落合順平 作品集

現代小説の部屋。

東京電力集金人 (27)2度目の『南岸低気圧』がやってくる

2014-06-19 11:00:12 | 現代小説
東京電力集金人 (27)2度目の『南岸低気圧』がやってくる


 
 南岸低気圧とは、日本列島南岸を発達しながら東に進んでいく低気圧のことだ。
冬から春にかけて毎年発生し、実に厄介な気候を太平洋側にもたらす。
こいつは暖気を運んでくる日本海側の低気圧と対照的に、東日本全体に寒気を運ぶ。


 日本列島の太平洋側に、大雪や大雨を降らせる。
東京を含む関東地方南部に降る大雪のほとんどが、この南岸低気圧の影響によるものだ。
南岸低気圧が接近するとき、中心部分が陸地に近いほど関東は雨になりやすい。
逆に、遠くの洋上を通過する場合は、雪が降りやすくなる。
伊豆諸島の八丈島付近を境に、これより南を通ると雪の確率のほうが断然高くなる。
北を通ると、逆に雨になる確率が高いと言われている。
陸地から遠すぎると低気圧が雨域から外れるため、降水がない場合もなる。

 14日の昼過ぎから、接近中の南岸低気圧が陸地側に進路を変えた。
首都圏と関東の全域にふたたび雨か大雪を降らせる可能性が、時間とともに高まってきた。
だが、14日から大量の雨か雪がやってくることは周知済みだから、町はいたって静かだ。
悪天候を予測して在宅していた客が多く、予想外なほど順調に集金業務が進んだ。

 
 昼飯をパスし、1時過ぎまで頑張った頃なんと集金率が、90%を超えた。
最近にない、快挙と言える達成率だ。
これも接近中の南岸低気圧のおかげだとおおいに感謝しつつ、集金業務を切り上げた。
俺たちの仕事は、時間に拘束されているわけではない。
拘束されているのは一日のノルマで、集金の達成率に追われているだけだ。
業務を早々と切り上げ、風対策で大わらわに走り回っている先輩のビニールハウスへ
ひよこっと顔を出してみた。



 「どうしたの、太一。集金のほうは?」


 ビニールハウスのフレームにしがみつき、補強用のビニール紐を操っているるみが、
怪訝な顔で、高い場所から俺の姿を振り返る。
3メートル近い高さを持つ、ビニールハウスの頂点付近で作業しているるみの形の良いお尻が、
強風にあおられて、くっきりと色っぽい形で浮かび上がっている。
「大丈夫か、飛ばされるなよ。気を付けろ」と下から声をかけると、
「私のお尻ばかりに見とれてないで、反対側に回ってビニール紐を受け取ってよ」と
るみが、大きな声でいきなり怒鳴る。

 「先輩は、どうした?。姿が見えないが・・・」


 「他のハウスの点検で、さっき出かけたばかりです。
 ここは私と奥さんの2人で補強中なの。いいから手伝ってよ。
 猫の手も借りたいほど忙しいんだから!」


 ビニールハウスは、たった1枚の無垢のビニール生地で覆われている。
強風にあおられ内部にわずかな空気が入っただけで、簡単に破れてしまう構造をもっている。
そのために通常の倍以上の量のビニール紐で、屋根全体を補強することになる。
るみはまさにそのための仕事に追われ、なりふり構わず作業に没頭中だ。
反対側へ回ると、先端に重りを付けたビニール紐が、強風の中をふらふらと飛んでくる。
それをアンカー部分にしっかりと百姓結びで繋いだあと、ふたたび反対側へ投げ返す。


 農家は独特な方法で、ビニール紐を結ぶ。
いちいち結び目を作り、蝶々縛りなんかをしていたのでは、数が多すぎて埒があかない。
くるくると結わえた後、ひとまわりくくっただけで固定をする。
こうしておくことで、後になってからいち方向へ引っ張るだけで、紐は
スルリと抜ける構造になる。
丈夫に結ぶことも大切だが、簡単に解けるようにしておくことはもっと重要だ。
なぜならこうした結び目は、ハウス内での作業で、それこそ無限にちかい回数で
際限なく繰り返されるからだ。

