忙しいと言う字は心を亡くすと書くけれど、最近そうだなとつくづく思う。
kekeは一番大切なものは時間だと言っている。
最近になってgooブログ(スマホ版)に「いいね」「応援する」みたいなボタンがついて、(なんだこれは?!ツイッターの真似か?!(-"-))と思っていたが、よくよく考えてみると、コメントを入れたくても時間が無い場合には何とも便利な機能だ。
SNSが掲示板やブログで始まり、それがツイッターになり、今はインスタが人気となっている。それも「忙しい」という概念を考えれば納得である。文章を書くのはどうしたって時間が掛かるし、読むにしてもコメントを入れるにしても、時間が掛かる。ツイッターやインスタのなら、もっと同じ時間で読むことも表現することも可能である。
今までずっとお金のことを考えてきた。
「これを払うのは(代価と合わずに)もったいない」「これはお得だ」とか。「お金をためてこれを買おう」とかね。
だが息子の言うとおり、今は時間というものが価値を持つようになってきたのだ。
自分が何に時間を費やすか。
自分の残り限られた時間をどうやって使うのか。
お金と同じように、毎日がそれの選択なのだ。
今まで会社に行き、一日の半分近くの時間を仕事で拘束される生き方が当たり前だと思ってきた。祖母も父もそういう仕事をしてきたから。
私はリスクを背負うことが何よりも嫌なので、どの道こういう生き方を選択したのだろうけど、フリーな仕事で自分の時間を有効に使えることは、何とも有意義な人生なのだろう。
最近はそういう見方もしている。
心理学の本には「友達は多いことがいいと思われていますが、決してそうとは限りません。友達が少なければ蜜の濃い付き合いになるからです。」ということが、時々書いてある。
付き合いが少ないということは、それだけ自由な時間は増えると考えれば、「お金持ち」ならぬ「時間持ち」である。
自由に使える時間があるということは、一つのステータスではないかとさえ、思う。
仕事とプライベートを完全に分けて考える必要もありますね。お付き合いが多ければ多いほど時間を使う。
また、本音で喋れないからついつい話が長くなる、気を遣う、時々は曖昧な表現を使って誤魔化す。それを頭の中で捜すのも面倒です。
私の場合はそんな生き方は好まない。常に本気モードで表現する。面倒なかかわりはしない。なので、人格に裏表の無い様にしています。やはり自然体が一番楽だと思っています。
そんな生き方に共感できない人も居ると思います。それはそれで関わらなければ良いと考えて生きています。とにかく面倒は避ける。
私もぶっちゃけいつも自然のあるがままで生活しています。
人に気を回して、お世辞(?)を語っても、心からそう思っていないと、いつかどこかで態度がひょっこり出るんです。
心にもないことを言わねばならないような付き合い方こそ、時間の無駄だと思っています。
若い頃は、友達がいなくて「淋しい人」と思われるのがとても恥ずかしいことだと思っていました。
でも今は友達は作ろうと思えば、ネット上で幾らでもボヤいたり共感してくれる友達がたくさんいます。
むしろいい距離を保って長く付き合うのが大人のつきあいかもしれませんね。^^
八方美人な身近にいる人より信頼できます。
少ない時間を有効に使うための努力は惜しまない私(^_-)-☆
インスタやツイッターもいいけれど、ブログの方がその人を知ることはできるような気がします。^^
みみさんは有効に時間を使える方ですよね。
同じ旅先でも私よりもあちこち見て回れそう。
一緒にいるとなんとなく分かります。(^_^;)
今日もこれから出かける予定です。