はたして、現代は子どもたちにとってどういう時代なのだろうか、と思う。
いじめがあり、虐待があり。しかも、それらの大半は潜在化している、といわれる時代。
リセットボタンを繰り返し押し続けると、バーチャルな世界は何度でもいのちを蘇らせる。ならば、その画面の中で敵を倒すことに、また、その画面の局面を制圧することにどんな意味を見つければよいのだろうか。
手軽に手に入るバーチャルな世界といじめや虐待の連鎖の中で育つものは、何なのか。大人たちが、腰の引けた生き方しかできなくなっているとき、子どもたちは自分たちの精神からいのちに感動する心を捨て去っている。
今や、親は子を見ようとせず、子は親を見失い、教師は生徒を見ようとせず、生徒は教師を見失う。社会は安心を見失い、経済は満足を見失い、政治は大衆を見失い、類は個を見失う。そして、個はおのれを見失う。その、おのれを見失った蒼白の個に豊かな感性はもどらない。
こうして今を生きる私たちが、来る日も来る日も大事なものを見失い続ければ、世界の終わりかー。
『…… あなたを見失えば 世界の終わり …… 』(吉田拓郎)
だれも、すぐそばにいる少年の、そのふるえる息遣いにさえ気づかない、あるいは気づこうとしない時代を生きているのだ。
そんな時代では、私たちが「あなた」を見失えば世界の終わり、なのだ。