日々の小さな努力を重ねる、ということ

2019年07月31日 | 日記・エッセイ・コラム

 神奈川県相模原市の知的障害者支援(施設入所支援)施設「津久井やまゆり園」で起きた障害者殺傷事件から3年が経ちました。

 先日、7月22日には同市内で追悼式が行われましたが、報道によると、事件を起こした被告はいまだに「不幸をつくる障害者はいらない」「意思疎通のできない障害者はいらない」「世の中の役に立たない障害者はいらない」などと、その主張を続けているとのことです。

 人間の存在に関するこのような価値観は、程度の差こそあれ、私たちの意識の深いところにはびこっているのだという思いを、私は払拭出来ずにいます。

 しかし、そうした私たちの内に無意識にはびこる価値観は覆されねばなりません。

 専門家と呼ばれる人たちがテレビでラジオで新聞で、そしてネットで様々に、例えば、生産性や合理性ばかりを追求する行き過ぎた経済主義を見直す必要を説き、また障害者が受け入れられるように地域の環境作りに重点を置くべきと主張し、健常者と障害者が触れ合う機会を増やし、積み重ねていくことが共生社会の実現に向けた一歩となる……などと発信しています。

 

 けれども、いったい誰がそれらを実現するための実践につなげて行くのでしょうか。

 それは、そう主張する専門家と呼ばれる人たちが率先垂範することは勿論、他の誰でもない、私たちこそが、私たちのあとに続く者たちの遥かな未来に向かって、日々の小さな努力を重ねることだと思います。その日々の小さな努力を重ねることが私たちの無意識の奥深くにはびこる、そしてこの社会の裏側にはびこる差別と偏見から、障害者と呼ばれる人たちの命と人生を解放するものと思います。

 

 しかし、果たしてその時、私たちは私たちのあとに続く者たちの遥かな未来に向かって、いったい、何を、どうすればいいのでしょうか。どんな日々の小さな努力をすればいいのでしょうか。

 ことはいつでも、「べき論」があちらこちらで蔓延するだけで、それらは私たちの日々の小さな努力という行動にさえ転化することもなく、時間とともに雲散霧消していくばかりです。

 社会の差別と偏見から障害者と呼ばれる人たちの命と人生を解放する命題は、こうした「べき論」に煽られたまま、私たちの具体的な行動として転化することもなく、いつしか先送りされているのです。

 

 

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大島大橋損傷事故からの復旧完了

2019年07月12日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨年の10月22日に貨物船の衝突で損傷した大島大橋の復旧工事で、最後まで残っていた大橋の歩道部分に設置されていた直径が30㎝ほどの仮設の送水管の撤去工事がやっと今朝、完了しました。

 大橋の損傷で全島が断水した周防大島。井戸を持っている家庭もありましたが、高齢化が進んでおり、島民の多くは、島外から応援に来ていただいた給水車までの日々の往復の水運びで体調を崩す人も出たり、大橋の車両の通行も気まぐれな風速次第で規制がかかるなど、際どい被災生活を強いられていました。

 また、島外から水を送るための仮設の送水管が大橋の歩道に設置されたため、歩道は歩行者、自転車の通行が禁止されていました。そのため、毎日JR山陽線の大畠駅から自転車で大橋を渡って島にある大島商船高等専門学校まで通う生徒諸君は通学に大きな影響を受けることになりました。

 何とか、特別の計らいで大島商船(通称)の生徒諸君の通行だけは許可されたのですが、全長1,020mの大橋を通る時には自転車を降りて通行することになったのです。昨年の冬から明けて今年の春、夏までのおよそ9ヵ月間。寒い日も雨の日も風の強い日も、また最近目立つ土砂降りの時も、暑さの厳しい時も,彼らは大橋の手前で自転車を降りて、1列になって自転車を押して歩いて渡って行くのです。大畠瀬戸に架かる大島大橋。全長1,020m。歩くとおよそ15分の距離です。

 やっとその不便さから解放されて、今朝の大島大橋では久しぶりに自転車で通学する大島商船の生徒諸君に、多くの報道関係者がカメラを構えたり、インタビューをしたりしていました。彼らはその時、何をどう答えたでしょうか。

 この間、毎日のように大橋を車で朝晩通っていた私ですが、今朝の彼らの自転車を漕ぐ姿を見ていると、やっと胸のつかえが下りたような気持ちになりました。

 大島商船の生徒諸君。君たちはよく頑張った!

