2018年09月13日 | 日記・エッセイ・コラム
 昨晩、テレビニュースで、高齢の女性が向けられたマイクに向かって、悲痛な面持ちで呟くのを見た。
「早く家に帰りたい……」
 北海道での最大震度7の大地震。被害は甚大だ。
 早く家に帰りたい……。
 家?
 その女性にとって「家」とは何のことをいうのだろうか
 地震が襲って来るその時まで、家族と、あるいは独りで住み、慣れ親しんでいた空間のことか。その建物のことか。それともそこで自分や家族の中に、日々、当たり前に流れていた時間のことか。
 あるいはふるさとのことか。毎日、見たり、聞いたり、触れたり、感じたりしていた風景のことか。
 あるいは同じ土地で助け合って住み暮らしていた、お互いによく見知ったご近所、友だち、知り合いのことか。
 早く家に帰りたい……。
 もう、自分自身の力だけでは帰りたくても帰れない「家」。それは慣れ親しんだ空間であり、時間だった。あって当たり前のものだった。
 被災者の中には、帰りたくてももう「家」には帰ることが出来ない人もいる。残りの人生をかけて、また新たに、帰る「家」を、空間を、時間を、求めていくのだろうか。ここに来て、今また、人生の試練が始まるのか。
 私たちにとって「家」とは何なのだろう。
 分かっていたはずなのに、愚かにもあって当たり前と思ってしまっていた自分の慣れ親しんだ時空間を不意に奪われて、初めて気がつく私たちの存在の脆さ。危うさ。はかなさ。弱さ。

 「早く家に帰りたい……」 そう呟いたあの女性は果たして「家」に帰れるのか。
 理不尽な自然に、不意に思い知らされる私たちの存在の危うさ、はかなさ。
 ひとごとではない。


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衝撃の回答

2018年08月24日 | 日記・エッセイ・コラム
 先日、ある人生相談コーナーの相談内容とその回答に驚かされました。

 死を思った時、浮かんできた心残りがあります。何十年も、誰にも言えなかったこのつらい思い。言わないままでは悔しくて死にきれません……。今更、こんなことを思う私は愚かでしょうか。

 この相談に答えた回答者の回答に思わず唸ってしまっていました。

 死ぬに死にきれないというその強い思いをどうするのか。それはあなたが一人の人間として、これからの時間をどう生きたいかにかかっています。
 どんな結果でも受け入れる覚悟をもち、実行なさるがよいと思います。長年、人知れず苦しんできたのです。あなたは一切悪くありません。人生の最終章ぐらい、清明な心で生きていただきたいと思います。

 思うところがあって、相談内容を端折って紹介したので、相談者に何が起こったのか、詳しくはお分かりにならないでしょうが、私は人生相談の回答で、これほどまでに切れ味のいい回答に出合ったことはありません。当たり障りのない内容をもっともらしく口にして済ませている私たち。責任を取らないことを内に隠して、理屈を駆使してその場をやり過ごしています。後に残るのは空しさばかりです。

「どんな結果でも受け入れる覚悟をもち、実行なさるがよいと思います」
「あなたは一切悪くありません」
「人生の最終章ぐらい、清明な心で生きていただきたいと思います」

