落合順平 作品集

現代小説の部屋。

連載小説「六連星(むつらぼし)」第63話

2013-05-11 09:53:57 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第63話
「伝統的建造物群・保存地区」




 窓の外からは小鳥たちの声が、いつにもまして賑やかに響いてきます。
いつもより温かい朝の気配を感じながら、響がやっと布団の中で目を覚ましました。
昨夜は『那須のすっぴん美人』とメールのやりとりをしていたために、
最近の響にしては珍しく、ついつい夜更かしなどをしています。


 差し込んでくる日差しに誘われて、思い切りよくカーテンを開けた響が、
2階の窓を「えいっ」ばかりにとひと声かけて、これでもかとばかり全開に開け放ちます。
躊躇することもなく寝ていたばかりの布団を、手すりいっぱいに広げてしまいます。
春霞みがかかる明るい空に誘われ、響が手すりに両手を突くと
気持ちよく身体全体を空中へ乗り出します。
ぐるりと頭を回せばすぐ横には、真近に迫ってくる山の様子を克明に見ることができます。
裏山の山肌には全山を埋める、柔らかい新芽と気の早い若葉が点々と輝いています。
(春が来た。若葉が気持ちよく芽吹く季節が、ようやく桐生へもやってきたんだわ!)
あわてて着替えた響が、急いで階段を駆けおりていきます。


 「あれれ・・・・朝寝坊なお茶当番が、やっと起きてきたようだ。
 もうすこし早く起きてくれれば、朝一番から、響のいれるまろやかなお茶が呑めたのに。
 春眠、暁を覚えずとは、よく言ったものだ」



 すでに朝食を済ませている俊彦と山本が、食卓で笑っています。
(あ、まずい。お髪も寝癖でくしゃくしゃのままだし・・・第一、すっぴんのままだわ)
「おはよう」の挨拶も省略をした響が、二人には顔を見られないようにしながら、
ぺこりと頭を下げただけで、さらに洗面所へと走ります。



「ごめんなさい。美味しい2杯目をいれますので、少々お待ちくださいな」


 鏡を覗きながら、響が手早く人前へ出る準備を整えます。
『朝の身だしなみは、女性の大切な嗜(たしな)みです』と、常々、母の清子から
口うるさく言われたことを思い出します。
服装が個性を表すとすれば、身だしなみというものは、その人の生活態度や
性格そのものを示すと、小さなときから厳しく言われ続けてきました。


 しきたりと躾(しつけ)と、芸の修業で、
厳しさには定評がある花柳界で、長年にわたって生きてきた母の清子は、
『女は、頭のてっぺんから足の爪先まで、細部にわたって、常に充分な注意が必要です』
と、女らしさのありかたを、決してないがしろにしません。
お化粧することを好まない響に向かって、あえてお化粧しろと強制はしません。
『その分あなたは身だしなみに、ことのほか細心の注意を払いなさい』と強調します。
頭髪や衣服を整えることは、身だしなみの第一歩です、と、いつも指摘をします。
人さまと接するときには、ことばと態度をきちんとすることが大切ですと、
繰り返し、何度も口うるさく説かれ続けてきました・・・・


 『人は見た目が9割なのですから、第一印象で判断され、誤解までされて、
道を閉ざされてしまったら、あなたにとって、すべてが不利になるでしょう』と笑います。
『身だしなみというものは、結局は、あなたの心と身体の健康度のバロメーターです』
『ついでに、心が健康でないと女性の一番の武器、笑顔にもその迫力が欠けてしまいます』
と母の清子は、笑いながら女のたしなみを響に教え込んできました。



 (たしかに母は、私から見ても、常にチャーミングだ。
 粋で綺麗で素養が有って、立ち振る舞いなんか、背筋がぞっとするほど妖艶だ。
 女たちだけが見ている時でも、そういうことのすべてにわたって、決して手を抜かなかった。
 子供の私にも、それをしっかりと教えてくれた。
 こういうことの全てがを指して、生きるための術(すべ))というんだろうなぁ)



 ・・・・今頃は一人ぽっちで、さびしい思いなんかしていないかな、
などと、響が母のことを思い出しています。



 響がそんな思いの余韻にひたっているのを、バッサリと断ち切るかのように、
茶の間からは、俊彦と山本の大きな笑い声が聞こえてきました。
(女の身支度は、とにかく長すぎる・・・・と言っているのかしら、たぶん私の悪口だ。 
それにしても良いお天気になると、人はみんな、朝から上機嫌になるものだ。
まぁいいか、さて・・・準備はすっかり、OKだ)


