3塁ベースコーチ

2012年03月30日 | 日記・エッセイ・コラム

 テレビで春の選抜高校野球を見た。

 対戦していたチームの名前は忘れたが、こんな場面があった。

 得点は5対2。9回裏、1死ランナー2塁1塁。ホームランが出れば同点のチャンスだ。打席のバッターが1,2塁間を抜ける浅いライト前ヒットを打った。それは、2塁ランナーがホームを狙うには浅いと思われた打球だった。が、何と2塁ランナーは3塁を蹴ってホームを狙ったのだ。

 えっ!? 最終回で、点差は3点。しかもヒットとはいえ、浅いライト前ヒットだ。ここはランナーを溜めて、相手ピッチャーやチームにプレッシャーをかける場面だろうに……。

 案の定、2塁ランナーが3塁を回ったところでライトはゴロを捕球し、すでにバックホーム体勢に入っている。結果は、キャッチャーへの好返球でホームベースのかなり手前でタッチアウトである。

 問題はこの時、3塁ベースコーチはどう判断し、どういう指示を2塁ランナーに与えたか、だ。

残念ながらテレビ画面にそれは映ってはいなかったが、おそらくホーム突入を指示していたのだろう。なぜなら、3塁に向かう2塁ランナーはライト前まで転がった打球の行方を最後まで確認しながら走ることなど出来ないから、ホームへ突っ込むかどうかの判断は3塁ベースコーチに任せるしかないからだ。

試合はその後、そのチームがチャンスをものにできずに5対2のままでゲームセットとなった。

高校野球とはいえ、3塁ベースコーチの責任は重い。

その一瞬の判断ミスがそのゲームの行方を左右する。控え選手の中の誰かがコーチスボックスに立っていればいいというものではない。

その日の風の向きや強さ、グラウンドの固さやその状態、相手チームの内外野手の守備力、足の速さや肩の強さの見極め。そして、目の前の局面の的確な状況把握と次に予想されるゲーム展開への準備。次打者と塁上のランナーへの監督の指示の伝達……。今はあまり見かけなくなったが、以前、プロ野球では監督自らが3塁のコ―チスボックスに立っていた例もあるくらいだ。それくらい3塁ベースコーチの責任は重いのだ。

刻々と変わる局面に応じて下す一瞬一瞬の判断には、その人の日頃の野球に対する取組みの姿勢が表出する。

果たして、私たちはおのれの世界や組織の中で、日頃からそういう修練を積んでいるだろうか?

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天を恨まず

2012年03月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 あの大震災から1年が経ちました。

  ……。しかし自然の猛威の前には人間の力はあまりにも無力で、

私たちから大切なものを容赦なく奪っていきました。

天が与えた試練と言うにはむご過ぎるものでした。

辛くて悔しくてたまりませんでした。

しかし苦境にあっても、天を恨まず、

運命に耐え、助け合っていくことが

これからの私たちの使命です……。

 

 あの大震災後に行われた中学校の卒業式の答辞で『天を恨まず』と読んだこの少年の、我が身に起こった現実の一切を自ら引受けようとする決意と覚悟がいまさらながら胸を打ちます。

 しかし昨日までは、命を守り、生活を守り、そして夢を育むための大事な財産だったものが、次の瞬間には「がれき」と呼ばれ、処分の対象とされる現実。どう受け止めればいいのか。

 その少年の思い出が宿る空間も将来への希望も、みな一瞬にして「がれき」となりました。

私たちはそれを、「がれきの処理が問題だ…」とか「がれきの受け入れ先を何とか…」などと、ややもすると遠い世界のことのように、あるいはいかにも案じているかのように口にします。

私たちは復興を支援している振りをしているのです。そして、あたかも絆を大切にしているかのような振りをしているのです。子どもの『ごっこ遊び』と同じです。復興ごっこ。絆ごっこ。

それは障害者への視線と似ています。

誰も障害者になろうと思って生まれてきたわけではないのに……。その運命には自らが立ち向かうほかはない、というこの現実社会のありよう。

私たちの支援ごっこや福祉ごっこで、いったい障害者の何が解放されるのか。

私たちの復興ごっこや絆ごっこで、いったいあの少年の何が解放されるのか。

「しかし苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合っていくことがこれからの私たちの使命です……」

健気というほかありません。

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ワニが好き

2012年03月07日 | 日記・エッセイ・コラム

 現在、さつき園は園舎の増築・改修工事のため、お昼の休憩時間には利用者の休憩場所として園長室を開放しています。

 先週のことです。昼食を済ませた○○さんが「失礼します」と言って園長室に入ってくるなり、いきなり「園長さんもワニが好きなんですね」と言います。

 「えっ!? ワニ? ワニが好きー!?」予想もしない、いきなりの質問なので私はしどろもどろです。

 「はい、うちのお父さんもワニが好きなんですよ」

「えー!? お父さんもワニが好きってー?」

 そう言いながら○○さんを見ると、その目は私の胸のあたりを見ながら笑っているのでした。

 ねっ!! だから、利用者との会話は楽しいのです。

 「そうなんよ。園長もワニが好きなんよ」私も納得の返事を返します。

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大いなる徒労

2012年03月01日 | 日記・エッセイ・コラム

店構えは変えることなく、お客さんが喜びそうな室内の装飾品をいくつか追加し、店先の看板を掛け替えて『はい、新装開店しました』と言ってはばからない、厚顔無恥な商店主がいます。そんな店をいったい誰が信用するものか。

 『障害者生活総合支援法』などという名前の法律が登場しました。新しい法律だそうです。あんまり店の中を変えると、お客さんが混乱するからやめたのだそうです。

 何のことはない、お客のせいにして、ちゃっかり新装開店の実績だけは確保しているのです。

 もともと無理があったとはいえ、有識者・専門家・当事者・関係者などといわれる26人が、あるいは55人が費やしたこの2年間は何だったのでしょう。

 アリバイ作りに加担しただけの、大いなる徒労だったか!?

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