驚きの行動規範

2010年08月31日 | 日記・エッセイ・コラム

社会福祉を標榜するある障害者支援組織が策定した「行動規範」の中に、次のような文章を見ました。

『本人の前で障がいの呼称・状態を表す用語や差別的な用語を使用しません』???

また、こんな文章も目にしました。

『利用者の身体に外傷が生じる、または生じるおそれのある暴行をくわえません』???

どうですか。驚きでしょう!?

こんな文章を臆面もなく掲げて、それを組織としての「行動規範」とし、障害者の人権尊重を唱える無神経。思わず、「おい、本気かよ?」と詰め寄りたくなります。

どうしてこんなことになるのでしょうか。策定することで組織としての真価が問われかねない「行動規範」なのに、どうしてその中身の検討が不十分なまま組織の外に出るのか。どうして誰もこの文章の不適切さに気がつかなかったのか。

それは、おそらくその組織内部では障害者福祉に対する考え方や構えが、根本的なところで崩れているからだと思います。

いったいだれが本気で障害者福祉に携わり、実践し、未来につなげようとしているのか。そして、見せかけの福祉を実践しているのは、いったいだれなのか……。考えさせられます。

あなたにはこれらの文章のどこがおかしいかお分かりですか。もしもお分かりでなければ、あなたの障害者福祉への構えも基本的なところで崩れている、と敢えて申し上げます。

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鬼のような

2010年08月24日 | 日記・エッセイ・コラム

体調が思わしくなくて3、4日休んでいた○○さんが久しぶりにさつき園に通ってきました。昼休みに「元気になってよかったねぇ」と声をかけると、耳を近づけてやっとどうにか聞き取れるような小さな声で、「はい」と返事をしました。

すると、○○さん、すぐに私に質問を返してきました。

「園長さん、私のお祖父さんはとても優しい人でした」

私はいきなりの展開にやや戸惑いながらも、

「あーそうかね。いいお祖父さんじゃったんじゃねぇ」と答えます。すると、何と○○さんは続けてこう呟いたのです。

「お母さんは、鬼のような心です」

「えっ!?」思いがけない言葉に、私はびっくりです。

「そんなことはないじゃろう。お母さんはたまにはあなたに厳しいことも言うかもしれんが、あなたのことを思ってそう言うんじゃないかなぁ」と返しましたが、不満そうな横顔でした。何かでお母さんに叱られでもしたのでしょうか。

それにしてもお母さんのことを「鬼のような心です」と、小さな声で呟くように言う○○さんの心の中はどうなっているのでしょうか。どこでそんな言い方を覚えたのでしょうか。誰かの口真似なのでしょうか。気になります。そして、いったい○○さんの言う鬼のような心ってどんな心なのだろうか、と考えます。

そこで思い出したこと。

それは30年くらい前のことです。学校を卒業してそのまま東京で就職をした私は、職場から帰宅するのに小田急線と京王井の頭線の通る下北沢という駅までよく歩いていました。

その当時から下北沢は若者の街で、飲み屋や飲食店、衣料品店や酒屋、不動産屋やゲームセンターなどなどが立ち並ぶ、活気あふれる賑やかな街でした。そこにはもちろんパチンコ店も何軒かありました。

ある夜、とあるパチンコ店の前を通りかかった時のことです。私の前を歩いていた若い男性が、そのパチンコ店の店員らしき若い男性を見かけて、こう声をかけたのです。

「オー、久しぶり。今何やっての?」と。

すると、そう声をかけられたその男性の返事。これが何ともびっくりでした。夜の繁華街の雑踏とパチンコ店独特の騒音とが入り混じった中で聞いたその返事は、30年近く経った今でも忘れません。

「オー、俺かー。俺、今、鬼のようなことやってるよ!!」

私は思わず顔を上げていました。鬼のようなこと???

いったい、鬼のようなことってどんなことなのでしょうか。パチンコ店の仕事のことなのか。それともとても人には言えないような……。もちろん確かめようもなかったのですが、いまだに耳に残っているのです。

30年前も今も、「鬼のような」という表現は日常的にはそうそう使うものではありません。

だから、30年ほど前の下北沢のかの若者はともかく、目の前にいる○○さんの心のありようが気になります。

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同窓会

2010年08月19日 | 日記・エッセイ・コラム

先週末、お盆の休みを利用して中学校の同窓会が開かれたので、久しぶりに出席してきました。

私たちの多くは今年度で定年を迎えます。みんなそんな年齢になりました。口々に「実感がないのー」と言います。私も実感がありません。

酒を飲んで、今を、昔を語り合って、校歌も何年振りかで覚束なくも歌って、2次会、3次会……。

みんなどんな生き方をしてきたのでしょうか。そんなことをいちいち聞いている間もなく、久しぶりにとりあえず元気な顔を確認し合って、またそれぞれの道に戻っていきました。

