goo blog サービス終了のお知らせ 

落合順平 作品集

現代小説の部屋。

上州の「寅」(37)小豆島

2020-10-14 17:51:11 | 現代小説
上州の「寅」(37)




 九州の南端から小豆島までを、大前田氏の黒いベンツは
7時間余りで走破した。


 「ほら見ろ。おれがその気で飛ばせば、こんなものだ。
 小豆島といえば二十四の瞳とオリーブの島。
 おまえ。二十四の瞳を知ってるか?
 いろんな女優が映画やドラマで新任の教師・大石先生を演じたが
 おれがいちばん好きなのは1987年に公開された田中裕子だ。
 初々しくて、じつにチャーミングだった」


 田中裕子は知っているが、1987年と言えば寅が生まれる13年も前のことだ。
いまの田中裕子なら知っているが、生まれる前のことなどまったくわからない。
はて?、と寅が首をかしげる。




 「知らんのか。昔の田中裕子は・・・。
 そういえば男はつらいよシリーズの、30作目にも登場しているぞ。
 花も嵐も寅次郎のマドンナ、蛍子だ。
 鼻にかかった甘い声。猫のように男にしだれかかる仕草さ。
 無邪気に振りまかれるなんともいえない色香。
 いままで居なかった不思議な色気を見せたマドンナだ。
 寅さんが惚れちまうのも無理はねぇ」


 「あ・・・それ見ました。DVDで」


 「なにぃ。寅さんを見るのかお前は。へぇぇ若いくせに渋いなぁ」


 「寅さんは大好きです。
 49作目までのDVD、すべて持ってます」


 「暇なんだな。いまどきの美大生は」


 「父が男はつらいよの大ファンです。
 ぼくの名前の寅も、フーテンの寅さんにあやかったと聞いてます」


 「よく母親が納得したなぁ。
 平成生まれの子供に、寅とつけるのは勇気がいるぜ」


 「母に内緒で勝手に役所へ届け出たそうです」


 「おめえ。素質があるかもしれねぇな。
 寅さんシリーズのDVDを持っているなんて、見直したぜ」


 「ぼくのルーツです。いちおう確認しておかないと」


 「寅さんと言えば、おれらとおなじテキヤ家業。
 おまえさんの中にも、おなじ血が流れているかもしれねぇな」


 「よく言いますよ。
 こんな状況の中へぼくを勝手に引きずり込んだくせに」
 
 「不満なのか?、おまえ。
 金髪の美女が2人もいるんだ。うまく立ち回れば両手の花だぞ」


 「どういう意味ですか?」


 「意味は自分で考えろ。それより用事を思い出した。
 2~3日、面倒見てやろうと思っていたが、そうもいかなくなった。
 そのあたりで降ろしていくから、あとは自分たちでなんとかしろ」


 「えっ・・・とつぜん何ですか!」


 「安心しろ。おまえらの身元引受人はすでに探してある。
 もう少し行くと古ぼけた自転車屋がある。
 そこがおまえさんたちの住まいと仕事場だ。
 お・・・見えてきた。
 ほれ。あそこがおまえさんたちがこれから世話になる自転車だ」




(38)へつづく