おおおお~!?」と、うなるように声を上げますー。

 ご存知でしょうか。これはテレビでおなじみ(?)のある住宅建築メーカーのCMです。

「利休よ」「はっ」

 「この部屋、狭くねェ?」「超狭いっす!!!」

この会話も、時代背景と言葉遣いとのミスマッチが面白いのですが、何と言っても隣りの部屋の若い女性の「殿さまだよ!」というゆったりした言い方と笑顔、男性の無理無理納得しようとして発する「おおおお~!?」の声と慌てたその表情、この取り合わせが何とも言えずいいのです。しかも、でんぐり返る秀吉をあの名優津川雅彦が演じているというのも利いています。

 このCM、いつ見ても、何度見ても、私は小さく笑ってしまうのです。

 こんな配役でこんなテレビCMを作る人の感性、その現代観や現代人観に大いに興味があります。

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草取りとなでしこジャパン

2011年08月02日 | 日記・エッセイ・コラム

あるところで、偶然、こんな会話を耳にしました。

「お宅の庭はいつもきれいですねぇー」「そうですかねー」

「全然草が生えないで、いいですねぇー」「……」

聞いた私は思わず笑ってしまいました。

見ると、そう言われた相手の方も、どう返事したものかといったような困った笑顔をしておられました。

何故って、草の生えない庭などないでしょうに。ましてや、そのお宅の庭だけ草が生えないなんてありえません。それはきっとそのお宅の方が毎日のように、庭の草を短いうちから抜くなどして、こまめに手入れをされているから、草の生えていない、きれいな庭になっているのでしょう。

日常生活の中で、似たような場面をよく見聞きしますね。自分の努力不足や心がけの悪さは棚上げにしておきながら、しかし、他人と同じようないい結果を欲しがっている……。

努力と結果は対です。

なでしこジャパンがそれを証明してくれました。私が彼女たちから学んだことは、

一つ、常に個人の技術を磨く。

一つ、常に全体をみる。その組織、その場面、その瞬間。

一つ、常に組織内でのコミュニケーションを図る。

一つ、とにかく走る。

彼女たちの前にどれだけの先人たちが日本に女子サッカーを認知させるために、人知れぬ努力を積み重ねてきたか。そして、沢選手や宮間選手を始めとする優勝チームの面々がどれほど陰で努力してきたか。

7月19日(火)付の読売新聞には「情熱だけが強みだった。選手は『今は駄目でも、未来の選手のために頑張ろう』と走り続けた」という一文が載っています。

明日のために、頑張り努力する情熱と勇気を持ちたいものです。

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