 数千本の苗が並ぶビニールハウスの内部では、隣同士がからみあわないように、
苗を一本ずつ、天井に通されたワイヤーに順序良く吊り下げる。
ナイロンの紐で苗を支えるわけだが、用済みになれば、最後は廃棄物として片づける。
1本1本を手で解いていたのでは、日が暮れてもビニールを片付ける作業は終わらない。
同じ段取りで片側だけを引っ張れば、簡単に外れるというのが、「百姓縛り」の神髄だ。
代表的な百姓縛りの縛り方は、2種類ある。
だが独特な方法で緩まない縛りかたをするスペシャリストは、この近隣だけでも何人も居る。


 30メートルのビニールハウスを、小一時間ほどの時間をかけ補強し終えた時、
パラパラと大きな音を立てて、雨粒が落ちてきた。
やばいと慌ててビニールハウス内へ逃げ込んだとき、反対側で作業をしていたるみが、
頭を覆ったまま、前もろくに見ずに全速力でハウスの中へ駈け込んできた。

 動物の様に飛び込んできたるみが、俺が真正面に居ることに気付き、
あわてて急ブレーキをかけたが、もうすでに間に合わない。
「あっ!」と言う大きな声とともに、折り重なったままハウスの狭い通路へ倒れこんだ。
俺の胸にのしかかったるみが、「ごめん」としどろもどろの小声で謝る。
「あ・・・いや、突然の雨だから不測の事態だ。通路の真ん中に立っていた俺が悪かった」
と、俺も神妙に謝った。
だが・・・・すぐそばに、他人の目があった。


 「あらぁ~。仲がいいのねぇ、2人とも。
 バレンタインの夜が来るまで待ちきれず、早くも本番とは、妬けるわねぇ。
 いいわねぇ、若い人たちは自由奔放に愛し合えて。
 あたしんところなんか、半年以上もご無沙汰のままよ。あら、主人には内緒にしてね。
 存分に楽しんで頂戴。夕飯用のトマトを採り終えたから、あたしはこれで失礼します。
 後は若い者2人だけだもの。遠慮しないで、気が済むまで楽しんで頂戴」


 うふふと笑った先輩の奥さんが、「ちょっとごめんね、狭いから」と、
抱きあった形のまま倒れこんでいる俺たちを、ひょいと身軽に飛び越えた。
「いいのよ。遠慮しなくても。邪魔者はさっさと消えるから」と軽い笑い声を残し、
ハウスの入口へ、『いいわねぇ、若さって!』とお尻を振りながら消えていく。


(28)へつづく

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東京電力集金人 (26)バレンタインデーの朝

2014-06-18 09:50:10 | 現代小説
東京電力集金人 (26)バレンタインデーの朝




 2014年2月14日。バレンタインデーの朝がやって来た。
気象庁は、14日(金)から16日(日)にかけ、日本の南海上を強い勢力をもった
南岸低気圧が、さらに発達をしながら北上する見込みだと発表した。

 進路にあたる四国から北海道にかけてまでの広い地域で、雪や雨と風が一段と強まり、
大荒れの天気になる恐れがあると解説をした。
特に、太平洋側の北海道や東北ではまとまった雪となり、四国から東海・北陸にかけても
標高の高い地域では大雪となる恐れがあり、さらなる注意が必要だと呼びかけた。 
 
 首都圏でも降り始めは、雪となると言い切った。
14日(金)の夕方から雪が降ると予想し、間違いなく雪のバレンタインデーになると宣言した。
雪は15日(土)未明から次第に雨に変わるが、気温が低い場合は雨に変わらず、
雪が降り続き、降雪量が多くなる恐れがあると、さらに解説を付け加えた。
だが先週8日(土)ほどの大雪にはならないだろうと、あえてコメントを追加した。


 発達した低気圧は東日本で、大雨や暴風を長引かせることになるだろうと、特徴づけた。
降水量が非常に多くなり、四国から東海にかけての太平洋一帯の地域を中心に、
特に、大雨に警戒してくださいと呼びかけた。
低気圧の発達に伴い沿岸部を中心に風が急速に強まり、台風並みの暴風となる恐れも
あると、あえてコメントした。
ものが飛ばされるなどの危険な状態になるために、不要な外出は避け、
進路にあたる北海道や東北では暴風雪になる恐れもあるため、吹雪による交通障害に、
くれぐれも注意しろと、特に呼びかけた。

