農協おくりびと (44)遠出の日が、やって来た
週末、待ちに待った仏滅の日。2回目の合コンの日がやって来た。
8人乗りのワンボックスは、1時間以上も前に、祐三の家へ姿をあらわした。
運転席から、緊張ぎみの松島が降りてくる。
「おうご苦労さん。これでもかというほど、車がピカピカだ。
せっせと朝から磨いてきたのか、なんとも無駄な努力だな。
それだけのエネルギーが有るのなら、もっと別の事に、有意義に使え」
「俺の好きにさせてください。
未来の大事な嫁さんを、口説けるかどうかの瀬戸際です。
そう考えたら、5時前に目が覚めてしまいました。
どうにも時間の潰しようが無いので、せっせと車を磨いてきました。
可笑しいですか。こんな俺の、無駄な努力は?」
「可笑しくはないさ。もともと今日は、お前さんが是非にと言い出したことだ。
だが斎場で一目ぼれした尼僧が、高校時代からの知り合いとは驚きだ。
お前さんたちに、少なからぬ縁が有ったという事かな。
それにしても相手は尼僧だ。どうにも難攻不落の相手になるぞ。
それを承知の上で、負ける戦いを挑むのか、お前さんは」
「まだ、負けたと決まったわけじゃありません」
不満そうに松島が、口を大きく尖らせる。
「たまたま見染めた女性が、尼さんになっていた、ということだけのことです」
(気がつかなかったんだ。あいつが、あんな良い女に変身していたなんて・・・)
と、小さな声で言葉を継ぎ足す。
「相手はすでに世俗を捨てた女だぞ。身を捨てて、仏門に生きているんだ。
9割がたお前さんが敗北することは、目に見えている。
それでもまだ、先へ突き進もうというのか、お前さんという男は」
「惚れちまったんです。絶対に、あとには引きません」
「それくらいの意気込みで、仕事に励めばいい男なんだがな、お前も。
よし。分かった。もう何も言うまい。
任せておけ。加勢することは出来ないが、口説くための舞台は整えてやろう。
その前に家に寄って、朝飯を食え。
その雰囲気じゃ、朝飯なんか食っていないんだろ。
急いては事を仕損じる。
腹が減っては戦(いくさ)にもならん。いざというとき、遅れを取るからな」
いっしょに朝飯を食えと、祐三が手で招く。
「はい」と応えた松島が、祐三の後について素直に家の中へ入っていく。
祐三の家は、昭和30年代に建てられた古い蚕農家の母屋だ。
群馬で養蚕業が盛んだった、昭和30年代の頃。
2階の屋根の上に、櫓(やぐら)を乗せた母屋がたくさん建てられた。
櫓は、「清涼育」という蚕(かいこ)の育て方を、実践するために考案されたものだ。
蚕室に新鮮な空気を取り込むための欠かせない装置、それが屋根の上に設置された櫓だ。
養蚕業の衰退とともに、人とカイコが一緒に暮らす母屋は、必要性を失った。
多くが取り壊されて、人が住むためのあたらしい母屋が、敷地の中に建てなおされた。
だがすべてが消えてしまったわけではない。
祐三の屋敷のように、改築を加えながら現存しているカイコ用の母屋は
集落の中に、いまだにいくつか残っている。
間口が25メートル。 奥行き9メートル。屋根は、青い瓦葺きの総2階建て。
入ってすぐの玄関は、むき出しの土間になっている。
真夏だというのに、ひんやりとした感触が足元から伝わってくる。
「朝食は奥さんと、2人きりなんですか?」
「ああ。せがれは東京へ行ったまま、いっこうに帰って来る気配はねぇ。
教師採用試験に受かったというから、空きが有ればそのうち東京で先生になる。
長女も埼玉で一人暮らしだ。
こいつもたぶん、ここには帰って来ねぇだろう。
そのうちに、お父さんにぜひ会ってほしい人が・・・なんて言って顔をだすだけだ。
そういえばお前。よく帰って来たなぁ、こんな田舎へ。
都会で勤め人をつづけるとばかり思っていたが、なんかあったのか、東京で?」
(45)へつづく
新田さらだ館は、こちら
