油断

2010年06月22日 | 日記・エッセイ・コラム

午後、利用者が興奮してしまいました。

廊下に置いてあった台の上の花瓶を足で蹴倒して割り、職員の腕に噛みつき、幾度となく事務室の窓ガラスを叩き割ろうとしたのです。事務の職員も合わせて4、5人で落ち着かせようとしました。

私は事務室から出ようとした時、たまたま事務室のドアに近づいていた利用者とドアガラス越しに視線が合ったので、歯磨き粉のついたその顔をタオルで拭くように、迂闊にもいつもの調子で話しかけてしまいました。

その時、私に油断がありました。廊下側にいた職員がジェスチャーで「離れろ!離れろ!」と合図を送っていたのを視界に捉えてはいたのですが、その意味までは気がつかなかったのです。

案の定、一瞬のうちに目の前の新聞紙半ページほどの大きさのドアガラスは拳で叩き割られ、鋭い破片が事務室内に飛び散ってしまったのです。

幸いなことに、本人は二の腕に切り傷を負ったものの大けがにはいたらず、私にもガラスの粉がわずかにかかっただけで、さほどのことはありませんでした。しかし、間が悪ければ、お互い顔や腕に大けがを負うところだったと思われます。

油断していたのです。

後で職員に聞くと、午前中に知らせていた利用者の午後の予定を、直前になって変更してしまったことが原因の一つではないか、ということでした。言葉が喋れないために『どうして予定通りじゃないんだ!! 話が違うだろう!!』という抗議の叫びを体で示したのかもしれません。

利用者の興奮。割れたドアガラス。いずれも私たちの油断が原因です。

理屈ではない、利用者の感情をしっかり推し量り、それをしっかり受け止めて行動することが私たちの責務です。それを怠ると、辛うじてバランスをとって成り立っている私たちの日常は、たちまちこのガラスのように割れて砕けてしまいます。

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彼らの明日の笑顔のために

2010年06月17日 | 日記・エッセイ・コラム

今朝、男子高生が同じクラスの女子高生を刺すという事件が起こった。先日、女子高生が教室の隣りの席の女子高生を刺した事件を聞いたばかりだ。

先週末の深夜のテレビでは、中学生が公園で首を吊り、17歳の息子が父親の嘱託殺人を犯し、女子高生が夜道で刺された という事件を報道していた。

たまたま見ていた私は、『もう、彼らに明日の笑顔は来ないのだ』と胸がつまった。

そして今日また事件を聞いて、苛酷な関係の中でもがいて現代に生きる、見知らぬ少年少女らの日々に思いを馳せた。

彼らがこの世に出現するために、人間は膨大な時間と膨大な関係を費やしたというのに、彼らを待っていたのは、到底彼らの手には負えない辛く、苦しい、無情な関係だったのだ。

「風立ちぬ いざ生きめやも」と決意し、「生まれたからはのびずばなるまい」とうたうことの虚しさが、今、私に忍び寄る。

おのれの心を明かさぬ者は、おのれの心を明かせぬ者と同じだ。

「誰かに相談すればよかったのに……」

何をのん気なことを言いやがる。

今、知的障害者にこと寄せて考えてみる。

おのれの心を明かそうとしても、そうすることが困難な人たちの心に寄り添うことの難しさよ。寄り添っていると思うことの傲慢さよ。

彼らの明日の笑顔のために、私たちはどこまでも謙虚であり続けねばならない。

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集中

2010年06月09日 | 日記・エッセイ・コラム

ひとしきりの朝のざわめきは、時計の針が午前10時を10分ほども過ぎる頃にはサッと消えて、さつき園は静かに午前中の作業に集中していきます。それは、作業場から少し離れたところにある園長室にいてもよく分かります。

仕事に一区切りをつけて、園内を回りながら、利用者がウエス作業やみかんの皮むき作業、工芸品製作作業などに集中している姿を遠くから眺めるのがたまりません。ものも言わずに手元に集中しています。