名簿を見ると、残念ながら福祉の世界で右往左往しているのは私だけのようでした。

だから、さつき園の話を少ししました。そこで授産作業の一つであるウエス加工の話をして、そのための古着の提供をみんなにお願いしました。それも『綿70%以上じゃないとダメだぞ!!』と、しっかりお願い(脅迫?)してきちゃいました。

それにしても奴等が2次会で歌った歌が「チャンチキおけさ」や「高校三年生」や「美しい十代」とはねぇ……。

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「hibakusha」 NHKの失態

2010年08月10日 | 日記・エッセイ・コラム

65年前の8月6日、広島。同じく65年前の8月9日、長崎。わが国の2つの都市に原爆が投下されました。毎年、この時期になるとマスコミはこぞって広島、長崎を取り上げます。

先日の夜遅く、NHK総合テレビでも『ヒバクシャからの手紙 ~そして ヒバクシャへの手紙~』と題した、広島で被爆した人たちからの、あるいは被爆した人たちへの手紙やメールを紹介する番組を放送していました。

その放送でのことです。司会者が視聴者に番組へのメールをお願いした時に紹介したメールアドレスを見て驚きました。「http://www.nhk.or.jp/hiroshima/ hibakusya/

」となっていたのです。アドレスとして、そこに「hiroshima(ひろしま)」とあるのは分かります。が、しかし最後が「hibakusha (ひばくしゃ)」とは、どういうことでしょうか。画面に紹介されたアドレスを目で追っていた私は、びっくりして、思わず「えっ!!」と声を上げていました。

いかに、被爆された方からの手紙あるいは被爆された方への手紙を紹介する番組とはいえ、「hibakusha」の文字をアドレスにするとは……。私は,NHKのその無神経さに目を疑いました。

被爆者の中には、自分が被爆者であることを人に知られないようにずっと隠して生きてこられた方もあるというのに。また、人から被爆者と呼ばれるたびに死を思った人もあるというのに。こういう番組作ろうというほどの関係者が、そういう現実があることを知らないはずはないだろうに。

番組の感想をメールで送ろうとした人は、アドレスの最後に「hibakusha」とあるのをどう感じたでしょうか。最後に「hibakusha」と入力して、「送信」をクリックする時、何も感じないだろうか。私は、「無神経にもほどがあるぜ」と独り憤っていました。

苛立ちながら番組を見ていたら、案の定、NHKはそのアドレスを紹介した数分後に、「メールのアドレスが間違っておりました。正しくは、今画面に出ている通りです。お間違えのないようにお願いします」と、司会者に訂正させました。

見るとそのアドレスは、内部でその不見識に気がついたのか、あるいは視聴者からの指摘があったのか、訂正されたいきさつは分かりませんが、「http://www.nhk.or.jp/hiroshima/tegami/となっており、最後

hibakusha (ひばくしゃ)」から「tegami(てがみ)」に変わっていました。

番組を見ていた視聴者のうち何人がこのことに気がつき、こうした思いを巡らせているだろうか、と考えました。そして、この番組の主旨や内容がよく理解できただけに、誠に残念に思ったことでした。

私たちは当たり前のように「知的障害者」という言い方をしています。あたかもそれが彼らのすべてであるようにそう呼びます。そう呼んで何も違和感をもたなくなっています。しかし知的障害者である前に人間なのです。私たちが「知的障害者」と呼んで、自分たちとは違う人間だ、と差別しているのです。被爆者も同じです。被爆者である前に人間なのです。私たちが「被爆者」と呼んで、自分たちとは違う人間だ、と差別しているのです。いずれもその人たちに責任はないことなのに……。

原爆で死んでいった若者が、死に際に抱かれた腕の中で残したという言葉が胸に迫ります。

「ぼくは何も悪いことはしていないのに……なぜ?」

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お気に入りのドライブロード

2010年08月07日 | 日記・エッセイ・コラム

あまりに暑いので、ちょっと毛色の変わった話題で気分を変えましょう。

でも、やたらローカルな話ですので、その点はご勘弁下さい。

さて、山口県岩国市から瀬戸内の海岸線沿いを通り、山口県下松市に至る国道188号線。その国道188号線を岩国市から柳井市大畠町まで下り、折れて大島大橋を渡ってさつき園までの道が私の朝の車通勤のルートです。

