一昨日、山口市で山口県重症心身障害児(者)を守る会の定期総会が開かれました。依頼されて、講演をさせていただきました。演題は「守る会で学んだこと 守る会に期待すること」です。90分の予定時間を20分ほどオーバーしてしまいました。
重症心身障害児(者)との関わり、その保護者との関わり、それが私の福祉の原点です。
今、さつき園にいて思うことは、知的障害者福祉も重症心身障害児(者)福祉も原点は同じ、ということです。
全国重症心身障害児(者)を守る会という全国組織の親の会事務局に約20年。知的障害者通所授産施設さつき園に約15年。私はこれまでこの二つの組織で、それぞれ障害者福祉の仕事をさせてもらってきました。
「あんたには重症児をもつ親の気持ちなんかわからん!!」と、議論の途中である父親から突っぱねられたこともありました。日頃からよく頑張るなあと思っていた母親の口から「いいね、あんたたちは。いやになればこの重症児の世界から出ていけて。私もできるもんなら親を卒業したいよ」という思わぬ言葉も聞きました。
私はその都度その都度、「この親御さんたちとの関係をどう止揚すればいいのか……」と、一生懸命に考え、答えを求めてきました。また、障害児者福祉の問題はその親御さんや家族をも含めた問題として捉えることが大事で、ただ障害児者本人のことだけを見ていたのでは何も解決しないし、何も前に進まない、ということも何度も実感させられました。
そして行き着いたのは、「彼ら障害者は私だったかもしれない」という存在の偶然性をしっかり受け止めようという覚悟です。
そんないろんな思いを込めて、県守る会の定期総会に参加された親御さんたちに、例えば親の会という運動組織体はどうあるべきかを、守る会での20年、さつき園での15年の私の体験を絡めてお話しさせていただきました。
総会の最後の意見交換の時、「今日、古川さんの講演を聞いて、障害者の兄弟姉妹のことを思ってくれている人もいるんだと知ってとてもうれしかったです」という、重症心身障害の兄をもつ弟さんからの発言がありました。両親はすでになく、母親は『お兄ちゃんを頼むよ』と言って亡くなったそうです。
親は結婚して子ができて、その子に障害がある時、初めて障害児との関係ができるのですが、兄弟姉妹は、例えば弟か妹は自分が生まれたときにはすでに障害の兄か姉がいます。反対に、兄か姉は自分が物ごころつくころには障害の弟か妹がいるのです。障害者のことなど自分の人生には無関係だった青春時代を過ごした親と、人生の初めから常に障害者を意識せずにはいられない人生を歩む障害者の兄弟姉妹。彼らの苦悩は、だから親といえども分からないのです。
障害者福祉に携わり、そうした方々の様々な人生に関わる私たちには、形は違っても個々それぞれにそれなりの覚悟がいるのです。
参加の親御さんや兄弟姉妹の方々に語りかけながら、私も自分自身の覚悟を改めて確認させられていました。