 これは衝撃の回答です。ここには人生に対する確固たる思いをもった回答者の屹立する精神があります。見事というほかありません。


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前人未到の未体験ステージへ

2018年08月10日 | 日記・エッセイ・コラム
 例えば、

 市や町の風景が……。
 山や川など自然の景観が……。
 社会の雰囲気が……。
 人の表情が……。
 人の生活が……。
 人の人生が……。

 これらの文の『……』に共通する言葉として、今、あなたはどんな言葉を思いますか。気象の激変の結果、こうしたことが徐々に私たちの日常になってきているように感じます。
 私たちはこれまで体験したことのない過酷なまでに襲ってくる自然現象に翻弄されて、私たちの生活環境、生存環境はこれから前人未到の未経験のステージに突入していくように思います。
「まさかここで私がこんな目に遭うとは……」
 その言葉は現代の私たちが享受している生活環境や、あるいは生存環境は確かなものとして将来も存在すると誤解していたことへの驚きを反映しているように思います。
 もはや、この「まさか」は、「まさか」ではなく、私たちのだれの身にも起こり得る、どこでも起こり得る、いつでも起こり得る日常現象になったのです。
 科学技術の進歩は目覚ましく、ロボットが人間に代わって我が人生を歩いてくれる日が来るのも、そう遠くはないかも知れない、と思わせるほどです。そして、今は異常と形容するこの夏の猛暑もいずれ科学技術が過ごしやすい快適な時空間を創造し、凌駕してくれるのかも知れません。
 地球環境に膨大な負荷をかけ続けてまでも生存し続ける私たちと、おそらくその負荷がかかり過ぎて枯渇し、疲弊していく地球環境。いったいどちらが先にダウンするの?
 しかし幸か不幸か、この死闘の結末を見届ける者は今生きている私たちではありません。
 これまで日常的と思われていた事象がある瞬間に『一変する』、そのような生存環境の中に私たちは、今、生かされているのです。


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試練 親亡き後(あと)

2018年07月30日 | 日記・エッセイ・コラム
 昭和62年4月の開所当時から、ずっとさつき園に通って来てくれている○○さん。その○○さんのお父さんが亡くなられました。
 先日のお通夜、ご葬儀にそれぞれさつき園の利用者、保護者、職員、旧職員など20人ほどが参列させていただきました。
 私はご葬儀に参列いたしました。
 ご葬儀が終わり、出棺の準備が始まります。ご親族を中心に、生花で故人の周りを飾ります。そして棺に蓋がされます。
 すると、○○さんは蓋をされた棺の周りをゆっくり時計回りに回りながら、棺の4つの角を右手の人差し指でチョンチョンと触っていきます。その時に何か呟いているようですが、発語が言葉として聞き取りにくい○○さんですので、残念ながら聞き取れません。私はその思いを想像するほかありませんでしたが、想像出来ませんでした。○○さんは何を思っていたのでしょうか。
 亡くなられたお父さんは80代後半の年齢です。あとにはお母さんと○○さんたち3人のご兄弟が残されました。お母さんもご高齢です。ご兄弟の年齢も推して知るべしです。
 お父さんの思いはどうだったか。お母さんの思いはどうか。ご兄弟の思いはどうか。
 さつき園は○○さんのお父さんにはたくさん、たくさんお世話になりました。困ったことに遭遇すると、「えーよ。私がやりましょう」といつも助けていただきました。人間関係の執り成しも、さつき園の造作物の修理なども、人知れず、快く、請け負ってくださいました。それで園長の私はずいぶん助けられたものです。感謝しきれません。
 お父さんが亡くなられた後のご家族のこれから、○○さんのこれからは、ご家族で決められなくてはなりません。さつき園に出来ることは先導することではなく、支援することです。今後のことは、ご家族はそれぞれの立場で、これからのご自分の人生とご家族の人生との折り合いをつけていかねばならないのです。
 ご葬儀が終わり、○○さんは以前のようにさつき園に通所して来てくれています。が、私の思い過ごしでしょうか、心なしかどこか淋しそうに思えます。頑張ってほしいです。

