新年度を迎えるにあたって

2008年03月29日 | 日記・エッセイ・コラム

異動の時期です。さつき園のある柳井・大島圏域でも知る限り2つの知的障害者施設の長が変わります。行く人、来る人、そこここで異動があり、また新しい関係が作られ広がっていくことでしょう。

さつき園でもこの4月1日から新しい職員を迎えます。

さつき園のような仕事は一人ではできません。チームワークでやるものです。でも、だからといってその中のたった一人でもいい加減さや思い上がりを心に宿すと、たちまち乱れるのがチームワークです。これまで何度も経験してきました。

口先では何とでも言えるのです。

どうか、全職員がチームワーク第一に、本気で仕事に打ち込んでほしいと思います。常に、誠実を腹に据え、信頼を目指し、思い上がらぬ言動で職務を全うすべし!

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詩を書いてみました

2008年03月26日 | 日記・エッセイ・コラム

『生きるいのち』

春のある日

どんなにたくさんの言葉を費やしても語り尽くすことのできない思いに耐えかねて

彼の目の前のガラスが割れました

薄く乾いた音を辺りに響かせて ガラスは砕け散りました

その一枚の透明のガラスを突き破ったものは

<今>と<ここ>に像を結ばない 遠い記憶の中の自らの影への熱い思い

思いは溢れに溢れて

喜びも 楽しみも 夢も 希望も そして…… 

未来でさえも

ただ身を削る痛さとなり 辛さとなるばかり

人は誰も 生きるいのちを選ぶことはできません

だから どうすることもできぬまま

例えば 障害者と呼ばれる子をもつ母の執念は 慈愛と悲しみの底にあり

例えば 障害者と呼ばれる人の時間は 

自らを健常者と呼ぶ人間には決して見えない時を刻んでいくのです 

ガラスを突き破ったとき 

果たして その目に未来は見えたのでしょうか?

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福祉サービス第三者評価受審結果

2008年03月13日 | 日記・エッセイ・コラム

今週の初めに、今年の1月下旬に受審した福祉サービス第三者評価調査の結果が県社会福祉協議会から届きました。

これまで私個人は第三者評価調査者として、いくつかの施設や事業所の評価調査に出かけておりました。が、さつき園として評価調査を受けるのは初めての体験でした。

当然のことながら、結果についてはこれからさつき園を挙げて、全員でしっかり対応していこうと思いますが、今回受審し、その結果をもらって感じたことは、これまでとは違う、新しい風景が目の前に広がったということです。それは、階段を一段上ったらその分だけ遠くまで見通せるようになった、というような。あるいは歩いてきた道の角を左右どちらかに曲がったら、それまでとはまったく違った風景に出会った、というような……。

なお言えば、施設として「やっと市民権を得た」、という思いがあるのかもしれません。受審することではなく、その後の取り組みが大事なことは分かりますが、私に訪れたこの予期しなかった面白い感覚がこれからどうなっていくのか、自分自身でも興味津々です。

そして私ともども職員諸君が奮起して、さつき園が真の市民権を得るために、この評価調査結果に今後しっかり対応してくれることを期待するものです。

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卒業式に思う

2008年03月11日 | 日記・エッセイ・コラム

その1「背筋を伸ばして」

先週の土曜日、お隣の大島中学校の第55回目の卒業式(正式には卒業証書授与式)に来賓として出席させていただきました。

来賓の紹介を受けたとき、「おめでとうございます。お世話になりました」とお礼を述べました。

印象的だったのは、卒業生の中の一人の女子生徒が椅子の背もたれに背中をあずけることなく、背筋をぴんと伸ばして腰掛けていたことです。式の中で何度か卒業生の「起立!」「着席!」がありましたが、その生徒の背筋を伸ばして腰掛ける姿勢は少しも変わりません。

その姿を見て、来賓席の私も思わず居住いを正したしだいです。

しかし、その生徒さんもさすがに感極まったのか、卒業生代表の答辞が始まると指で涙をぬぐっていました。

印象に残る卒業式となりました。

その2「教育の中の福祉の出番」

今日、岩国養護学校の卒業式が行われ、来賓として出席してきました。

卒業生は小学部5名、中学部7名、高等部10名の計22名です。

昭和54年に養護学校が義務化されてから、すでに30年近い年月が経ちます。その間、養護学校教育はどのような進歩、発展を遂げてきたのでしょうか。「こんな子に教育なんて!」といわれた時代から、今や養護学校ではマンツーマンに近い教育が実践されているように聞き及びます。

教育はすべての要です。あだやおろそかにその場しのぎの、あるいは独りよがりの指導、訓練をされてはならないのです。小・中・高の12年間のその子への教育をどうするのか。言葉は悪いですが、その子を生かすも殺すも教育のあり方しだいなのです。

教育を軽く考えてはいけない。いつかこの欄でも書き記しましたが、「教育は時間」です。適切な時期に、適切な教育を、適切な期間だけ施すことが肝要です。そして、教育する立場の者は10年後、20年後を見据え、時間をゆっくりと捉えることが望まれます。

岩国養護学校の卒業生22名の中の、特に10名の高等部卒業生のこれからが心配です。

私は、学校教育や家庭教育の中に福祉の出番を求めたいと思います

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支え合い・育ち合い・鍛え合い

2008年03月01日 | 日記・エッセイ・コラム

土曜通所を始めてからもう1年半が経とうとしています。職員がよく頑張ります。

土曜通所日に当たる今日も、日頃の3分の2ほどの利用者が通所してくれています。人数がいつもより少ない分、時間や空気がゆったりしているように感じるのは、私だけでしょうか。

ところで、巨漢(?)の○○さんは指先が器用です。その○○さんの「貼って!貼って!」と何かを気にしている声が、今日は朝から園長室の前の廊下に響いています。

と、突然、○○さんが「両面テープ!両面テープ!」と叫びました。

すると、近くにいて、事務所にいる職員に話しかけていた□□さんが、すかさず「無ーい」と、それまでの女性特有の甲高い声とは対照的な低い声で返事を返したのです。そう言われた○○さん、いつもなら、何度も何度も同じ言葉を繰り返すところですが、□□さんのその低い調子の「無ーい」の一言で、気勢をそがれたのかすっかりおとなしくなりました。

私は、その□□さんの返事の返し方に思わず笑ってしまいました。間髪を入れぬタイミングと、低い声質に絶妙なものを感じたのです。しかもそのあと、□□さんは何事もなかったように、また職員に話しかけているのでした。

職員なら「両面テープ?どうしたんかね?なんに使うんかねぇー?」などと訊きながら、状況を確認していくところでしょうが、たった一言「無―い」で収めてしまった□□さん。良いか悪いかは別にして、利用者は利用者同士、支え合い、育ち合い、そして鍛え合ってもいるのだなあ、と実感した次第です。

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