 鏡で朝一番の笑顔の練習をした響が、所望されているお茶をいれるために
茶の間へ、最大限の笑顔で戻っていきます。
例によって、丁寧に入れたお茶を美味しそうに呑む二人を見ながら、
響も遅い朝食を、その傍らで済ませました。
先日、山本にお茶を入れてから、この響のお茶は、すっかり男どもの大好物に変わりました。
事あるごとに、この二人は響のお茶を飲みたがります。


 時間が10時を過ぎた頃に、響と山本が散歩に出ました。
山合いにあるチューリップの吾妻公園までは、1キロにも満たない上り坂の散歩道です。
それでもあえて心配をした俊彦が、『俺の車を使え』と、響へ鍵を手渡しました。
それを断ったのは、山本のほうです。


 「せっかくの、良いお天気です。
 1キロにも満たない路を、車で乗り付けたのでは、もったいないでしょう。
 それに、トシさんの言うこの一帯の『伝統的建造物』なども、見てみたいと考えます。
 響さんは優しいから、きっと病人の私と歩調も合わせてくれるでしょう。
 お茶といい、人柄といい申し分がありませんねぇ~。
 なぜに、お嫁に欲しいと言う男たちが、群れて来ないのでしょうか・・・・
 桐生の、7不思議のひとつです」



 「得あたしは別に、男が嫌いなわけではありません。
 ただ先方の方から、是非にと言って、所望されないだけのお話です」


 「所望されないと、お嫁には行かないのですか?、響さんは」


 「惚れて嫁ぐよりも、惚れられて嫁ぐほうが、女は大切にされるそうです。
 母が、つねづねそのように申しておりました。
 ゆえに、響は『白馬の王子さま』なるものが現れるのを、ひたすら待ちわびます。
 私の母と同じように。ねぇ、トシさん・・・・」


 「な・・・・何の話だ一体。知らんぞ、お、おれは」


 (あら、赤くなっている! トシさんも、けっこう可愛い~・・・・)
してやったりと、響が俊彦をやりこめてから悠然と表へ出ます。
「ゆっくり行けよ」という俊彦の声を背中に、響が山本とぴったりと寄り添います。
屋外ではうららかな春の日差しが、町中を惜しげもなくたっぷりと降りそそいでいます。
伝統的建造物群・保存地区の象徴でもある「街づくり交流館」の角を曲がると
さっそく、長々と続く古い黒塀が現れます。
見上げた松の梢のあいだからは、漆喰で真っ白な土蔵の壁も姿を見せます。



 「凄いなぁ。まるで、時代劇のセットのようです・・・・」


 このあたりから、山の手に向かって緩い坂道が始まります。
桐生天満宮の社を基点に、本町1丁目から2丁目にいたる界隈には、450戸余りの
建物が、碁盤の目のように隙間なく、びっしりとひしめいています。
そのうちの約半数にあたる200戸ほどが、明治から大正、昭和初期から戦前までの
古い建物たちで、いまでも現役のままにそれらが残っています。


 漆喰の蔵とともに、栄華を誇った大きな商家が有るかと思えば、
路地へ一歩入ったとたんに、低い瓦屋根で『町屋』と呼ばれる長屋風の建物なども、
昔の面影をそのまま残して、静かに立ち並んでいます。
もちろん、織物の町としての象徴の、のこぎりの形をした『三角屋根の織物工場』も、
いたるところで、かつてのその面影を留めています。



 しかしここでも震度6弱を記録した、昨年3月11日の大震災は、
この織物の都・桐生市の古い建物たちに、きわめて、深刻な被害をもたらしています。
崩れかけた屋根や、はがれ落ちた壁は、一年を越えたいまでも修復をされることもなく、
青いビニールカバーで覆われたままで、無残な姿をとどめています。


「修理をするのは3年先になるか・・4年先になるのか・・・・」



 古い建物たちは、その古さゆえ、適切な修復のための材料が手に入らないのです。
まるで時間を停めているかのような古い時代の建物のたちは、傷つき痛んだまま、
静かに、ただ復活の時を、ひたすら待ち続けて耐えています。




・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/ 

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