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大ミス

2018年07月25日 | 日記・エッセイ・コラム
 大事な書類を郵便で送りました。その時、同封した送状でミスをして冷や汗をかく目に遭いました。
「このたびはお世話になります。標記の件につきまして同封にてお送りさせていただきますので、ご確認ご指示のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます」と、パソコンで書いたつもりが、
「このたびは世話になります。標記の件につきまして同封にてお送りさせていただきますので、ご確認ご指示のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます」と、打ってしまったのをきちんと読み直しをせずに、同封の書類に付けて簡易書留で送ってしまったのです。
「お世話になります」と打ったつもりが、何と「世話になります」になってしまっていたのです。
 郵便局から戻って、園長室の椅子に座って送状と書類の控えを確認したら、「このたびは世話になります」になっているではないですか。ヤクザじゃないつうの! これからお世話になろうとする人に向けた最初のあいさつなのです。なのに無礼千万なことです。
 後日、先方の職員さんから書類が届いた旨の電話をいただきましたので、すぐにそのことをお詫びしました。すると、
「あー、どうぞお気になさらずに」
 ミスはちゃんとお分かりになっておられました。横着をして、内容を確かめもせずに封入して送った私の大ミスです。
「このたびは世話になります」なんて、横柄な物言いをしてしまいました。
 暑さのせい? いえ、緊張感を欠いて、私が自分で勝手に仕事に軽重をつけていたからです。
「人も、そして組織も、日々をていねいに真剣に生きることが何より大事です。『日頃往生』というそうです」
 前回のブログにこう書いたばかりなのに、何と言うことか。お恥ずかしい限りです。


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生活習慣と日頃往生(ひごろ おうじょう)

2018年07月20日 | 日記・エッセイ・コラム
 今やもう、自分には関係ないなどと言ってはおられません。各地に甚大な被害をもたらす、想像をはるかに超えた我が国の近年の異常な気象現象。目の前に迫りくる災害から身を守るその一瞬の決断の仕方や、災害への備え方には、私たちの日頃の生活習慣が大きく影響していると思います。
 私たちには長年生活している間に身についた、多くの生活習慣があります。幼い頃からの親の躾で知らぬ間に身についた生活習慣。成長する過程で自ら思い立って身につけた生活習慣。そして、何かのきっかけでとうとう自分には中途半端にしか身につかなかった生活習慣。その生活習慣の延長線上には、その人の人生への構えが見えます。
 平成29年度、さつき園は厳しい財政状況でした。利用者の減、インフルエンザによる合計一週間の休園など、原因は複数考えられますが、今ここでさつき園はさつき園の日頃の生活習慣を見直さねばなりません。
 人も、そして組織も、日々をていねいに真剣に生きることが何より大事です。「日頃往生」というそうです。


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想像力と精度

2018年07月06日 | 日記・エッセイ・コラム
 サッカー・ワールドカップ ロシア大会。
 日本は予選リーグを勝ち上がり、決勝トーナメント進出を決めたが、歓喜の2得点をまさかの3失点で吐き出し、敗退した。
 評価はいろいろある。
 予選リーグ初戦を勝った試合後のインタビューに答えたある選手の一言が耳に残っている。
「よくあそこで決めましたねえー」
「はい。ああいった場面を想定して練習でしっかりやっていましたから」
 スポーツの勝負、大事なのは想像力なのだ。どれほどの想像力を働かせることが出来て、それを本番でもやれるようになるまで、頭で考えて反応するようなレベルではなく、もう自然に体が反応するようになるまで何度も何度も、飽きるほど繰り返し繰り返し練習するのだ。それには対戦相手の上を行く想像力と、シュートを決めるまでの一連の動作が体に沁み込むまで練習する強い体力と強い精神力と「勝つ!」という強い意志が要る。
 しかし、そこでまた考える。
 では、練習でも想定したことのない、こちらの想像を超えた相手選手の動きにはどう対応するのか。
 例えば、凄まじい練習で身につけた何千通りかの動きを変形したり、あるいは応用したり、組み合わせたりして対応するのか。その時、その選手個人の体格や身体能力や精神力が、そしてそれまでの何十年かの育ちの環境や経て来た時間の質が、思想や感性や世界観や人間観までもが、その一瞬の間に査定される。
 そのゲームに必要と思われるあらゆる動きを想像し、体に沁み込ませるために来る日も来る日も練習を繰り返す。必ずやって来る査定の瞬間を勝ち抜くには、可能な限り想定する動きの精度上げるほかない、と思われる。
 よく「練習は嘘をつかない」と聞くが、相手を遥かに凌ぐ想像力を鍛え上げ、そしてその精度を上げなければ、どれほど多くの練習をこなしても、その量だけでは一瞬の査定には勝てない。
 よく頑張ったと思う。
 また4年後に向けて、想像力と精度をなお鍛え直すほかはない。