 
 8日(土)~9日(日)にかけて、発達した南岸低気圧が日本列島を通過したばかりだ。
南岸低気圧は、首都圏や東北南部で記録的な大雪を降らせた。
東京の都心では13年ぶりに大雪警報が発表され、45年ぶりという27cmの積雪を観測した。
千葉では観測史上1位の33cm。仙台では78年ぶりの35cmなど、首都圏や東北南部の
太平洋側の各地で、数十年ぶりになる大雪を記録した。

 今回もただ事では済まないだろうという所長の判断で、急きょ朝の会合がひらかれた。
会議室に集められた集金人、検針員たちを前に、所長の異例の訓示がはじまった。


 「先週も大雪が降ったばかりだが、今週も、さらに同じように続けて降るという。
 本日の夕方あたりから雪が降り始めるそうだが、油断はできない。
 台風並みに風が強くなるという予報も出た。
 業務にあたっては、各自、細心の注意をはらうように。
 達成率が85%以下でも、危険と感じたらただちに業務を打ち切って戻ること。
 いいかね。荒れた気象の中で頑張っても成果は決して上がらない。
 それどころか諸君が道路上で怪我をされたのでは、のちの業務に大いな支障が出る。
 そのあたりを踏まえて、各自が賢明な判断と行動をとってほしい。
 以上。怪我などのないように、本日の業務を、無事にまっとうしていただきたい。
 では以上で、解散。本日も折り目正しく業務のまっとうをよろしく。
 はいみなさん、御苦労さん」


 要するに「荒れた天気になるが、最善を尽くして業務をまっとうしろ」という命令だ。
道路上で怪我をするなという意味は、労災の手続きが面倒になるからだ。
社の保険を使えば、のちのちに保険の掛け金が高くなり、経費を圧迫することになるから、
(そういう事態にならないように)各自が、充分に気を付けろという意味だ。

 悪天候の元で働きに出る、従業員個々の心配をしているという意味では断じてない。
聞こえは良いが、結論から言えば、会社に無駄な出費を強いるなという号令だ。
だが、危険と感じたら業務を打ち切ってもいいと指示した一言は、有りがたかった。
勝手に早上がりしてもいいという、お墨付きだ。
早速、「今日は早めに帰れそうだ」と営業所を出る前に、るみへメールを送った。



 「私に早く会いたいからなのか?。それとも、プレゼントが早く欲しいと言う意味か?
もしかしたら、私の身体が早く欲しいという催促なのか。このドスケベ男!」と、
見当違いの返事が、あっという間に返ってきた。
「馬鹿野郎。南岸低気圧の影響で早く上がれるという有りがたい話だ。勘違いするな!」
とこちらも速攻で書き送る。
「分かっているわよ。こっちはそれどころじゃないの。
強風の対策のために、ハウスの内と外でテンヤワンヤで作業中です。
早めにお風呂に入って、身体を磨いておくから、気をつけて無事に帰っておいで」
と訳のわからない返信が、また、あっという間に戻ってきた。


 午前9時を過ぎた群馬の空は、一面、びっしりと朝からの分厚い雲に覆われている。
強い風を予感させるような早い雲の動きが、頭上のいたるところで始まっている。
普段なら西から東へ流れていくはずの雲が、今日に限って、まるで渦を巻くように、
南の空から、東にむかって反時計回りにぐるりと北関東を覆い始めている。
まさに、押し流されていくという表現がぴったりの、異常といえる雲の速さだ。

 台風並みの強さで接近してくる南岸低気圧の、嵐の前の静かさを予感させるような、
そんな気配を濃密に漂わせて、真っ黒い雲の塊が俺の頭上を飛び始めた・・・・



(27)へつづく

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東京電力集金人 (25)また大雪がやってくる?

2014-06-14 09:18:41 | 現代小説
東京電力集金人 (25)また大雪がやってくる?



