落合順平 作品集

現代小説の部屋。

農協おくりびと (53)魚のアメ横

2015-11-23 11:03:38 | 現代小説
農協おくりびと (53)魚のアメ横


 
 出雲崎から、紅ズワイガニの水揚げがはじまった寺泊までは、目と鼻の先。
魚の町・寺泊には、通称『魚のアメ横』と呼ばれる通りが有る。
大型の海産物店舗が軒を連ねている。
寺泊港や出雲崎港から揚がる、新鮮な魚介類が安く手に入ることも有り、
近隣から多くの人が訪れる。


 紅ズワイカニの漁は、9月1日から解禁になる。
水深200mから400mの大陸棚に生息しているのが、松葉ガニや
越前ガニと呼ばれている本ズワイガニ。こちらの漁期は真冬になる。
9月から漁期が始まる紅ズワイガニは、1000mから2500mの深海で育つ。
カニは茹でると赤くなるが、紅ズワイガニはとれた時から赤い甲羅をしている。
茹でるとさらに、鮮やかな赤に変る。



 広い『魚のアメ横』の駐車場が、びっしりと混んでいる。
昼食の時間帯だから、なおさらのことだ。
隙間を見つけた松島が、たくみにハンドルをさばいてワンボックスを停める。
空腹に耐えていた男たちが、いっせいに車から飛び降りていく。
最後に降りた祐三が、『魚のアメ横』に向かって駆けだしていく独身の男たちを
あわてて背後から呼び止める



 「こら。お前ら。
 女性をエスコートしないで、お前らだけで勝手に食に走るのか。
 やっぱり。にわかつくりの即席カップルでは、まとまりに無理があるようだな。
 松島。この混雑だ、圭子ちゃんの手を引いてやれ。
 迷子にでもなったら、あとで大変だからな」



 呼び止められた松島が「では。折角だから、お願いします」と手を伸ばす。
うしろを歩いていた圭子が、「はい」とすかさず、指先を差し出す。
「じゃ、俺らも」祐三が左の腕を突き出す。
「はい、はい」と笑顔の妙子がするりと腕を通して、祐三の肩へ寄り添う。


 「戒律に生きる女が、破廉恥な真似をしても、いいのですか?」
ナス農家の荒牧と並んで歩いている先輩が、嬉しそうな妙子の背中へ語りかける。


 「戒律のあかし、輪袈裟は、車の中へ置いてまいりました。
 ゆえにいまは、仏のいましめから離れた、ただの普通の女どす。
 外出の食事の時くらい、戒律を忘れて本能のままに過ごしてみたいと思います。
 あっ、住職さんには、内緒どすえ」



 「輪袈裟を外すと、ただの女に戻るのですか・・・
 なるほど。うまい習慣があるのですねぇ、仏門の世界にも。
 もっとも戒律を気にしていたんじゃ、カニを満喫することができませんからねぇ」


 では負けずにわたしたちもと、先輩がナス農家の腕をとる。
半分はにかんだナス農家が、「おっ。旅の恥は、かき捨てだな」と嬉しそうに反応する。
まんざらでもなさそうに先輩が、ナス農家の肩に頬を寄せていく。


 「どうします、俺たちは?」最後に残ったキュウリ農家の山崎が
困った顔で、ちひろを振り返る。
「もと高校球児と知っていたら、カギを絶対に渡さなかったのに。
いまとなっては後の祭りです。みんなが手をつないでいるのに、わたしたちだけ
別々に行動したら、かえって怪しまれます」
はいどうぞとちひろが、山崎に向かって指先を差し出す。



 本ズワイガニはきわめて高価だ。
だが、解禁になったばかりの紅ズワイガニの値段は、かなり安い。
カニとしての品質に、問題が有って価格が安いわけでは無い。
味だけでいえば、紅ズワイガニの方がはるかに美味い。
ただし。扱い方がきわめて難しい。
身入りが少ないうえ、カニの姿を保ったまま提供できない点に難がある。
茹で方も、繊細過ぎて、たいへんに厄介だ。
ひとつ間違えば、風味を損なって、身がスカスカになってしまうことも有る。
味を損なうと、売り物にならない。


 だが、カニをとる漁師たちは本ズワイより、紅ズワイを喜んで食す。
上手に茹でた紅ズワイガニは、カニの王様といわれている本ズワイより、
はるかに甘く、かつ濃密な味がするからだ。
 
  
(54)へつづく

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