遅ればせながらちょっと自己紹介

2009年04月28日 | インポート

高校を卒業し大学浪人をしている私に、ある時ある人が言いました。

「これまで君はいろいろな人のお世話になった。これからはだれかのために生きることも大事だ」と。

以来、私は福祉の世界を歩いてきました。

私が東京で学生生活を送るようになったころ、すでに日本では輸血用の血液を売血によってまかなうことはなくなっていたものの、すべてを献血でまかなえるまでには至っていませんでした。私は大学のあるサークルに籍を置き、日本赤十字社中央血液センターの後押しもある中、学内外での献血推進活動に参加しておりました。同じような活動を展開している都内のいくつかの大学と共同で、渋谷や池袋の駅前で数週間に渡り街頭署名運動をしたこともあります。

沖縄返還闘争や成田闘争が盛り上がり、内ゲバ、バリスト(バリケードストライキ)、ロックアウト、あるいはナンセンス、自己批判……といった言葉が毎日のように聞かれた時代でした。そんな中、一浪した私が大学1年生のときの11月には三島由紀夫が自決し、2年生の2月には浅間山荘事件もありました。

学生時代から全国組織の障害者の親の団体にボランティアとして関わっていた私は、誘われるままに就職先をその団体に決め、重症心身障害児と呼ばれる子供たちの福祉の世界に身をおき、障害児(者)福祉の仕事に携わるようになったのです。まだ「福祉に携わるなんて奇特な人だ」と言われていた時代です。

その後、個人的な事情で少年時代を過ごした地に戻った私は、幸運にも長年携わってきた障害児(者)福祉の世界の人間関係に拾われて、このさつき園で仕事をするようになりました。それからもう12年以上が経ちます。

人はだれでも生きていれば高齢者になります。高齢者への道はだれでもが通る道です。けれど、障害者の道は誰でもが通る道ではありません。さつき園に来るまでの20数年間、それこそ北海道から沖縄までの各地の重症心身障害児(者)や知的障害者、そのご家族の方々と触れ合い、また医療の専門家や行政と関わる中で、私は、生命について、障害について、人間について、そして類としての人間について考えさせられるようになりました。それはさつき園に勤めてからも変わりません。

はるかな学生時代、自分がこんな人生を歩むことになろうとは想像もしませんでしたが、せっかくの人生、これからもこの障害児(者)福祉の世界を歩いていこうと思います。

遅くなりましたが、ちょっと自己紹介をさせていただきました。

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しわ寄せ

2009年04月17日 | インポート

「園長さん、お早うございます!!」「はい、お早うございます!!」

「今日は▼▼さん(職員の名)はお休みですか?」「おー、今日は▼▼さんはお休みじゃー」

「病気ですか?」「いや、病気じゃないよ。家で用事があるんじゃろう」

「あー、家の用事ですか」「うん、家が忙しいんじゃないんかのー」

さつき園では障害者自立支援法施行以来、平成18年10月から已むに已まれず土曜通所を月2回程度実施しています。すると、その土曜日に出勤した職員のその週の勤務時間が40時間を超えてしまいますので、振替休日をとってもらうようになります。これを単純計算すると、職員が毎日1人程度休みを取ることになります。これに出張などが重なると現場は数名の減員で業務に当たることになります。そして、このような事態が各福祉現場、特に通所事業現場では常態化しつつあるのではないかと思います。しわ寄せはどこに行くのかは歴然です。

このような事態をどう改善、解決すればよいのでしょうか。職員をたくさん雇えば解決するのでしょうか。一施設の園長の努力の域を超えています。

だれか本気で福祉を考えてくれませんか!

「明日は来ますか?」「ん?明日かね。明日は来ると思うよ」

「明日は来るとええね」「ほーじゃのー」

利用者は元気に作業に向かいます。

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少年たちへ

2009年04月14日 | インポート

 大島大橋、全長1200メートル。

 新学期を迎えて、今年も真新しい学生服と真新しい自転車の集団が銀輪を朝日に輝かせて渡っていきます。ここ周防大島には大島商船高等専門学校(周防大島町小松:通称大島商船)があります。

 瀬戸を渡る風も、大島大橋からはるか遠くに望む半島や島々の景色も、少年たちを温かく迎えます。彼らは雨の日も風の日も暑い日も寒い日も自転車をこいでこの橋を渡って通うのです。彼らの先輩たちが黙々とそうしていったように。

 私はさつき園に勤めて13回目の春を迎えましたが、大島大橋を自転車で渡る少年たちの元気な朝の光景は13年前と変わりません。

しかし、年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず。毎年の変わらぬと思われる光景が繰り返される中で、人は、時代は、確実に変化しています。

それ故になおさら私は、ひたむきに自転車をこぐ少年たちに変わらぬひたむきさと変わらぬ誠実さを胸に刻んで人生を生きてほしいと願い、通勤の車を運転しながら心ひそかにエールを送るのです。

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重症心身障害児(者)という命

2009年04月06日 | インポート

 みなさんは重症心身障害児()と呼ばれる人たちの存在を知っておられるだろうか。障害者自立支援法の見えない嵐が吹き荒れる中、今3回目の新年度を迎えて、私は俄然、重症心身障害児()の存在に触れる職員研修を計画したいと思い始めました。

 いわゆる「心」「身」の両方にそれぞれ重度重症の障害がある重症心身障害児()。重い障害のために死と隣り合わせの日々を懸命に生きている命。その存在に触れることは今後の障害者『福祉』を考えるのに欠かせない、と思います。

 障害者自立支援法に押しまくられて福祉を放棄するというのならいざ知らず、福祉を貫き充実発展させようと意志するなら、私たちは改めて重症心身障害児()から始めるべきではないかと思うのです。

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