 るみの選んだ映画は、ラブロマンスだった。
最近の映画館は、巨大規模を誇るショッピングモールの中に有る。
数年前に近郊に巨大なショッピングモールが誕生したばかりだが、県の東部にまた、
新たにイオンが主導するショッピングモールが誕生した。

 イオンと言えば聞こえはいいが、実際はテナントをかき集めた賃貸の商店街だ。
ショッピングモールの中に、イオンの名を冠する売り場はまったく存在しない。
商店街の様に細長い通路の左右に、賃貸契約による洋品店と雑貨店ばかりが並んでいる。
集客の目玉として、映画館が併設されているのもイオンモールの特徴だ。

 映画館は、300メートルほどの通路の突き当りに作られている。
イオンモールは何故か、直線的に通路を造らない。
全体的に緩やかに、かつ先端が見えないように大きく湾曲をしている。
通路の端に立つと商店街の約半分が、完全に視界から隠れる。
散策か散歩の気分で、延々とウィンドショッピングを続けさせることが狙いだ。
先が見渡せないと人は、その先までわざわざ好んで覗きに行くから不思議だ。
そうした客の心理を計算して、イオンは最初から、わざと湾曲した商店街を作りあげる。


 映画館を出た後、閉店間際で閑散としている通路をるみと、2人で並んで歩いた。
ふとした拍子に触れたるみの指先を、思わず反射的に捕まえた。
ぎゅっと握りしめたら、るみも力を入れて握り返してきた。

 10時が近づいてくると、人の流れは駐車場へ無言で急ぐ。
無印良品の店先を通り過ぎようとしたとき、るみが何かを見つけて立ち止まった。
目に停めたのは、鮮やかなオレンジ色をしたネックウォーマーだ。


 「暖かそうだわねぇ。また大雪が降るというし。
 少し早いけど、バレンタインの前祝いとして、太一の首へプレゼントしょうか」


 言うが早いか、ぱっと商品を手にしたるみがスタスタと閉店間際のレジへすすむ。
「いりません包装は」と断ると商品を手にしたまま戻ってきて、俺の首へ「はい」と、
買ったばかりのネックウォーマーを手早く被せる。
「暖かいでしょ。バイクで外回りの仕事だもの。一度使うと手放せなくなる。
発達した低気圧がまた東日本の沿岸にやって来て、大雪を降らせるそうです。
先週よりも規模が大きいと言っていたけど、本当に、また大雪が振るのかしらねぇ」
首の周りでだぶついているネックウォーマーを、てきぱきと手直ししながら、
「首ったけという意味じゃないから、誤解なんかしないでね」と、
悪戯っぽく片目をつぶってみせる。

 (じゃ、どういう意味なんだよ)と突っ込もうとしたら、るみがするりと先に逃げた。
「いつもの屋台へ急ぎましょう。あたしもう、お腹、ペコペコなんだもの」と、
ずる賢い微笑みを浮かべて、スキップをする。

 「途中から雨に変わるそうだから、前回ほどは積もらないだろう。
 しかし2週続けての大雪予報とは恐れ入った。
 田舎道の日蔭にはまだ先週降った雪が、カチカチに凍ったままいまだに残っている。
 ほんとだ。首の回りがぽかぽかしてきて暖かいな、これ。
 なかなかに優れものだな、ネックウォーマって。
 なるほど。君が言うように、確かに手放せなくなりそうだ、便利過ぎて」

 「うふふ。気に入ってくれてありがとう。でも、本当のお楽しみはこれからです。
 バレンタインの日には、とっておきのプレゼントをあげるから、乞うご期待です」


 「と、とっておきのプレゼント・・・・も、もしかして!それって!。」


 「過剰な期待はしないでね。簡単にあげるはずが無いでしょう、身体なんか。
 あんた、どうにかならないの。おおげさに反応をしすぎる、その好色な目つきは。
 女によっぽで飢えているのねぇ、あんたって。
 どう見ても、まるっきり、欲求不満の塊に見えるわ」


 「ふん。大きなお世話だ。男がすこぶる健康な証拠だ。好色の目つきをするのは。
 なんだよ。お前さんみたいな貧乳女になんか、興味はねぇ!」

 「あら。悪かったわね、貧乳で。
 これでもいいって言い寄ってくる男性はたくさんいるのよ。
 ネックウォーマは手切れ金代わりとしてさし上げますから、今日のデートは
 もう、これで打ち切りにしましょ」