 

 この9ヵ月余りの日々。私たちは多くの方々から有形、無形のご厚情をいただきました。皆様に心から厚く御礼申し上げます。

 皆様、ありがとうございました。

 損害賠償問題もありますが、周防大島は元気です。

 皆様、周防大島はいいところです。一度と言わず、二度三度、四度五度、お越しください。お待ちいたしております。

 そして、そのついでで結構ですので、さつき園にも是非お立ち寄りください。利用者が待っております。

 

 

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七夕の願い

2019年07月12日 | 日記・エッセイ・コラム

 さつき園でも毎年、七夕の季節になると、笹の葉に利用者の願いを込めた短冊を下げて、玄関ロビーに飾ります。字の書ける人は自分で、書けない人は職員と相談して願いを書いてもらいます。

 今日、利用者がそれぞれの作業に取り組んでいる時、その短冊1つ1つを手に取って読ませてもらいました。

 願いは様々です。「作業がもっと上手になりたいです」とか、「父親の病気がいつものように治りますように」とか、「○○をがんばります」などなど。作業のこと、家族のこと、自分のこと……。いろいろです。書かれた字を見ると誰が書いたのかすぐ分かるのもあります。

 そんな中、読んで思わず「むー」と言ってしまった、心に沁みる願いが書かれた短冊がありました。

 

 あしがなおりますように   ○○○○○

 

 70歳を超えている○○さん。以前、お腹を手術したことがあります。その後、歩幅が狭くなっていき、単独では歩行がうまく出来なくなってしまいました。今は移動する時には必ず高齢者用の歩行器(シルバーカー)を使用しています。椅子に座ったり、椅子から立ち上がったりする時はゆっくり時間をかけます。

 ○○さんは以前はよくほかの利用者とも話をしていました。そして、よく笑ってもいました。しかし、ここ数年は、自分から口を開くことはあまりないように思います。いつも黙って静かに自分の作業に向かっています。

 そんな○○さんと私は食堂の席が隣り同士です。なので、○○さんの昼食の様子や食欲の加減はよく分かります。食欲は大丈夫。時間はかかりますが、しっかり全部食べています。

 

 あしがなおりますように   ○○○○○

 

 年齢を重ねてきて、体が以前のように十分に動かせなくなった○○さん。日頃、自ら語ることもなくなった○○さん。淡々としているようにも思えた○○さん。でも、やっぱり、内心では足が治ることを願っていたのですね。

 みんなが帰ったあとの静かなさつき園で、私は笹に飾られた利用者一人ひとりの願いのこもった短冊をしばらく見上げていました。

 

 

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検証すべきは何か

2019年07月08日 | 日記・エッセイ・コラム

 2016(平成28)年7月26日に起きた相模原障害者殺傷事件から3年が経とうとしています。その間、事件のあった施設は解体されました。入所していた利用者の新しい暮らしの場所は、本人たちの思い通りになるのでしょうか。そうした懸念をずっと抱いていました。

 最近、この事件における当該施設の責任を問おうとする動きがあるのを知りました。それは、施設には「障害者の人生を引き受ける職員を育てることにどう取り組んできたのか」について責任があるというのです。

 どういうつもりでしょうか。「福祉の理想主義たる原点に立ち返り、この事件の本質的検証を試みる場にしたいと考えます」と、その集まりの主意文は結んであります。

 あり得ません。検証すべきは何か。社会の中にある障害者への、殊に知的障害者への偏見や差別意識の連鎖こそを検証すべきと思います。社会は、知的障害者についてよく知ることもなく、ましてや自ら知ろうともせず、口頭や文章や映像による、いわば間接的な伝聞情報を基にした自身の思い込みによって作り上げた知的障害者像を知的障害者の実像だと思っています。

 社会にはびこっているそういった無意識のバイアスがかかった知的障害者像。また、知的障害者とはこんな人たちだ、と社会が勝手に抱く、根深いステレオタイプのイメージや先入観。どうして私たちの社会にこうした意識や観念がはびこるようになったのか。

 検証すべきは施設の在り方や取り組みといった短い射程距離の検証ではなく、遥かな遠い過去から今に続く私たちの社会の長い歴史とその生活を射程距離に入れた、射程距離の長い検証こそが「本質的検証」に近づくものと思います。

  

 

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