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2塁打

2018年06月26日 | 日記・エッセイ・コラム
 先日の休みに、たまたまプロ野球をテレビ観戦した。その試合は中盤までは一方的かと思われる展開だった。しかし、予定通りに中継ぎとして登板した投手が大乱調。3連続四球などであっという間に同点になり、試合は振り出しに戻った。そうなれば大概は追いついた方に分があるのだが……。その試合はなかなかそうとはいかなかった。
 追いついた地元チームの士気は上がり、球場全体の雰囲気もイケイケムードになった。同点になって次の回に出て来たのが登板間隔が長くあいた、久々に登板する投手だった。その回の先頭バッターにいきなり左中間に2ベースヒットを打たれた。普通なら打者は1塁で止まる打球と思われたが、その打者は打球の方向と外野手の動きから判断して、最初から2塁を陥れる勢いで1塁ベースを蹴っていたのだ。同点に追いつかれはしたが、彼は何としても試合の流れを相手に渡したくなかったのだろう。動揺した投手は次の打者がセオリー通りにバントした打球を何を慌てたのか、1塁に悪送球したのだ。2塁ランナーは一気に3塁を回って生還した。球場の雰囲気が変わった。
 そのあとはワイルドピッチあり、満塁ホームランありで、結局大差がついてゲームセット。
 両チームとも浮いたり沈んだりの試合展開だったが、見ている私は、結果、ひいきのチームが勝ったので満足した試合だった。
 その瞬間瞬間の1つの判断、1つの動作、ちょっとした心の動き、そしてそれに敏感に反応する球場全体の雰囲気。息詰まる投手戦も面白いが、こうした選手の気持ちの持ちようの違いで戦況が大きく変わる試合が面白い。
 球場のみんなが単なるヒットだと判断した打球を2塁打にした選手が呼び込んだ勝利だ。ヒーローインタビューは満塁ホームランを打った選手だったが、真のヒーローは単打を2塁打にした彼だ。
 野球で大事と言われる走攻守の技術も、それだけでは役に立たない。強い心が伴ってはじめて力になると思う。


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季節の変わり目の頃

2018年06月20日 | 日記・エッセイ・コラム
「梅雨になった!」
「そう、梅雨になったねー」
「散歩、行かれん」
「そう、雨が降るけー、散歩行かれんよ」
「散歩、行かれん」
「そう、散歩行かれん。散歩に行って雨に濡れたら風邪引くよー」
「はーい!」「梅雨が終わったら、夏になる!」
「そう、梅雨が終わったら夏になる。○○さん、よー知っとるねー」
「夏になったら、セミが鳴くよ」
「そうー、夏になったらセミが鳴くねー」
「夏になったら、セミがミーミー鳴く!」
「そう、よう知っとるねー。夏になったらセミがミーミ―鳴くねー」
「夏になったら暑い!」
「そう、夏になったら暑い。汗かくよ」
「汗かいたら、タオルで拭く!」
「そう、汗かいたら、タオルで拭きます」
「はーい!」「夏になったら、花火がある!」
「おー、そうじゃねー。夏になったら花火があるねー」
「夏になったら、花火見る!」
「○○さんは花火、好きかねー」
「花火、好きー!」
「そうかね。花火、好きかねー。いいねー」
「はーい」

 午前中の作業の時間ですが、作業には向かわず、ドアを開けている園長室の前を行ったり来たりする○○さん。
 元気な声で園長に話しかけてくれます。
 季節の変わり目の頃になると落ち着かなくなる○○さん。そんな時、○○さんは園長の話し相手をしてくれます。
 時に、心持ちが不安定になるのか、大きな声を上げたり自分を叩いたりする○○さんですが、園長の話し相手をしてくれるときは、穏やかで優しい○○さんです。
 ○○さんの「はーい!」の返事がいいんです。○○さんの「はーい」の声を聞くと、なぜかうれしくなる園長さんです。