 「怒ったのかよ。急に態度を豹変させるなよ。。
 映画のあとは、いつもの屋台で、仲良くラーメンを食う約束だろう?」


 「油断していると、肉食系のあんたにペロリと食べられてしまいそうだもの。
 今日のところは、遠慮しておく。
 太一が好色そうな眼を見せたら気を付けろと、お母さんからも忠告をされているもの。
 あんた。いまだにベッドの下に、大量のエロ本を隠しているんだって?
 テンションがあがると、目がピンク色に変わるから、わかりやすいと教えてくれた。
 映画でロマンチックな気分にひたった直後だもの、今日はまっすぐ帰ろうよ。
 9時過ぎに食べると太るし、これから屋台によってラーメンを食べると、
 帰りは12時近くなる。トマト農園の朝は早いのよ。
 朝の6時頃から、ビニールハウスでの作業がはじまるの。
 あら。なんでせっかくつないだ手を離しちゃうのよ?
 いいじゃないの、手ぐらいつないだままでも。このまま帰ろう、車まで。うふふ」



(26)へつづく

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東京電力集金人 (24)バレンタインまで、あと4日

2014-06-12 09:51:13 | 現代小説
東京電力集金人 (24)バレンタインまで、あと4日


 
 実家でるみとおふくろさんの、2人暮らしがはじまった。
姉には既に電話で了解を取ったということで、姉さんの部屋へるみが滑り込んだ。
生まれた時から我儘な姉のことだから、1~2年で離婚して実家へ戻ってくるだろうと
決めこんでいたおふくろの推測は、見事に当てが外れた。
『いらないわよ。私の部屋なんか、もう』という姉のあっさりした一言で、
るみの居場所が、その日のうちに確定した。


 「花嫁候補?。お前さんたちはもう、そういうところまで進展しているのかい?。
 勘違いしないでおくれ太一。
 浪江町の出身で放射能で生まれた家に戻れないというから、ボランティアのつもりで
 姉さんの部屋をつかってもらって居るだけさ。
 困ったときだ。お互い様さ
 隣の農園に仕事が決まったのも、たまたまさ。別にあたしが頼んだわけじゃない。
 あ、ひとことだけ断っておくが、お前はお調子者だから、羽目を外すんじゃないよ。
 SEXするときは、わたしの家の中ではなく、ちゃんと外のホテルでするんだよ。
 勘違いをしないように。わかっているだろうね、そのくらいのことは、太一」


 家の中が華やかになるのは結構なことだが、なんだか以前とは、勝手が違ってくる。
実家から少し離れた場所に軽い考えで、一人住まいのアパートを借りたのは3年前のことだ。
経済的に独立のための練習の、第一歩みたいなものだ。
だが、実家でるみが暮らし始めたとなると、そうも呑気を言っていられなくなる。



 断っておくが、いまだに他人のままだ、俺たちは。
手はつないだことが有るが、キスはまだだし、体の関係なんか論外だ。
親交を深める前に周囲があわただしく動いて、いつの間にかそんな風に落ち着いてしまった。
そんな訳で今日も、仕事が終ったあと、町はずれにある喫茶店にるみを呼び出した。


 約束の時間、綺麗にお化粧をしたるみが俺のテーブルに現れた。
「今晩はかしら。お久しぶりかしら。どんなふうに挨拶すればいいのかしら、あたしは」
ウフフと笑ってるみが、正面の席ではなく、ふわりと俺の横に腰を下ろす。
いまのところおふくろとの関係は、良好だという。
世話好きのおふくろは、困っている人を見ると放っておけない性格だ。
いつものお節介プラス花嫁候補として見初めたというのも、まんざら嘘ではなさそうだ。
だが肝心の俺たちの間に、まだこれといった恋愛感情は生まれていない。

 「なんだか居場所が、くすぐったいわね」とるみが、実家での生活ぶりを笑う。
「トマト農家の仕事の方はどうだ?」と別の話題へ、わざと誘導する。
オレンジジュースのストローを口元から外したるみが、「仕事?。お母さんとの関係ではなく
トマト農家の仕事の様子が聞きたいの?。本気なの、太一」と、胡散臭そうな目で俺の顔を見つめる。