その国道188号線の上り線、私の帰宅ルートでの話です。

岩国市通津のJR通津駅の手前にJR山陽線を越える跨線橋があります。付近は右手一帯に旭化成などの工場群が瀬戸内海との間に建ち並んでいます。その跨線橋を渡って左カーブを出たところから、私のお気に入りのおよそ距離1.5kmのドライブロードが始まります。

左カーブを出るとすぐに信号があります。それが青で、前の車との間に十分な車間を維持することができていれば、言うことはありません。わずか1.5㎞の短い距離ではありますが、1度もブレーキを踏まないゆったりとした、直線道路では味わえない快適ドライブが楽しめるはずです。

時速は60kmほどで走ります。道路には軽い起伏や緩やかな右カーブ、左カーブが2つ3つあります。カーブしながらも起伏があったり、起伏の高低差や左右のカーブの曲がり具合などその配置バランスが何ともいえず、『人の心地よさ係数』(そんなものがあるかな?)をしっかり計算して造ったのか?と思うほどです。途中、右手のスパーマーケットの駐車場から車が出てくることもなく、4つある信号もすべて青で通過したときの気分は「してやったり!!」といったところです。

毎日、夜、仕事を終えて帰宅する時に車でここを通ります。が、そこはそれ、何といっても天下の国道です。夜でもその交通量はかなりのもので、1度もブレーキを踏むこともなく、軽いアクセルとハンドル操作だけでこの約1.5kmを走りきることができるのは、残念ながら1か月に1度あるかないかのことなのです。

もしも何かの折に岩国市通津の国道188号線を車で通ることがあったら、その1.5kmのドライブに挑戦してみて下さい。運が良ければ、ゆったりとした快適ドライブが体験できましょう。もちろんそのときはくれぐれも安全運転でお願いします。

以上、毛色の変わった、やたらローカルな話題でした。

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コーディネーターの特権?

2010年08月03日 | 日記・エッセイ・コラム

「第52回中国・四国地区知的障がい関係職員研究協議会」を先月末、私ども財団法人山口県知的障害者福祉協会の引き受けにより、山口市内の会場で開催しました。偶然か、それまでの灼けるような暑さ(熱さ?)が少し治まった2日間、中国5県、四国4県から約600人の知的障害児・者福祉に関係する職員や施設長などが参集し、熱心に研究討議、意見交換、情報交換を行いました。

1日目は、分科会。2日目は、シンポジウムと中央情勢報告。

その2日目に予定されたシンポジウムでのコーディネーターなんぞを押し付けられた私は、仕方なく(?)いや積極的に(?)4人のシンポジストとの事前準備、事前打ち合わせを行いました。テーマは『支援者として原点に立ち返り行動しよう』です。何とも難しいテーマです。

シンポジスト4名のうち、2名は福祉現場の職員の方です。予想通り、お二人とも当初は観念的でだれもが考えそうな、だれもが納得してしまうほかない優等生の発言内容でした。何度かメールや電話やFAXでのやり取りをする中で、現場で体験した具体的な例を二、三上げてほしいとお願いしました。

その結果、頭でっかちではない等身大の発言内容になったかと思います。

他のお二人のシンポジストのうち、お一人は社会福祉法人全日本手をつなぐ育成会常務理事の方、もうお一人はわが福祉協会の上部団体である財団法人日本知的障害者福祉協会の人権倫理委員会副委員長をされており、広島県で社会福祉法人の理事長をされている方です。

このお二人については、もうお任せでした。

「発言内容はお任せします。最後を『原点』に収斂させて下さればありがたいです」とだけお願いしておきました。

育成会の方は、例の内閣府の障害者制度改革推進会議のメンバーのお一人でしたので、シンポジウムの最後に推進会議の様子や今後のあり方等についてご披露いただきました。

ということで、『支援者として原点に立ち返り行動しよう』をテーマとした、現場の職員お二人と親の会(育成会)からと当福祉協会からの計4人のシンポジストによるシンポジウムは、何とかテーマからさほど離れることもなく、かといって、やたら理念や観念、あるいは精神性を強調することもなく、そこそこの中身だったように思いますが、こればかりは私の独り合点かもしれません。

で、最後に。これは内緒ですが、予定されたシンポジウムの時間は90分でした。シンポジウムにしてはやや短いと感じた私は、はなから時間内に収めるつもりはありませんでした。そして当日は予定通り(?)およそ10分延びて、無事終了したのでした。どういう訳だか、そこだけはたいへんうまくいきました。

4人のシンポジストの方々にはあれこれお世話になりました。皆様のご協力に感謝です。

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