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椅子の座り方から

2018年06月10日 | 日記・エッセイ・コラム
 仕事上、いろいろな研修会、講演会、委員会など、人の話を聞いたり自分の意見を述べたりする場に臨むことが少なくありません。そこではいろんな仕草を見せる出席者に出会います。
 例えば、先日のことです。ある会合で、会場の比較的後方に席をとった私の目に入った光景に感心してしまいました。
 出席者は一様に会議机の上に資料を置いて、正面の発言者の発言に目と耳を傾けています。しかし、その後ろ姿はまちまちです。私には、そこには各出席者の各人各様の、それぞれその会に出席する構えの違いがあるように思われてきました。ていねいに発言内容をメモ用紙に書き込んでいると思われる人。発言のポイントと思われることを手短に書き込んでいると思える人。また、発言者が発言するたびに頷いている人。頭も手も動かず、じっと聞いているかのような人。頭や肩が揺れており寝ているかと思われる人。スマートフォンか何かを机の下で操作しているような人などなど。
 そんな出席者の思い思いの仕草の中、ある人の椅子に座った後ろ姿に目が留まりました。
 その人は椅子の背もたれに沿って背筋をすっと伸ばして、両足をきちんと揃えて座っています。メモを取るときにはやや前向きになりますが、書き終わると、元の背筋を伸ばした姿勢に戻ります。その間、揃えた両足は少しも乱れません。私は最初はそんなことを気にすることもなく、見るともなく見ていたのですが、その内、その姿勢が少しも乱れないことに気がつきました。特に両足が常にきちんと揃えられたままであることに気がつきました。驚くべきことです。
 その人のその姿は背後からの視線を気にしているからなのでしょうか。あるいはそれはその人が幼い頃から家庭で躾けられた生活習慣の一つなのでしょうか。それともある時思い立って、自ら努力して身につけた習慣なのでしょうか。そこにはその人の生活振りや生き方が表れているようにも思います。
 椅子に腰かける時は深くすっと背筋を伸ばして、両足はきちんと揃えて座る。
 両足をきちんと揃えて背筋を伸ばして椅子に腰かける姿の何と美しいことか。
 それは私には到底できていないことです。会場の後方から見た多くの出席者の背筋や机の下にあるその足の動きも、誰かから見られていることなど思いもよらぬことで、猫背気味になっていたり、両足をごそごそ動かしてみたり、中には靴を半分脱いでみたりと様々です。それは発言者の話に集中しているからかもしれませんが。
 私たちは自分の後ろ姿を直に自分の目で見ることはできません。また、後ろ姿が他の人からどう見えているのかをさほど気にして生活してはいません。私たちが鏡を見て確認するのは、そこに映っている体の前面の頭、顔、服装の印象が大半です。しかし、他人からは前面だけではなく、常に全身を見られています。
 人の振り見て我が振り直せ。
 人の振り見て自分もそうかもしれないと反省して改める。また、人の振り見て自分もそうありたいと願って改める。
 椅子の座り方に限らず、人の振りから学ぶことはたくさんあります。



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組織との闘い

2018年05月28日 | 日記・エッセイ・コラム
 組織を統括する人間の価値観が、自分たちの組織のためなら人の心身に危害を加えても良しとするような組織があった。そんな価値観を持つ組織統括者がいた。
 まともな組織とは到底思えない。
 しかし、誰かが自分の生活と人生を人前に晒す覚悟で、組織と正面から向き合い、そのことを社会に提示しなければ、あるいは告発しなければ、それは社会には届かない。
 青年は自分のとった行動を深く反省し、傷つけてしまった人に謝罪し、社会を騒がせたことを詫びる時、図らずも、日常的に彼らの人権を蹂躙し続け、彼らの心身に抑圧を加えることに何の痛みも感じない組織と正面から向き合うことになった。
 もしもあの青年がこうした行動をまったくとることがなかったら、組織は組織を守るために、いつまでも組織内の人間を人質にしてその尊厳を奪い続け、その組織の本質は闇の中に潜んだまま明かされることはなかっただろう。思えば恐ろしいことだ。
 私たちの目の前に、己の将来と人生を人前に晒す覚悟で組織と闘うことを選択した青年がいる。
 

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今年もよう来た!!