週末、待ちに待った仏滅の日。2回目の合コンの日がやって来た。
8人乗りのワンボックスは、1時間以上も前に、祐三の家へ姿をあらわした。
運転席から、緊張ぎみの松島が降りてくる。
「おうご苦労さん。これでもかというほど、車がピカピカだ。
せっせと朝から磨いてきたのか、なんとも無駄な努力だな。
それだけのエネルギーが有るのなら、もっと別の事に、有意義に使え」
「俺の好きにさせてください。
未来の大事な嫁さんを、口説けるかどうかの瀬戸際です。
そう考えたら、5時前に目が覚めてしまいました。
どうにも時間の潰しようが無いので、せっせと車を磨いてきました。
可笑しいですか。こんな俺の、無駄な努力は?」
「可笑しくはないさ。もともと今日は、お前さんが是非にと言い出したことだ。
だが斎場で一目ぼれした尼僧が、高校時代からの知り合いとは驚きだ。
お前さんたちに、少なからぬ縁が有ったという事かな。
それにしても相手は尼僧だ。どうにも難攻不落の相手になるぞ。
それを承知の上で、負ける戦いを挑むのか、お前さんは」
「まだ、負けたと決まったわけじゃありません」
不満そうに松島が、口を大きく尖らせる。
「たまたま見染めた女性が、尼さんになっていた、ということだけのことです」
(気がつかなかったんだ。あいつが、あんな良い女に変身していたなんて・・・)
と、小さな声で言葉を継ぎ足す。
「相手はすでに世俗を捨てた女だぞ。身を捨てて、仏門に生きているんだ。
9割がたお前さんが敗北することは、目に見えている。
それでもまだ、先へ突き進もうというのか、お前さんという男は」
「惚れちまったんです。絶対に、あとには引きません」
「それくらいの意気込みで、仕事に励めばいい男なんだがな、お前も。
よし。分かった。もう何も言うまい。
任せておけ。加勢することは出来ないが、口説くための舞台は整えてやろう。
その前に家に寄って、朝飯を食え。
その雰囲気じゃ、朝飯なんか食っていないんだろ。
急いては事を仕損じる。
腹が減っては戦(いくさ)にもならん。いざというとき、遅れを取るからな」
いっしょに朝飯を食えと、祐三が手で招く。
「はい」と応えた松島が、祐三の後について素直に家の中へ入っていく。
祐三の家は、昭和30年代に建てられた古い蚕農家の母屋だ。
群馬で養蚕業が盛んだった、昭和30年代の頃。
2階の屋根の上に、櫓(やぐら)を乗せた母屋がたくさん建てられた。
櫓は、「清涼育」という蚕(かいこ)の育て方を、実践するために考案されたものだ。
蚕室に新鮮な空気を取り込むための欠かせない装置、それが屋根の上に設置された櫓だ。
養蚕業の衰退とともに、人とカイコが一緒に暮らす母屋は、必要性を失った。
多くが取り壊されて、人が住むためのあたらしい母屋が、敷地の中に建てなおされた。
だがすべてが消えてしまったわけではない。
祐三の屋敷のように、改築を加えながら現存しているカイコ用の母屋は
集落の中に、いまだにいくつか残っている。
間口が25メートル。 奥行き9メートル。屋根は、青い瓦葺きの総2階建て。
入ってすぐの玄関は、むき出しの土間になっている。
真夏だというのに、ひんやりとした感触が足元から伝わってくる。
「朝食は奥さんと、2人きりなんですか?」
「ああ。せがれは東京へ行ったまま、いっこうに帰って来る気配はねぇ。
教師採用試験に受かったというから、空きが有ればそのうち東京で先生になる。
長女も埼玉で一人暮らしだ。
こいつもたぶん、ここには帰って来ねぇだろう。
そのうちに、お父さんにぜひ会ってほしい人が・・・なんて言って顔をだすだけだ。
そういえばお前。よく帰って来たなぁ、こんな田舎へ。
都会で勤め人をつづけるとばかり思っていたが、なんかあったのか、東京で?」
(45)へつづく
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