 「どうってことはありません。いたって普通の毎日が続いているわ。
ホルモン剤を花に噴霧して、受粉を促すの。
あとは幹から脇芽がたくさん出るから、見つけた瞬間から即欠いていく。
そんなことが、とりあえず、本格的な出荷を前にした、あたしの主な仕事です。
それ以外にも、なにか聞きたいことが有りますか?」と、上目使いでカラカラとるみが、
氷のグラスをストローでかき混ぜる。

 「いつ頃からだ。本格的なトマトの出荷が始まるのは?」と聞き返せば、
「あと一週間で最盛期になる。ねぇ、そんなことを聞くためにわざわざ私を呼びだしたの?」
あんた、少し頭がおかしいんじゃないのとるみが、形の良い唇をふんと尖らせる。


 「バレンタインまで、あと4日しかないのよ。
 普通はプレゼントに期待する振りをして、女の子をその気にさせるために、
 それとなく、くすぐるようなことを口にするはずでしょう?
 それともバレンタインよりも、先輩のトマトの出荷のほうが大事なのかしら。
 手造りのチョコレートよりも、トマトのほうがいいのなら規格外の『はね出し品』を、
 たくさんリボンで飾って、コンテナごとさしあげます。
 ふん、なにさ。人の気持ちも知らないで!。トウヘンボク」


 「と、トウヘンボク・・・・まいったな。
 そんなつもりで言ったわけではないんだが、なんだか、つい口が滑っちまった。
 悪かったよ。こういう雰囲気に慣れていないんだ、俺って」

 「許しません。罪滅ぼしをして頂戴」


 「罪滅ぼし?。なにをすればいいんだ。
 ホテルへ誘うとか、そういう意味なのか、こういう場合・・・・」


 「なにを勘違いしているの太一。
 口説かれても居ない女が、あんたといきなりホテルへなんか行くわけがありません。
 馬っ鹿じゃないの。自由奔放な、野生の猿じゃあるまいし!」
 
 「猿もホテルを使うのか、もしかして。自由奔放な野生のサルは・・・」

 「使うわけがありません。ふふふ、太一には何を言っても無駄なようですね。
 ねぇ、映画に連れて行ってよ。
 面白そうな映画が上映されているの。
 最終上映が午後8時からだから、今からでも十分に間に合います。
 映画のあと、いつもの屋台でラーメンをおごってくれたら、喜んでチョコを造るわよ。
 あなたのために。愛をこめて」


 「映画。その程度の償いでいいのか?。本当か。お安いもんだ」

 「それ以上のことをお望みなら、あとは太一クンの腕次第です。うふふ」


 えっと思わず赤面する俺の顔を見て、こつんとるみが、俺の頭へパンチを落とす。
「こら。口車に乗って、単純にその気になんかならないの。
まったくもって救いようのない単細胞なんだから。
だからいつまで経っても彼女が出来ないのよ。
とこぼしていました、あんたのおふくろさんが。うふふ」
さぁ行きましょうと立ち上がったるみが、スタスタと俺に背中を向けて歩き出す。


(25)へつづく

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東京電力集金人 (23)で、福島生まれのお前がなぜ此処に居る

2014-06-10 09:54:52 | 現代小説
東京電力集金人 (23)で、福島生まれのお前がなぜ此処に居る



 
 「で、素朴な質問なんだが、高卒で酒蔵の杜氏になりたかったという女の子が、
 福島ではなく、北関東のこんな場所に何故いるんだ?
 悪いなぁ。俺は気になるとなんでも質問しちまうという、変った性格の持ち主なんだ。
 支障があるならいいんだ。答えてくれなくても、さ」

 もう1個どうだとトマトを差し出しながら、先輩が、るみの瞳を覗き込む。
少し躊躇の様子を見せたるみが、「分かりました」と頬に柔らかい笑みを浮かべる。
「当然の質問ですょねぇ。おっしゃる通り多少の支障はありますが、美味しいトマトを
御馳走になったので、訳アリですが私の、つまらない自己紹介をしてもいいですか?」
と、にっこり笑う。


 「おっ。やっぱり俺が睨んだ通り訳のある女なのか。
好きだな、そういう自己紹介も、俺は」と先輩も、るみにつられて目を細める。
「といっても、いち早く救助の手を差し伸べてくれた、太田市の厚意にすがっただけの
ことですが」とるみが、あえて前置きをする。


