雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

能登半島災害を謳う (1)

2024-05-04 06:30:00 | 人生を謳う

能登半島災害を謳う
   多くの人がこの連休を利用して故郷へ帰省し、道路も、鉄道も、飛行機もほぼ満席の状態であった。
  海外への脱出旅行で飛行便もほぼ満席。
  能登半島地震から5月1日で4カ月が過ぎた。
  大勢のボランティア希望者が県の特設サイト登録し、
  現地の希望に沿ってボランティアを派遣するシステムがととのっている。
  登録者はほぼ埋まっているが、受け入れ側の態勢整わずに、抑制気味だという。
  どこでどんなボランティアが必要なのかさえ、なかなか把握できない現状がある。

  4カ月過ぎた現在でも被災地では、インフラが十分でなく、
  ボランティアは500円のボランティア保険に加入し、食事や飲み物、
  マスクなどは各自で用意することになっている。
 (朝日新聞5/1掲載 珠洲市のボランティア・水野義則氏撮影)
  朝日歌壇から能登地震関係の短歌を集めてみた。

 地震きて元旦能登のすざましさ逃げて逃げてのアナウンスの声   ……平野 實
   
   地震から4カ月過ぎた今でも、あの日テレビ画面から流れる
   アナウンサーの幾分興奮気味の「津波が来ます。逃げてくだ
   さい」と繰り返される声が耳の奥に残っている。

                   
 おろおろと椿の幹につかまりておさまるを待つこの大地震に   ……太田千鶴子

   被災者の恐怖が「おろおろと椿の幹につかまりて」の言葉に
   集約されている。わたしは、東日本大震災の時、農村の集落
   を歩いていて、大木にしがみつきざわざわと葉擦れの音に危
   険を感じ道路に四肢をついて身の安全を図った経験がある。

                       
 すてさんの歌に知りたる朝市の通りの火らし夜空を焦がす   ……阿武順子
 輪島のひと山下すての歌にある震災前のしずかな暮らし    ……大谷トミ子

   「すてさん」とは、輪島の住人で、豊かな感性で朝市の様子な
   どを歌に詠み朝日歌壇の常連だった。テレビの映像は数件の家屋
   から火の手が上がっている映像が火災の初期の正体を映していた。
   様々な悪条件が初期消火を阻害し、大きな火災を生んでしまった。
   「能登は優しや土までも」と謳われた半島の街が一転して、瓦礫
   の山になってしまった。

 
 能登地震に募金しにゆく福島の復興途上の浪江町の吾は ……守岡和之

   福島県浪江町は放射能の汚染がひどく、一部期間困難地区が解除に
  なったが、にぎやかさを取り戻した地区はほんの一部に過ぎず、車で
  海岸に向かって走れば、瓦礫の山はなくなったものの、家の土台と門
  柱だけ残した家が当時の悲惨さを今に伝えている。海岸に立つ浪江小
  学校は津波にあったが、生徒は全員無事に近くの高台に避難した。
  現在は震災遺構として開放されている。
  被災した者同士、痛みを分け合う。
  震災から13年を経てなお、復興途上と言わざるを得ない福島の厳しい現実がある。

 時を経るごとに死者数増えてゆくニュース悲しき正月三日  ……戸沢大二郎
 「この下に人間が居ます」と張紙し倒壊家屋の側で待つ家族  ……山口正子 

   日ごと増えていく死者の数と、行方不明の数が、厳しい現実の姿を
  物語っている。いったい誰が瓦礫の下敷きになっているのだろう。
  母とか父とか特定の人ではなく、「人間」と書いたところに、作者の
  怒りや、悲しみ、悔しさが滲んでいて、心を打たれる。

(人生を謳う№25)          (2024.05.03記)

 

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