体調が思わしくなくて3、4日休んでいた○○さんが久しぶりにさつき園に通ってきました。昼休みに「元気になってよかったねぇ」と声をかけると、耳を近づけてやっとどうにか聞き取れるような小さな声で、「はい」と返事をしました。
すると、○○さん、すぐに私に質問を返してきました。
「園長さん、私のお祖父さんはとても優しい人でした」
私はいきなりの展開にやや戸惑いながらも、
「あーそうかね。いいお祖父さんじゃったんじゃねぇ」と答えます。すると、何と○○さんは続けてこう呟いたのです。
「お母さんは、鬼のような心です」
「えっ!?」思いがけない言葉に、私はびっくりです。
「そんなことはないじゃろう。お母さんはたまにはあなたに厳しいことも言うかもしれんが、あなたのことを思ってそう言うんじゃないかなぁ」と返しましたが、不満そうな横顔でした。何かでお母さんに叱られでもしたのでしょうか。
それにしてもお母さんのことを「鬼のような心です」と、小さな声で呟くように言う○○さんの心の中はどうなっているのでしょうか。どこでそんな言い方を覚えたのでしょうか。誰かの口真似なのでしょうか。気になります。そして、いったい○○さんの言う鬼のような心ってどんな心なのだろうか、と考えます。
そこで思い出したこと。
それは30年くらい前のことです。学校を卒業してそのまま東京で就職をした私は、職場から帰宅するのに小田急線と京王井の頭線の通る下北沢という駅までよく歩いていました。
その当時から下北沢は若者の街で、飲み屋や飲食店、衣料品店や酒屋、不動産屋やゲームセンターなどなどが立ち並ぶ、活気あふれる賑やかな街でした。そこにはもちろんパチンコ店も何軒かありました。
ある夜、とあるパチンコ店の前を通りかかった時のことです。私の前を歩いていた若い男性が、そのパチンコ店の店員らしき若い男性を見かけて、こう声をかけたのです。
「オー、久しぶり。今何やっての?」と。
すると、そう声をかけられたその男性の返事。これが何ともびっくりでした。夜の繁華街の雑踏とパチンコ店独特の騒音とが入り混じった中で聞いたその返事は、30年近く経った今でも忘れません。
「オー、俺かー。俺、今、鬼のようなことやってるよ!!」
私は思わず顔を上げていました。鬼のようなこと???
いったい、鬼のようなことってどんなことなのでしょうか。パチンコ店の仕事のことなのか。それともとても人には言えないような……。もちろん確かめようもなかったのですが、いまだに耳に残っているのです。
30年前も今も、「鬼のような」という表現は日常的にはそうそう使うものではありません。
だから、30年ほど前の下北沢のかの若者はともかく、目の前にいる○○さんの心のありようが気になります。