臓器提供意思表示カード

2008年06月25日 | 日記・エッセイ・コラム

私は10年前の誕生日に臓器提供意思表示カードの1・2の欄のすべての臓器に丸印を付けました。そして、以来、そのカードを財布に入れていつも携帯しています。

私は人間を「類」として考える傾向が、他の人に比べて強いと思います。生、死、人間、人生などを考えたり思考したりするときには、多くの場合「人類の中の一人としてどうか?」という視点に立っています。地球に棲む多くの種類の生物、その中の人類、の中の一人の人間である個としての私、……と考えていくのです。

臓器提供に関してはどんな抵抗もありません。死ねば死にっきりなのです。私の臓器が他の人類の仲間としての誰かなのかは知れないけれど、その人の役に立てば、人類の一員として生まれ、生きてきた甲斐もあろうかというものです。

そういう思いをもって、私は30数年、福祉を仕事としてきました。

今日、財布を手にしたとき、たまたまこのカードが目に留まったので思いを綴ってみた次第です。

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利用者が落ち着きません

2008年06月20日 | 日記・エッセイ・コラム

利用者が落ち着きません。家庭で何か納得できないこと、あるいは満足できないことがあったのか。それともさつき園に来てから他の利用者との間で気にそぐわないことがあったのでしょうか。

大声をあげて自分を主張する人、言葉が出せないので全身で訴える人、敢えて奇異な行動をとって理解を求める人。利用者の多くは、自分の思いが自分の意に反して途中で砕かれると自分を納得させる術を持ちません。

そのとき職員は、勧進帳ではありませんが「このとき弁慶少しも騒がず…」で、決してあわてた素振りを見せてはいけません。職員がどうするのかを、当の利用者本人も、そして他の利用者もみているのです。受け容れるか、少し叱るか、きつく叱るか、あるいは……。職員の技量が試されます。

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サッカーワールドカップアジア地区予選

2008年06月13日 | 日記・エッセイ・コラム

何日か前に、日本代表チーム岡田ジャパンの試合をテレビで見ました。いわゆるアウェーでの戦いで、しかも夕方になっても気温が40℃に近いというたいへんな気象条件の中での試合でした。試合前のアップのときから選手はもう汗だくです。

1対1の同点の後半。

日本代表チームの選手の一人と相手チームのキーパーとが、二人ともボールを追って滑り込んでいたので激しくぶつかったのです。ことはそのあとで起こったのです。

倒れこんで起き上がる際に、何とその日本選手は起きると見せかけてキーパーの腹か胸あたりを足で蹴ったのです。それも、自分が起き上がるのにいかにも自然にそうなったように見せかけたのです。なぜ、私がそう断言するかと言うと、起き上がろうとするとき、彼の視線が一瞬キーパーの体の位置を確認したのを見たからです。だれも気がつかないだろうとでも思ったのでしょうか。馬鹿な!

当然、キーパーは怒り、小競り合いになって、両チームの選手が集まってきました。

しかし、レフリーはしっかり見ていたのか、その日本代表の選手に向かって毅然とレッドカードを示しました。示された彼は「どうして?」という表情を作っていますが、認められません。キーパーからお返しに下腹部を蹴られていた彼は、痛そうにしながら担架に運ばれて退場していきました。

同情の余地はありません。いやしくも日本代表を背負っているからには嘘をついてもらっては困ります。しかも、サッカーワールドカップアジア地区予選です。恥を知れ!と叫びたい思いでした。

そんな小賢しいプレーをして、プライドといったものはないのか。いったいだれにほめてもらおうというのか。だれが喜ぶというのか。己の人間性が下卑ていることを自ら証明している、その阿呆さ加減にびっくりです。もっと自分の技量と精神を磨いて、人間としてのレベルを上げることにまじめに取り組んでほしいものです。

だれも見ていないところでこそ、その人間の本性が出ます。知的障害者と1対1の時、そして周りにだれもいないとき、その職員の本性が出るのです。だれにも知られないだろうと思うのでしょうか。とんでもない。目の前の知的障害の彼・彼女が、されたことをしっかりと体と心に刻み込んでいます。