2018年05月15日 | 日記・エッセイ・コラム
 先週の金曜の夜。
 仕事の区切りをつけて机周りを整理して、さあ帰ろうと園長室を出た。玄関で靴に履き替えようとした、その時。園の玄関先に蛍が一匹、黄緑色の曲線を描いて空間に舞っているのが見えた。観音開きの玄関ドアは透明ガラスだから、外がよく見通せるのだ。
 あー、今年も来たんだー。
 ゆっくりと玄関先に出た。
 さつき園の前には田植えが終わった田んぼが広々と広がり、遠くの田んぼにはその近くの建物から漏れた明かりが、張られた水面に青白く光っている。蛙の鳴き声がにぎやかだ。
 たった一匹の蛍だけれど、目で追っているとホッと気が緩む。
 蛍は暗い中をゆらゆら舞いながら、玄関右の園長室の網戸に止まった。しばらく見惚れていると、またゆらゆら舞っている。
 ちょうど、私が玄関に立った時に舞っているなんて、お前は私を待っていたのかと蛍を相手にダジャレてみる。
 蛍。たった一匹だけど。よう来たなあ。
 よう来た、よう来た。今年もよう来たなあー。

 自然環境に負荷をかけ続ける私たちに抗うように、蛍は今年もやって来た。
 私は独りで感動している。


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不十分な理解力と意思決定支援

2018年05月01日 | 日記・エッセイ・コラム
 理解力が不十分な、あるいは中途半端な理解力の利用者への支援の難しさに長く悩んでいます。
 就職して、自らカネを稼ぎたいという○○さん。
 しかし、その日常生活はとても感心できるものではありません。てんかん発作をコントロールするために、毎日服薬する必要があるのですが、事情があって一人生活ですので、飲んだかどうかを確認することが出来ません。本人に確認しても「飲みました」というばかりです。また、定期的にヘルパーさんを利用しているのですが、おカネ欲しさに自分で電話で勝手に派遣を断ったりするのです。
 徐々に食生活も乱れ、友人関係も乱れてしまってきました。さつき園でも、その生活振りについて幾度も注意したり、自覚を促したリしたのです。が、その瞬間は神妙な表情で話しを聞いてはいますが、話が終わると、素早くスマホを取り出して、「この写真、いいでしょう」などとあっけらかんとしているのです。職員も呆れてしまいます。
 それでも以前は短期間ですが働いて、自分でいくらかのカネを稼いだ経験もあるのです。短く、しかも解雇されたとはいえ、働いたというその経験にすがって、今でも簡単に就職できると思い込んでいます。
 さつき園に通い始めて6年近くになりますが、さつき園に通所し始めたころに比べると頬は痩せて、顎も尖って見えます。もう、さつき園にまともに通所して来ることは出来なくなりました。
 今、私たちは、知的障害者の自己選択、意思決定を保障しなさい、と言われています。本人のこうありたい、という意思を尊重するのです。だから、○○さんにとってはこうした方がいい、ああした方がいいと、さつき園がいくら心配してみても、○○さん本人が、「はい、そうしたいです。そうします」と自己選択、あるいは意思決定しない限り、何も手が出せません。
 ○○さんの福祉に携わる関係者が心配して、生活を立て直すこと、薬を決められたようにきちんと飲むことにしっかり取り組むように言っても、果たしてどこまで理解しているのかが見えません。
 そんな○○さんが、「さつき園を辞めたいです」「辞めて、働きたいです」とはっきり言葉にするようになりました。
 しばらく様子を見ていたのですが、その意思は変わりません。本人の自己決定ですので、さつき園はその意思を尊重します。けれども、まだまだ知的障害者に対する差別や偏見が根深くあるこの社会では、○○さんの前には様々な不安やたくさんの危険がゴロゴロ転がっているのです。
 ○○さんの福祉支援にはもう手が出せないさつき園ですが、心配でなりません。これからはもう一つの福祉関係者の○○さん支援に頼る他ありません。なので、さつき園の心境は付かず離れず見守っていこうというものです。
 意思決定支援。いかにも言葉は威勢がいいけれど、支援現場は悔しさでいっぱいです。