たとえ視線の先に私を認めても、すぐに目は手元を見つめていきます。中には軽く手を上げて応える○○さんや□□さんなどもいますが、その場の空気は落ち着いたままです。

今日のような、よく晴れた日の穏やかな日差しのあふれる午前中、利用者・職員合わせて五、六十人が必要最小限の音しか立てずに作業に集中している情景は、圧巻です。利用者と職員の日々の努力の賜物です。

もちろん(?)、中には△△さんや▽▽さんのようにあまりの静けさに眠ってしまっている利用者もいます。でも、それはそれで「さつき園」なのです。

そして、ふらっと園内を巡って園長室に戻った私は、作業に集中する利用者に励まされて、うんざりするほど溜まっている仕事を片付けるべく、再び奮闘努力するのであります。

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『敦盛(あつもり)の最期』

2010年06月02日 | 日記・エッセイ・コラム

先月の29日()に、今年も行われた防府市陸上競技場でのアイリンピック(県内の児童施設・知的障害者施設利用者のスポーツ大会)にさつき園も参加しました。

しかし今年は故あって、私は行き帰りを利用者・職員とは別行動を余儀なくされ、1人で車移動しました。

そのアイリンピックが終わってのさつき園までの帰路でのことです。

山陽道の玖珂インターを降りて、左に折れて一般道に入ってすぐのところで、一瞬でしたが中学校の時の恩師の名前を見たのです。それは、亡くなられた方のお通夜とご葬儀の日取りを知らせる案内標示でした。

そこに書かれていた名前は、間違いなく中学校時代に国語(漢文・古典)を教わった先生のお名前でした。私は目にした瞬間、思わず、「えっ!?」と声を上げていました。後続車もあり、急停車することもできず、通り過ぎざるを得なかったのですが、見間違いか?と思いつつも3年前かの同窓会での先生との会話が、一瞬のうちに頭に浮かんできました。

「先生に授業で暗誦させられた平家物語の『敦盛の最期』は、いまだに忘れません」「前進座の『天平の甍』の広島公演に学年みんなを連れて行って下さったことは、今も感謝しています」など、心に残ることをお話しさせていただいたことが、半信半疑の思いの中で甦ります。

『そうか。そうですか。そう言ってくれると教師冥利に尽きますね。ありがたいですね』と、少し涙ぐんでおられたことを思い出しました。その時、80半ばのお歳とお聞きしたように思います。

引き返して案内標示の内容を確認しようかとも思いましたが、戻りませんでした。ですので、事実を確認してはおりません。私の早とちりかもしれません……。

『一の谷の戦(いくさ)破れにしかば、武蔵の国の住人、熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)『平家の公達(きんだち)の助け船に乗らんとて、汀(みぎは)の方(かた)へぞ落ち給ふ事もおはすらん、あはれ、よき大将軍に組まばや』とて、磯の方へ歩まするところに……(中略) 連銭葦毛(れんぜんあしげ)なる馬に、金覆輪(きんぷくりん)の鞍置いて乗つたる武者ただ一騎、沖なる船に目をかけ、海へざつとうち入り……』(「平家物語 『敦盛の最期』」)

私は気持ちが定まらないまま、途切れ途切れでうろ覚えの「敦盛の最期」を口にしていました。

自分にこんな体験があるから、中学生の年頃の少年少女への教育、例えば学校での教育、家庭での教育、社会での教育が大事だ、と私は人一倍思うのかもしれません。中学生の頃の若い心にしかと響いた体験は、生涯その身に宿り、時間をかけて発酵していくと思うのです。そして本人も気がつかないところでその生き方や考え方に影響を与えているのです。

若い世代、特に中学生、高校生に『福祉』を体感する瞬間をたくさんもってほしい、と心底思います。未来はいつも若者の手の中にあるのですから。

そして、私たちは、少し前の流行りの言葉でいえば、福祉への思いをブレることなく彼らにしっかりと伝えていかねばなりません。

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