 東日本をおそった未曾有の大震災。3.11の発生直後に群馬県東部にある太田市は、
市営住宅と民間アパートの24戸を確保し、避難民を受け入れる処置をとった。
るみが群馬から来た民間ボランティアの情報を頼りに、受け入れ態勢を整えたばかりの
太田市を訪れたのは、震災から4週間あまり経った時の事だった。


 「体験したことのない、猛烈な揺れに襲われた、3.11のあの日。
 私は福島県浪江町、相双地区の海岸近くの勤務先にいました。
 電気も水道も止まったままなので、雪のちらつく中、車の中で夜を明かしました。
 絶えない余震が何度も、私の浅い眠りを壊したのを覚えています。
 翌朝。陥没して通れない道路を避けながら、ようやくのことで実家へ戻りました。
 でもいま何が起きているのか、どこからも情報が入ってきません。
 とりあえず、家じゅうの窓を厳重に閉めることくらいしかできません。
 道路に立っている警察官が、完全防護をしていた姿に、一気に緊張が高まりました。
 避難先に指定された高校の体育館は、プライバシーのかけらもない雑魚寝の状態です。
 着替えるのは体育倉庫の中。女性たちにはつらい日々が続きました」


 「浪江町と言えば、全町避難がいまだに続いている原発のあしもとの町だ。
 そうか。オネエチャンも若いのに、見かけ以上に苦労をしているんだな。
 悪かったなぁ、言いにくいことをずかずかと踏み込んで質問しちまって。すまん」


 先輩が、もう一つ食えと完熟したトマトをるみに手渡す。
「事実ですから、仕方ありません」とうつむくるみに、先輩が突然何かを思いつく。
「太田市に避難してきたはずのお前さんが、なぜ桐生のアパートになんかに住んでいるんだ。
支援金だけじゃ食えないだろう。もしかしたら、体調でも崩して休職中の身なのか?」
とふたたび無遠慮な目で、るみの顔を真正面から覗き込む。

 「はい。実は、持病があって休職中なんです。
 といっても正規の仕事ではなく、近所のコンビニでのアルバイトですが・・・・」


 (コンビニでバイト中か)先輩の遠慮のない目が、るみの全身を、上から下まで眺め回す。
「じゃ何かの縁だ。ウチの農園で働くか?」と独り言のように言い捨てた先輩が、がさがさと
上着のあちこちを探した後、ポケットの奥のほうから傷だらけの携帯を取り出す。


 「おう、俺だ。たったいま新規採用のオネエチャンが決まった。
 太一が連れてきた女の子だが、太一の着古しの運動着なんかを着込んでいやがる。
 ぶかぶかで、似合わねぇことこの上なしだ。
 長女か、次女か、三女のどれかのジャージが、サイズ的に合うだろう。
 見繕ってこの子に着せてやってくれないか。
 頼んだぜ。じゃ、まもなく太一が母屋のほうへ、その女の子を連れていく」



 「何、ぼんやりしているんだ、お前も」話は今聞いた通りだと、先輩が俺を急かす。
「馬子にも衣装と言う言葉が有るが、お前の着古しのジャージではいかにも酷過ぎるだろう。
電話で話した通り、母屋で女房が待っているから、案内してくれ。
それともなにか、この子が俺の農園で働くことに反対なのか。お前さんは?」

「いや。あまりにも急な話に動転しているだけです」と答えると、
「お前が動顛してどうする。働くのはこの子だぜ。どうせ明日からお前さんの実家に
一緒に住むと、おふくろさんが言っていたぜ。ついさっき、そこで嬉しそうに話していたぞ。
なんだ。そんなことも知らないのか、お前さんは?。」
と先輩が涼しい顔で俺のおふくろとるみの、成立したばかりの約束を口にする。


 (るみが、実家に住み込むって?。まったく根耳に水だ。
俺は聞いていないぜ、そんな話は。いったいどうなっているんだ、俺の家の中は!)
俺の狼狽を見抜いた先輩が、「花嫁候補として、おふくろさんが見初めたということだろう。
この子のことを。まったく。いつまでたっても鈍感なままだな。お前さんも」
いい加減で覚悟を決めろと先輩が、俺の背中を思い切り、ドンと大きな手で叩いた。


(24)へつづく

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