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実体のない言葉

2018年04月23日 | 日記・エッセイ・コラム
 例えば、

『私は 今日 一生懸命 仕事を した』

という文章から、あるいは発言から、私たちは何を知るのだろうか。
 この文章で確かなものは、「私」と「今日」だけだ。
「一生懸命」も「仕事」も「した」も確かなものではない。
 何故なら、私以外の人には、「一生懸命」も「仕事」も「した」も確認する術がない。
 しかし、「私」には「一生懸命」も「仕事」も「した」も確かなものなのだ。そして、「私」が私以外の人に伝えたいのも「一生懸命」であり「仕事」であり、「した」なのだ。
 これらは主観に属す内容を持つ。「一生懸命」は主観であり、客観ではない。一見客観に思えそうな「仕事」も、やはり主観だ。そして、「した」も主観だ。どこまでも、私自身が、「一生懸命に仕事をした」と思っているだけなのだ。私以外の人にとって、それはどんなに力説されようとも、客観にはならない。
 こうした他者にとって実体のない、しかし本人にとってはすこぶる重要な意味を持つ言葉に馴染んでいくと、本人にはあたかもそれが客観としてあるように思えてくるのか。
 自己満足感に浸り込んで、自己膨張する自意識。

『私は 今日 一生懸命 仕事を した』

「一生懸命仕事をした」ことは、私自身ではなく、私以外の他者によって確認、立証されなくてはならない。しかし、そんなことは現実には成し得ない。
 主観と客観とがぴたりと一致することは、ない。
 実体のない言葉が氾濫し、主観と客観が様々にずれる時代と社会に、私たちは生きている。


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だから、頑張るのです

2018年04月10日 | 日記・エッセイ・コラム
 毎年のことですが、去って行く人あれば、やって来る人ありの季節を迎えました。この春、さつき園でも職員の異動があり、新しい陣容で新年度を迎えました。
 年度末に去って行く人に涙した利用者も今は元気に通所して来てくれています。新しくやって来た人にもそろそろ馴染んで来たでしょうか。利用者の笑い声を耳にすると、超(?)忙しい私も元気が湧いてくるようです。
 さつき園は、その時、その時のさつき園で働く職員の仕事ぶりに支えられて、30有余年の時をこの地に刻んできました。去って行った人たちは元気でしょうか。今、何を考えているでしょうか。これからやって来る人はどこにいるのでしょうか。今、何を考えているのでしょうか。思えば、不思議な人と人の出会いと別れです。
 そうした人と人との出会いと別れを利用者も毎年、体験しています。障害者と呼ばれる人生の、ある時間をそれらの職員とともにさつき園で過ごす彼らにとって、さつき園は楽しいところでしょうか。さつき園は彼らに豊かな人生の時間を提供することが出来ているでしょうか。そして、去って行った人たちは彼らから何を得たでしょうか。
 さつき園で働く私たちにとって、さつき園は生活の糧を得る単なる労働の場ではありません。私たちにとって辛く、きつく、苦しい時もありますが、何より、利用者の明るさ、素直さ、元気の良さに救われています。無償の彼らの存在に私たちは感謝せねばなりません。だから、私たちは頑張るのです。


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