斯く言う私も、自省の毎日です。

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職員の力

2008年06月05日 | 日記・エッセイ・コラム

やはり福祉は職員の力がものを言います。

このところのさつき園の農耕班の頑張りには、頭が下がりっぱなしです。

「もんぺをはいて頑張れよ」と悪たれをつく園長を尻目に、それまでは周囲から「これでも畑?」と皮肉を言われ続けていたさつき園の畑が、誰が見ても「おー、畑だ!」というほど立派な畑に生まれ変わりました。整然と畝が並び、青々とした葉があちこちで風に揺れているのです。

管理機を操るなどしながら利用者と畑の世話をする職員の姿を園長室の窓から見ていると、しみじみ思わされます。「やはり、福祉は職員の力がものを言う」と。こういう職員と利用者のために園長はあるのだ、と実感します。私も悪たれをつくばかりではいけません。

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シートベルト着用

2008年06月05日 | 日記・エッセイ・コラム

このたびの道路交通法の改正により、6月1日から高速道路においてはクルマの後部座席でもシートベルトの着用が義務付けられ、一般道においても着用が推進されています。

毎朝夕、4方向の利用者送迎(大島一周便・柳井便・岩国便・ホーム便の4便を運行)を実施しているさつき園では、5月の下旬頃からこのことを利用者に知らせて、「今日の帰りの便からシートベルトをしてくださいね」と呼びかけました。また、保護者会においても「ご家庭でも高速道路に限らず、シートベルトの着用を実施してください。さつき園に通所するときだけでは利用者の習慣にはなりませんので」とお願いしました。

改正前からすでに着用を実施していた便もありましたが、今回、全便で徹底することにしました。

ところが、なんと利用者の中にはシートベルトが届かない人がいたのです。

利用者に呼びかけた次の日の朝、園に来るなり「園長さん、私、シートベルトが届かんかったんよ」と、○○さんが報告に来ました。肥満体で体全体が丸っこくて大きなお腹をしてはいましたが、まさかシートベルトが届かないほどとは……。聞くと、どうしても締められなかったので、座席の位置を換わってもらってなんとか締められたとか。

私は話を聞きながら、その光景を想像して、ついつい笑ってしまっていました。

「そう言やぁ、でかい腹じゃのうー」と言うと、「そんなこと言わないで!」と○○さん。自分でも笑っていました。

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麻痺する感覚

2008年06月05日 | 日記・エッセイ・コラム

福祉関係者が集う恒例行事に参加して、多くの人に会い、いろいろな話しをする機会がありました。そこであることに気がつきました。それはこの世界、つまり知的障害者福祉あるいは障害者福祉の世界で長く仕事をしている人の中には、「うちの施設さえ良ければいい」「他の施設のことは知らない」などと、あからさまに口にしたり、あるいはそういうことを言外に匂わせたりする人が多い、ということです。

例えば、今、障害程度区分をはじめとして障害者自立支援法の抜本的な見直しが叫ばれていますが、施設によっては利用者の障害程度区分に関して、独自でシミュレーションを行い、できるだけ重い程度区分を出して、それを公的な区分認定に反映させて、報酬単価を上げることに躍起になっているところがあるように聞きます。それは現在の福祉状況がこれまでになく厳しいために、自分たちの施設の収入さえ増えればいいのだということなのでしょうか。

いったい、そこにはどういう心理が働いているのでしょう。

それは、自分のところさえよければいいと、自分の家のごみを道路に捨てたり、あるいは掃き出したりすることと同じです。町全体の空気や人の心の安らぎを考えて、お互いに住みよい環境をつくることが、そこに住む住民の望みであり使命だと思います。エゴは福祉の対極にあります。

長くこの世界で仕事を続けてきた人たちが、知らぬ間に社会との関係を断ち切り、福祉の感覚を麻痺させてしまっていては困ります。

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